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Evolution Reply

紹介

[5] はじめまして 投稿者:1146 投稿日:2002/03/23(Sat) 00:04
こんにちは。
最近進化論に興味をもったのでHP読ましてもらいました。
解からないところもいろいろあったけど、面白かったです
血縁淘汰の説明もお願いします

挨拶

げ、ついに来た、利己的遺伝子説。こ、これは、利己的遺伝子説嫌いと知っての狼藉か! それとも、挑戦か? 
よろしい、嫌いだから詳しくは知らないが、はっきりいって竹何とかの本しか読んだことはないが、とりあえず罵倒し尽くしましょう(できるかな?)。普通に説明しても、他のサイトとかの方が正確で詳しいでしょうから、このサイトらしい角度から説明を試みたいと思います。独断、独善、偏見、誤解、無知、思いこみ… ゆるしてください。 

説明に間違いがあれば(あるでしょうけれど)、こそっと、ご指摘下さい、だぶん知らない振りをします。

血縁選択

まあ、血が近いのを守れば、自分自身が子供ができなくても、血を守ることになるからよいでしょ、ってことですね。
兄弟の遺伝子の共有期待値(必ず共通する部分はないものと計算すると)は1/2、親も1/2、なら、親兄弟二人を養えば、自分は子供を作らなくてもよいでしょ、ね、いとこなら1/8(ですよね?)、8人養えば従兄弟のために独身生活してもよろしいのです。

そんなことで、同じ遺伝子を共有する個体を守ることは自分の遺伝子を広げることに等しいので、自分の子供を作らなくても自分の子孫を残すのと同等なのです。自分が子孫を残せなくて個体が淘汰されても、遺伝子の淘汰にはならないってこと。ですから、淘汰は個体単位に行われているように見えても結局は血縁集団単位に行われるわけです。

働き蜂などの子孫を残さない個体の存在を「種の保存」の考え方を入れずに説明したかったのですね。
血縁関係の集団を持つ種では、個体単位の自然選択は意味をなさず、血縁集団単位の血縁選択になるため、集団のために利他的な形質も、血縁の生き残った個体を通して、生き残れます。

これは、遺伝子は利己的に自分のコピーを増やすために働くという「利己的遺伝子説」が、生物の「種の保存」と思われる行動の説明に使用されることが目立ちます。
そのために思いついた自然選択の一種に違いありません。きっとそうです。単なる群選択でもよかったのにね。
それにつけても、訳語は血縁淘汰よりも血縁選択がよいと思う今日この頃。

種の保存

え、じゃ種の保存とどう違うの? て疑問は当然です、が、全然違います。確かに、同種であれば遺伝子は殆ど同一ですから、種を守ることと遺伝子を広げることは同じように見えるかもしれませんが、これは、そのメカニズムが変わってしまいます。ま、種の保存の現象なんてはっきりした定義がないとは思いますが。

ネオ・ダーウィニズムの自然選択は種内でおこなわれます。同種内の競争が進化を進めるというものです。利己的遺伝子説もネオ・ダーウィニズムの隠し子です。
種の保存とは、生物は種を守るために行動するってものです。
つまり、自然選択の単位が変わるのです。

利己的遺伝子説では、遺伝子が競争の単位ですから、自然選択は単独の形質に働くことになります。同種内で同系統形質同士の競争。目なら目の形質が、足なら足の形質が競争しているわけです。ある特定の形質が有利ならその形質が増えるというものです。

一般的なネオ・ダーウィニズムでは個体が単位です、なので、自然選択は総合的な個体そのものになります。同種内の個体間の競争です。

種の保存では、種が単位になります。個体単位での自然選択はむしろ種を保存し種の範囲を超えたものを淘汰するために行われ、進化に関わるような自然選択は種全体が一斉に淘汰にはかられるのです。子孫を残すことも種の保存の本能によるものとされています。

利己的遺伝子

利己的遺伝子説とは遺伝子は利己的に自分のコピーを増やす、他の遺伝子を蹴り落としたがる、という説です。まあ、結局は遺伝子は形質に発現しなければ自然選択の対象にはなりませんから、個別の形質こそが自然選択の対象であるということに等しいのですが。

まあ、例えると、車を作る会社より、その個別のパーツを作っている部品の会社が本当の競争をしているんだよ、ってことですね。
ある、よいパーツがあると、そのほうがより売れます。するとそのパーツを使っている車メーカーが生き残りやすくなり、最終的には、そのパーツを使っている会社だけが生き残っている、ってこと。パーツもパーツ会社も沢山あるけれども、車の種類も沢山ありますから、だんだんと、よいパーツを使っているものだけが生き残るようになる、みんなよいパーツだけでできている車だけになる、車なんてパーツを集めただけのものだよ、車自体が競争をしているわけではないんだよ、ってことです。みーんな、同じライトで同じタイヤで、同じハンドルで、ってことになるわけ。

ただこれだけであれば、自然選択の万能説と同じです。利己的遺伝子説では、生存能力に関係なく他の遺伝子を駆逐するために駆逐するのです。他の遺伝子を犠牲にしたり利用したりすることを、やたらと強調します。子殺しとかね。あれも、遺伝子単位の考え方でなく個体単位で十分だと思いますけれど。

それと、利己的遺伝子説は同じ遺伝子であればよいので、遺伝子を個体単位では考えません。
包括適応などといって、子孫により多くの遺伝子を残す方法を選択するとなっています。コピーされた遺伝子は同じものと考えるため、小型版の種の保存のような感じです。同じ遺伝子のためには犠牲にもなるし、協力もするのです。そうなると、つまりは血縁の近いものには利他的になることになります。遺伝子群選択って感じ。
だったら、形質選択とかいうのも提唱してみろ、同じ形質の個体同士は助け合うことがあるというような。

これに加えて、進化的に安定な戦略という概念もでてきます。
どのような生存戦略が生き残りやすいか、もっとも生き残りやすい戦略に安定するということですが、それにより、敵対よりも友好のほうが生き残りやすくなるというものです。
短期的に最も有効なのは敵対のタカ派戦略の個体に対してはタカ派戦略を、友好のハト派戦略の個体にはハト派戦略を選択することになりますが、長い期間を過ぎれば結果的にタカ派はハト派に比べて生き残りにくくなります。餌をとるときに協力した方が、奪い合うよりも取り分が多くなるので、その環境でもっとも合理的な友好の度合いが決定されることになります。

ここで、血縁の近い場合に利他的になるか利己的になるかの違いが不明です。つまり、利己的遺伝子説で使用される自然選択の振る舞いが不明瞭・不定なのです。血縁に対して利己的なのが有利か、利他的なのが有利か、この説だと、どっちでもよいということになります。血縁内での競争に意味はない、ってことになります。骨肉の争い、兄弟の生き残り競争を強調しながら論理が混乱してしまいます。

遺伝子同士の競争は結局は個体同士の競争を認めるし、種の保存の本能も認めてしまうのです。
個体の中の単独の形質単位の自然選択を認める一方、血縁集団に対する個体群単位の自然選択も認めています。
抽象的な議論に陥りやすいのも、具体的なイメージがつかみにくいのが原因でしょう。 綺麗で単純なように見えて、論理的には小汚い理論です。やたらと、トンデモや屁理屈がまかり通りやすい進化説といえるでしょう。ま、こんな説に意味はない、単なる言葉の遊びだ。
とはいっても、包括適応度や進化的に安定な戦略の概念は捨てがたいのですが。

小泉純一郎

進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という考えを示したと言われています。

などということが、個人の進化論系WEBでのトップサイト(進化論と創造論 〜科学と疑似科学の違い〜)に、かの純ちゃんが言ったとかいうので、なかなか面白く進化論からの意見を書かれていました(ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか?)。

詳しくは、そのサイトを読んでもらえたらよいでしょう。なかなか面白いですよ。至極まっとうなネオ・ダーウィニズムの観点で書かれていますから進化論の本流に触れるためにも読んでおいてもよいと思います。
ここは、進化論の問題点が焦点になっていますから、本流から外れがちで、邪道です。ファイヤー!

で、まっとうな進化論サイトは「そうではなく、子供をたくさん残すものが生き残る」というようなことが書かれています。妊娠しやすさ、子供の育てやすさの方が重要ってことですね。でも、問題には答えていませんよね。A、B、Cで答えはどれでしょう、というのにDって答えるようなものです。「変化に対応できるもの」、「頭がよいもの」、「力の強いもの」の中ではどれが生き残るの? どれが、一番子孫を残せるの?

では、ネオ・ダーウィニズムの隠し子である利己的遺伝子説ではどうなるでしょう?
もちろん、力の強いもの、頭のよいもの、変化に対応できるもの、それぞれの形質は有利ですから、それぞれ生き延びることになります。形質単位だとこうなりますよね。最終的には「力が強くて、頭がよくて、変化に対応できるもの」だけになるのです。

では、ネオ・ダーウィニズムでは? ネオ・ダーウィニズムの特徴を思い出してください。
参考はここ Evolution Reply NO.3

  1. 進化は今も休みなく進む
  2. 競争は同種内で行われる
  3. 環境の変化は前提としない

つまり、生き残るものは「変化に対応できるもの」よりは、むしろ、「頭がよいもの」や「力の強いもの」になります。通常の状態で有利であることが子孫を多く残せることになりますから。あら!

うーん、純ちゃんたら、全然、ネオ・ダーウィニズムじゃないように思えます・・・
では純ちゃんの言っているのは、ネオ・ダーウィニズムではなくてなんなのでしょうか。私は、種の保存に近い考え方だと思います。彼が自然選択についてどのような認識でいるかは分かりませんが、一般的なネオ・ダーウィニズムへの誤解を持っていることは予想されます。「変化に対応できる『生き物』」といっているように種単位での自然選択をイメージしているのでしょう。

  1. 進化は環境の変化によって起こる
  2. 競争は異種間で行われる
  3. 種内での激しい競争は行われず、種を全体で守ろうとする

 

ま、いっか!

構造改革頑張ってください、支持率下がっていますが 。うん、血縁淘汰の説明をうまくごまかせたぞ、利己的遺伝子説の罵倒はできなかったけれど… だれか、ちゃんとした説明をしてくれ! 利己的遺伝子説の自然選択を。


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