有給休暇  遺伝子をめぐる冒険


 ネオ・ダーウィニズムと中立説には一つの共通点があります。計算式を重視することです。計算式は科学の象徴です。あらゆる科学は計算式にすることで客観性をもち、正式に科学の一員になるのです。いまや、哲学でさえも計算式に憧れています。

 微分・積分・適応度、計算式にするためには、単純化する必要があります。総合説が全てを飲み込んでいくと、計算式にはいろいろと不都合がでてきます。計算式は物語の可能性を証明することはできますが、新たな物語は、計算結果との矛盾から新たにつじつまを合わせるために作られることになります。

 逆に、計算が合っている間は、新たな物語は排除されていきます。しかし、新たな物語が計算式をもつためには、再び単純化が行われます。どこかで綺麗に一つの論理の流れが、中心となる単純化された流れが必要になります。物語としては複雑にみえても、論理の流れが単純であれば、計算式は単純になります。

 しかし、物語は計算式の前に存在します。計算式は物語の確認と、予測のための道具であることを忘れてはいけません。生物学に必要なのは生物の本質を単純にとらえることで、その結果で計算式ができるのです。