平安京

794(延暦13)年、遷都。桓武天皇の皇太子・早良親王は、785(延暦4)年、造長岡京使・藤原種継暗殺事件に関与していたとの嫌疑で廃太子となり、淡路へ配流の途中死亡した。親王の死後、桓武天皇の宮廷は、その怨霊に脅かされることとなった。天皇は、再三にわたり淡路に使者を送って親王の霊に謝し、崇道天皇と追称するなど、その怨霊に対する恐怖には異状なものがあった。平安京への遷都には、早良親王の怨霊の祟りから逃れることにあったといわれる。

世中はなにかつねなる あすかがはきのふのふちぞけふはせになる

(古今和歌集;18−933)

ほのぼのと 春こそ空にきにけらし あまのかぐ山霞たなびく

(新古今和歌集;1−2)
平安建都1200年記念