Heijo Palace SiteHeijo Palace Site
平城宮跡

A huge flat ground spreading west oj Hokkeji Temple,and south of Sakiji.It was the center of Heijokyo Palace and now remains as a site of the palace.
平城宮跡 Heijo Palace Site


  大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 大和しうるはし
 古代の大和−大和盆地−をほめたたえた歌。『古事記』では、景行天皇の皇子倭健命(やまとたけるのみこと)の歌という。東国征伐の帰路、伊吹山の神を討ちに行き、神の怒りにふれて重い病を得、伊勢の能煩野(三重県鈴鹿郡)において死ぬ直前によんだという。死を前にして故郷をしのぶ英雄の悲しみが心をうつ。

大宰少弍小野老朝臣の歌一首

あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり

(万葉集;巻3−328)
 
大伴坂上郎女の、元興寺の里を詠ふ歌一首

故郷の飛鳥はあれどあをによし平城の明日香を見らくし好しも

(万葉集;巻6−992)

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 710(和銅3)年、元明天皇は、都を藤原京から奈良盆地の北、奈良山を背におう平城京に遷した。日本古代の黄金時代とうたわれる奈良朝70余年の歴史が、この都を中心にくりひろがれる。遷都のことは、2年前の和銅元年2月に決定された。藤原京への遷都からわずか15年目である。

 このときの詔に、 「方今、平城の地は四禽図に叶い、三山鎮を作し、亀筮ならびに従ふ。 宜しく都邑を建つべし。」とある。

 宮城の建築が一段落するまもなく、薬師寺・大安寺・元興寺などの官の大寺、また藤原氏の氏寺興福寺の建築がはじまる。

 中期以降、東大寺・法華寺・西大寺など、さらに豪壮、華麗な寺々が営まれる。


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奈良の風景とナラノヤエザクラ 若草山の山焼
国土緑化運動1981 ふるさと切手・奈良版


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奈良市制60周年記念小型印
(1958.5.1)
「黎明平城京」・増井 清 画
平城宮の正門である「朱雀門」と貴族が宴会や儀式を催していた「東院庭園」が復原され平成10年4月から公開されて いる。
平城京'98小型印
(1998.4.17)
市制100周年


奈良
猿沢池からの国宝・興福寺
五重塔、東大寺南大門狛犬


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 壬申の乱(672年)で近江朝廷が壊滅してから100年続いた天武系皇統は、770(宝亀元)年、聖武天皇の皇女・称徳(=孝謙)天皇の死去を機に天智天皇系皇統に転換した。770年、天智天皇の皇孫・光仁天皇が即位。781年、その皇太子が即位し、桓武天皇となった。784(延暦3)年、桓武天皇は、山背国長岡京に遷都、つづいて794(延暦13)年、山背国平安京に遷都した。

 ここに、平城京は終焉を迎え、平安京が幕をあける。