八十八カ所巡礼とは


空海が修行した場所やゆかりの場所が札所。空海の足跡をたどるのが遍路旅だ。

本来の自分の姿を探して、お遍路さんは歩く


空海が生まれた善通寺で。善通寺付近の
人たちは私のようなにわか遍路にもとて
も親切だった。郷土が生んだ「お大師さ
ま」への誇りが、ひしひしと伝わってき
た。
 四国遍路の起源は平安時代と言われている。讃岐に生まれた空海が青年時代に修行した場所が札所と呼ばれ、その札所を巡りながら空海(お遍路さんはお大師さまと呼ぶ)の足跡をたどるのが遍路である。
 空海は七七四(宝亀五)年讃岐国多度郡屏風浦の地方豪族の子として生まれた。十五歳で京に上り、儒学を学んだ後、大学に入学。ところが突然中退して私度僧になり四国の山野などで修行を始める。エリートコースを歩んでいた空海は、藤原氏全盛の京で、低い身分出身の自分の将来に見切りをつけたとも言われる。
 七九七(延暦十六)年、二十三歳で思想持論「三教指帰」を著すが、その後、八〇四(同二十六)年の第十六次遣唐船に乗船するまでの七年間の足取りは不明。中国語を学んでいたとか、経典研究に没頭したなど推測はつきないが、空海のカリスマ性は、この時期に生まれたと言われる。
 入唐した空海は一気に才能を開花させる。真言密教第七祖であった恵果阿闍梨に師事し、密教のすべてを授けられ、門弟千人をさしおいて、正純密教の第八祖となったという。空海は三十三歳で帰国後、太宰府の観世音寺住職となり、京に戻る。三筆の一人とたたえられ、書道の祖となったほか、お茶を伝えたとか、讃岐にうどんを伝えたとか、伝説の類いも枚挙にいとまがない。真言密教を国家仏教として定着させたり、綜芸種智院を開いて身分の別なく教育を行った生涯が、伝説を生んでいるのだろう。

現代では暗さもなく

 四国には八十八の札所がある。歩けば千四百キロに及ぶ。登山道も多く、男の足でも五十日はかかる厳しい道程だ。その厳しい遍路道を、かつては愛する者を失った人や、不知の病となり家にいることができなくなった人が、お大師さまの霊験を信じて歩いたという。自分自身、お遍路さんというとよく知らないが、常に暗いイメージで捉えていた。
 交通手段が発達してから、バスツアーもできて春や秋の旅行シーズンは各地から大勢のお遍路さんがやってくるようになった。一週間程度のバスツアーで手軽に八十八カ所を巡礼するのである。昔のような深刻な事情を抱えている訳ではなく、家族の健康や幸せを祈るようになった。実際、現代では歩いて回るほうが、時間も金もふんだんに必要で、歩いて遍路する人のほうがよほど「優雅」なのだそうである。
 歩いて回る人はずいぶん減っていたが、このところ増えているのだそうだ。「心の時代」とか「癒(いや)しの時代」などと呼ばれているからだからだろうか。自分探しの道として脚光を浴びているという。
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