「ペルー共和国」は、皆さんご存じのように日系のアルベルト・フジモリ大統領が第二期目の政権を1995年8月より担当している国です。
国土は約128.5万平方Kmで日本の約3.5倍の広さです。リマ市は南緯12度付近ですが、南から北上しているフンボルト環流のため気温は27−28度ぐらいで、予想していたより過ごしやすい感じでした。
人口は2240万人(1993年ペルー統計局調べ)、内訳は先住民が47%、混血(先住民と白人)のメスティソが40%、白人12%、東洋系が1%です。人口の90%はアンデス 山脈の半乾燥地帯と乾燥した海岸砂漠地帯に住んでおります。そして首都圏のリマ付近の人口は、1994年12月現在、約620万人です。そのうち日系人は、日本に働きに来ている人々を含めて約10万人とのことです。
このように日系人の数はそれほど多くはないのですが、日本の南米移民船は最初に、1899年4月3日ペルーに到着しているのです。
そこで1999年には「南米移民100年祭」を盛大に執り行うそうです。時間の都合がつく方は是非ペルーを訪問してあげて下さい。私も桜の花の咲く頃を予定しております。
予定したスペースがなくなりました、次回は見てきたこと、印象に残ったことなどをお伝えいたしましょう。
大統領官邸を訪問して、衛兵交代のセレモニーを見学しました。
建物は権力者の地位が一般の人々と、どれほど違いがあるかを如実に示すものでした。
それと小学生が大勢セレモニーを見ていましたが、その笑顔が忘れられません。
日西有効会館で、今回の目的である桜の植樹祭、桜の苗木の贈呈式、その他
同行の大野先生による折り紙教室が開かれました。
リマには秋という季節が無いため、自然のままですと桜の花が落ちず、花が咲かないそうです。 人口的に桜の葉を取り去ることが大切な作業だという事です。
イカの空港からは6人乗りの単葉機でナスカの地上絵の現地に飛び、右に左に旋回をして見せてくれましたが、 肉眼で観るのが精一杯で、とても写真を撮れる状態ではありません。何人かは完全にダウンしてしまいました。 帰りに民族資料館に寄り、昔の生活、埋葬された骸骨などを観ました。
郊外では遺跡の間に点々ときれいな花が咲き、特にジャガイモの原種の繋の花
が印象的でした。観光地とあって、町中には土産物屋も多く並んでおりました。
しかし何が本物で、どの値段が妥当な値段なのか私には判りませんでした。
しかし目が利けば、リマよりは色々とお土産品が揃っていました。
私の乏しい経験では標高2500m一3000m以上では特殊な草木しか生えていない
と言うのが常識でしたから。さすがに世界の植物の八大原産地の一つだなと感心しました。
列車は途中いつの間にか濁流に沿って走っておりましたが、後で地図を見ると、それこそ
アマゾンの源流でした。しかしあの濁流がたった一本の線で描かれているだけでした。
途中停車した駅では現地の人が手作りの民芸品を一生懸命売ろうとする姿が
忘れられませんでした。
マチュピチュの駅からはバスと徒歩で、小一時間登って幻の空中都市にたどり着きました。
マチュピチュは世界遺産に登録されているだけあって一見の価値があります。
色々と現在も研究されているようですが、ナス力の地上絵と同じくまだまだ謎の多い遺跡です。
しかしこの謎は、現地の日本人会の長老も言っておりましたが、解かれずに謎である方がよいのかもしれません。