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弥生室内管弦楽団第23回演奏会




ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調

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 ブラームスの曲を多く紹介した指揮者のハンス・フォン・ビューローは、最初ブラームスのライバルだったワーグナーの陣営に属していたが、夫人だったコジマ(フランツ・リストの娘)をワーグナーに寝取られてから、以後評論家のハンスリックと共にブラームス派の宣伝部長格を務めることになる。ビューローにつかまると、ブラームスの第1交響曲は「ベートーヴェンの『第10番』」、第2交響曲も「ブラームスの『田園』」にされてしまう。この手のキャッチコピーには、さすがのブラームスも有難迷惑気味だったようだ。ついには1883年にこの第3交響曲を初演した指揮者のハンス・リヒターまでも、この曲のことを「ブラームスの『英雄』」と言い出した。
 自分の味方が妙な褒め方をする中で、ワーグナーは翌1984年生涯を閉じる。ブラームス自身はこの商売敵の巨匠には一目置いており、敬意を表して哀悼の意を述べたが、敵の大将亡き後、残された取り巻き連中のうるさいことといったらキリがなく、遠慮なく文句を付けてくる。自分のところの親分が時間も金も使い放題の豪快な大作を残したのに対して、ブラームスは「ああでもないこうでもないと細かいことにこだわるケチんぼのクソじじい」に見えるらしい。特にこの第3交響曲は、第1楽章も第4楽章も静かに終わるのが情けないと思われたようだ。
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