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弥生室内管弦楽団第27回演奏会
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 作品125

27th

 天下の大名曲「第9」の4楽章、例の「歓喜の歌」の中に「Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt」というくだりがある。学生の頃単位を取るのに苦労したドイツ語の貧弱な知識をもって意訳すると「世の中の都合で分けられていたものが、再び一緒になるんだ」となる。1989年ベルリンの壁が崩壊した時、東西のベルリン市民達がブランデンブルク門に集まり、ビールをがぶ飲みしてだみ声を張り上げながらこのくだりを歌う姿がTVに映し出された。第9が歌われるのにこの時ほどふさわしい場面はないと思いながらTVを見てると、こちらもついついビールを飲んで第9を歌いたくなった。「Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!(我ら火のように酔いしれて汝の聖殿に入らんとす)」というくだりもあるが、筆者の酔訳だと「火が出るほど飲んで神様の所に押し掛けようぜ」となってしまう。ベルリン市民はみんな歓喜のあまり「feuertrunken」しているように見えた。普通、そんな酔った連中が大勢でドヤドヤ上がり込んできたら、いくら寛大な神様でもちょっとお断りのところだが、この時だけは天下御免だったようだ。
 さて、当楽団が活動を初めてから今年で20周年で、とうとう第9をやることになった。第9が作曲されてから今年でちょうど180年だから、当楽団の活動期間は第9演奏史の1/9に相当する。実は、この20年間で、ベートーヴェンの交響曲の演奏スタイルはずいぶん様変わりし、当楽団のような規模の楽団でも「堂々と」第9を演奏できるようになったことを想うと感慨深い。というのは、ベートーヴェンの作品を作曲当時の状態で演奏しようという気運が高まったからだ。ベルリンの壁崩壊もその間に起こったが、それと第9の演奏史は微妙に関わり合っている。
 ベートーヴェンの時代はオケの規模も小さく、特に管楽器は構造が現代のものに比べれば単純で、音域や調性の関係で出せる昔には制限があった。第9もそのような制限の中で書かれている。後にオケの規模が大きくなり、楽器にも様々な改良が加えられたが、それに合わせて彼の曲も楽譜に抜けている音を補ったりする演奏が慣例化するようになった。つまり、近現代のオケのスタイルに合うよう化粧直しをされたわけだ。  ところが1980年頃を皮切りに、ベートーヴェンの交響曲は、慣例化していた変更をやめ、小編成のオケや古楽器オケで演奏されるようになってきた。第9だけは大編成オケ専用と思われていたが、やがてこの波に洗われることになった。楽譜も慣用版を原典に添って見直そうという動きがあったのだが、第9の場合、肝心の自筆譜が戦時中ベルリンの図書館からポーランドのドイツ占領地に疎開させられた後、行方不明になっていた。戦争で酷い目に遭ったポーランドが、ドイツに対する「担保」として極秘に保管していたからだ。それが1977年になってやっと元に戻された。しかし、当時は東ドイツの管轄下に置かれていたため、依然として閲覧は制限されていた。ベルリンの壁崩壊により、第9の自筆譜は再び世界共通の文化遺産となったわけだ。
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