巻頭言 | 神野 正博 |
医療のナレッジ・マネジメント | 梅本 勝博 |
病院の知とは | 西村 昭男 |
ITと病院のナレッジ・マネジメント | 神野 正博 |
■病院の知の集積事例 | |
ナレッジ・ベイスト・メディスン実践の「場」としてのクリニカルパス | 森脇 要・飯田 さよみ |
QCサークル活動による病院における知の集積 | 北島 政憲 |
バランス・スコアカードによるナレッジ・マネジメント | 山本 浩和 |
産業界では、欧米から様々な経営手法が紹介される。古くはデミング賞に端を発するQC活動から、BPR( business process re-engineering )、ERP( enterprize resource planning )、SCM( supply chain management)、CRM( customer relationship management )、そして最近医療界においても注目されているBSC( balanced score card )など枚挙に遑がない。これらの手法は、時代の流れとともに興隆と衰退を繰り返してきているのである。
産業界におけるIT化の進展とともに、ナレッジ・マネジメント( KM: knowledge management )という考え方も同様に紹介されてきた。この考え方が先に挙げた横文字手法と大きく異なる点は、逆輸入されてきたという事実はあるものの、メイド・イン・ジャパンであり、さらに、経営手法というよりは、ものの考え方、敢えて踏み込むならば、和を尊ぶ東洋的哲学であるという点であると思われる。
そもそも、医療界ほど経験の知識、暗黙の知識によって成り立ってきた業界はないと思われる。医療は専門職によるアートであり、匠の技によって成り立ってきたものであるといえるからである。
時代は、まさに医療の標準化と証拠に基づく医療( EBM: evidence-based medicine )を求めている。このような時にこそ、われわれは、一人ひとりの医療者が成功体験や失敗体験を経て獲得してきた暗黙の知識を、表に出して形式化することに取り組まなければならないだろう。形式化することによって、すべての医療者で考え方やテクニックを共有し、さらなる組織としての知識の向上を図れるのである。そういった意味では、ここで敢えてナレッジ・マネジメントというまでもなく、実際には各医療機関において、教育・研修の場で知らず知らずのうちに取り組まれている日常の情報共有のための活動そのものであるのかもしれない。
改めて、今回の特集では、ナレッジ・マネジメントの考え方を体系的に紹介するとともに、ナレッジ・マネジメントの場の設定に始まる実践例を紹介してみたい。
時代は構造改革が求められている。確かに、従来の経済成長は期待できず、しかも少子高齢化をはじめとして、人口減少、労働力人口の多様化、製造業の変身、価値観の多様化などP.F.ドラッカーのいう「異質な社会(ネクスト・ソサエティー)」1)が起こりつつあるからだ。医療の分野においても、社会からのニーズも医療消費者である患者の価値観も変わってきた以上、各病院は生き残りのための自助努力として構造改革を迫られているといえよう。
特に、国による医療費削減は医療機関の経営を逼迫し、強力なコスト削減努力を強いられる。これに対して、患者にとっては自己負担率が上昇することによってコスト意識が生まれ、価格上昇に見合った品質を求めて来ているのである。すなわち、われわれは「低コストで高い品質」の提供を求められているのである。そのためには、業務の見直しとともに効率性を求めた運営が求められ、病院組織そのものの見直しを迫られているといってよいだろう。
そこで構造改革のための強力なツールとして医療のIT化が存在すると思う。その中で、過去の業務流れや意思決定の流れをそのまま踏襲したIT化は混乱を招くものと思う。IT化を契機にした業務の見直し、組織の見直し、無駄の排除などの構造改革があってこそ、成功しうるものと思われる。
今後の医療は1)患者安全、2)医療の質の向上と信頼の確保、3)証拠に基づく医療(EBM) の取り組みなどが課題として挙げられている。これら全てがIT化のフィールドとなりうるものであるといえよう。
コンピュータはあくまでもデータを処理する道具であり、データが何らかの意味を持つ情報になり、さらに個人や組織の知識となり、新しい知恵を創造していく過程を補助していくものにすぎないという認識に立たねばならないだろう。
特に医療分野でわれわれは、「情報」を提供し、「情報」を共有しなければならないという観念にとらわれている。しかし、われわれが提供し、共有しなければならないものは「情報 Information」だけなのか「知識 Knowledge」もなのかを知る必要があるように思う。Oxford現代英英辞典によるとKnowledgeとは、「 The information, understanding and skills that you gain through education or experience 」であるという。これは、情報は五感を通して得ることができるものであり、それを教育や経験をとおして自分のものとすることによって「知識 Knowledge」とすることができるものと理解できる。すなわち、知識は情報の上位概念と考えていいものと思われるのである。
ITは文字通り情報技術である。情報を提供・共有することはITを用いることで十分可能である。しかし、情報を提供し、共有しても、その情報を有効に利用すること、すなわち医療の場合には患者の利益とならなければ、単なる自己満足に過ぎないものと考える。そこで、利用する者が情報を知識として自身のものとしていく仕組みが必要であると考えられるのである。
1998年の秋、ふとある月刊一般誌の記事に目がいった。ナレッジ・マネジメントとの出会いである。そこでは、著書「 Knowledge Creating Company 」(1996、邦題「知識創造企業」)2)で欧米を風靡した野中郁次郎教授が紹介されていた。氏の考えこそが、情報を知識として個人、組織の中で本当のものにする大きな道具であるように思えたのである。
実際、欧米におけるナレッジ・マネジメントブームも企業のIT化の進展とともに、その理論的根拠として受け入れられた概念であると聞く。経営資源として「ヒト、モノ、カネ」という考え方がある。これに加えて「知識」というものがこれからの資源であると理解したい。しかも、一般的に資源は使えば減っていくものであるが、知識は使えば使うほど増えていくものであると考えたい。ならば、最高の経営資源となるはずである。企業以上に、病院という専門職集団においては、多くは個人に依存した潜在する知識の上に業務が成り立っているものと考えられる。したがって、個人の知や「技」に依存する業務を、客観的な組織の知としていくことがきわめて重要なこととなっていくのだろう。
ナレッジ・マネジメントはTQM、TQC、KAIZEN活動のほか医療機能評価受審やISO認証取得などといった道具や基準ではないことを確認する必要がある。ナレッジ・マネジメントは、組織が新しい知恵を創造していくための考え方・概念であるのと理解したい。したがって、その実践に方法論や基準は存在し得ないものと思われる。
本特集の梅本論文を参照していただきたい。まず、知識には暗黙知と形式知があることを理解したい。暗黙知は、主観的な知(個人知)、経験知など文字や数字に表していない知識であり、形式知は、客観的な知(組織知)、理性知など、教科書やマニュアルなどで学び得る知識である。
ナレッジ・マネジメントの本質は知識創造のプロセスを明確にしていくことにあるようだ。すなわち、知識変換は次の4つのモード、各モードの頭文字をとったSECIプロセスにあり、このプロセスがらせん状に回転しながら上昇していくことによって個人の、そして組織の知が創造されていくものとなるという(図1)3)。
さて、本当に知識は管理( Management )できるのか?確実に管理できるのは、知識を創り出して、共有する環境(場)を提供することであると考える。それは、会議の設定であり、非公式なワイワイガヤガヤの場であり、ITというサーバースペースであると考える。すなわち、先のSECIプロセスを回転させ、らせん状に上昇させていくための場の設定が重要な要素となる。
そこで、病院における場として会議や委員会、さらには各種の発表会があり、多くの病院で従来からこれらを活用してきた。特に、後述するクリニカルパスの作成過程や安全対策に関する委員会の設置などは病院機能を高めていくにあたっての重要な場となろう。さらに、新たな知識創造の場としてITというサイバースペースに進出することは、新たな道具を得ることになるものと考える。
これらの場を、いかに必要なときに設定するか、あるいは現場が必要性を感じる以前に先を読んで設定するかは、管理者の重要な役割であると思われる。リーダーだけでは実際のSECIプロセスを回転させることはできない。しかし、SECIプロセスを回していく場を設定し、その場に明確な意義付けをすることは、誰でもないリーダーの役割であるということになろう。
恵寿総合病院では1995年の臨床検査システムの院内LAN( Local Area Network )化に引き続き、1997年のオーダリングシステムの導入、2000年の介護保険システムの導入と各関連施設間WAN( Wide Area Network )の敷設、2002年の電子カルテシステムの導入とIT化を進めてきた。これらシステムは現在39台のサーバーと645台のクライアントから構成され、総ストレージ量は7テラバイトに及ぶ。これらに貴重なデータを日々蓄積し、活用し、病院としての新たな知を形成していくことは、何によりも増した「経営戦略」であると位置づけられよう。
ここではIT上のナレッジ・マネジメントの場を示すとともに患者安全の視点、医療の質の視点、患者満足の視点からその意義と戦略を詳述したい。
電子カルテ
診療情報を格納する電子カルテも当然、医療における究極のナレッジ・マネジメントの場となる。当院の電子カルテシステムは2002年5月に導入した。電子カルテでは、今までの紙カルテのような医師経過録の部分、看護記録の部分、リハビリ記録の部分、薬剤管理指導記録の部分などというような分類は不要で、各職種が時間順に同じフィールドに記録を重ねていくことになる。種々雑多な記録が渾然とする中で検索機能により自分に必要なカルテ種のみを抽出できるものである。
医療の非対称性は医療者〜患者間で問題となるが、それ以前に医療者〜医療者間でも存在するように思われる。電子カルテの導入は、お互いの職種や同僚間で絶えず記録内容が見られていることに他ならない。すなわち、ピアレビューと監査に向いていることとなる。さらに、コンピュータさえあれば、院内のどこにいても診療情報を閲覧できることにより、ナレッジの連結のためのフェイス・トォ・フェイスの場をどこでも設定できることとなるのである。
@患者安全の視点
特に投薬や注射オーダーの場合、コンピュータはそのロジックさえ設定すれば、様々な警告文を表示することができる。例えば、過剰投与、配合禁忌、相互作用、重複投与など、システムによってリスクを回避できる体制を設定できることになる。しかし、これらのロジックや必要性を確認する場の設定が必要であり、ソフトウェアベンダーに設定までも依頼するわけにもいかない。過去の経験、インシデントレポート、さらに日本における他院の事例などを検討し、設定内容を確認する場の設定が必要となる。当院では場として、診療情報委員会であり、薬事委員会であり、医療安全対策委員会などであり、これら委員会を統括する管理会議ということになる。
A医療の質の視点
当院では、電子カルテ上に電子クリニカルパスを運用している(図4)。クリニカルパスを作成する過程はまさにナレッジ・マネジメントの場であるといえよう。すなわち、クリニカルパスというベストプラクティスを作成することで医療の標準化とともに患者への診療プロセス開示を行うことになる。そのためには、各職種が自分の持ち場で蓄積してきた知識を表出し、連結化していく必要があるからである。さらに、バリアンスを分析することにより、新たな経験から再度場を設定し、さらに改善されたクリニカルパスを作成する過程も存在する。これはSECIプロセスがらせん状に回っていくプロセスに他ならないだろう。その上、電子化によって、作成されたパスに上のオーダーや定型文書発行をワンクリックするだけで済ませることできる。かつ、バリアンスオーダー発生時にも、その理由をシステム的に収集する仕組みが可能となった。これは、業務工数の削減とともに、次の知識のらせんを回すためのバリアンス収集の強力な道具となっていくものと思われる。
また、電子カルテは先に挙げたように、情報の共有化とともに、各職種間の業務の透明性を高めることで、医療の質に最も貢献するところとなろう。当院で今年導入を予定するインターネット経由による連携医療機関との情報共有や患者への開示は、更なる質の向上に寄与するに違いない。
B患者満足の視点
今後の課題として患者とのナレッジの共有に医療者は努力しなければならないだろう。すなわち、診察室や説明室における医療者と患者との間の電子カルテの共有は、電子カルテの見読性の良さに担保されるであろう。さらに、今後のカルテ情報の標準化はネットワークを通じた情報開示と共有へ確実に進み、その情報を基にした知識の共有へ進んでいくことであろう。さらにネットワーク上でメールや音声を通じた質疑が実現する日は遠くないものと思われる。
場の設定こそ、ナレッジ・リーダーシップを発揮する管理者の役割であることを強調したい。場を設定することなく、いくら声高にナレッジ・マネジメントを唱えたところで、知識資産は増えるものではないと考える。先に述べたようにITという新たな場を設定するスペースが目の前に現れたことは、われわれにとって幸運な時期であるように思えてならない。
参考
1)P.F.ドラッカー著、上田 惇生訳:ネクスト・ソサエティ、ダイヤモンド社、2002
2)野中郁次郎、竹内弘高著、梅本勝博訳:知識創造企業、東洋経済新報社、1996
3)梅本勝博、神野正博、森脇 要、鎌田 剛著:医療福祉のナレッジ・マネジメント、日総研、pp32-39, 2003
4)神野正博:医療のデフレ下における対策〜顧客管理(コールセンターの開設). 病院 62 (2):124-126, 2003