コスト引き下げ型技術を重視せよ
日本でも、国際競争のないところでは、コスト引き下げ型技術がほとんど開発されていない。典型的なのは医療と教育の分野だ。
日本の医療費は年々増え続け、1994年には26兆円を越えた。国際競争がまったくないうえに、健康保険で守られているので、好不況にかかわりなく増え続けている。
医師や医療を所管する厚生省などは、高度医療が発達するので医療のコストが上がるのは当然だという。しかし、これはまことに奇妙なことだ。世の万物を見るに、技術が進歩すればコストは必ず下がっている。航空運賃も、電話料金も、テレビや自動車の価格も、技術が進歩すれば値下がりした。電卓などは、最初は20万円もしたのだが、いまは1500円だ。
もちろん、安全性や快適性、あるいは高速性の追求で価格を引き上げる技術も進んでいるが、それよりも激しい勢いでコスト引き下げ型技術が進歩し、全体としては値段は急速に下がるのである。
ところが、厚生省は医療だけは価格が一方的に上がるという。技術が高度化すれば価格が下がるという世の法則に反することを、ここだけでは当たり前のようにいってはばからない。これは、健康保険の点数性等のため、コスト引き下げ型技術開発が熱心に行われていない結果だろう。
実際、日本の医療からは、もっとも基本的な診断方法である問診技術が失われつつある。もともと内科医の最大の誇りは問診だった。「問診のできない医者は獣医だ」といわれたほどに重要な技術であり、コスト引き下げ技術の最たるものだ。問診によって医者は疾患の範囲を特定し、検査と投薬の量を減らして患者の苦痛や手間と費用を減らしてきたのだ。同時にこれが、もっとも効率的な予防医学であり、心理療法にもつながっている。患者は医師との対話によって安心を得るのだ。
ところが、医師の間に価格競争がほとんどない現行制度では、コスト引き下げは考える必要がない。そのため医師は、頭が痛いといえばすぐにレントゲンだ、脳波検査だ、CTスキャンだ、薬だ、ということになる。悪くいえば、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式の検査と投薬が横行しているわけだ。
もう一つ、消費者主権も国際競争もないのは教育、特に小中学校の初等教育である。日本の教育費はきわめて高く、子どもたちがこぞって学習塾に通うという奇習が広まっている。そして、ここでも、教育のコストを引き下げようとする研究はほとんど行われていない。
概していえば、文部省と厚生省と警察の三つの系統では、コスト意識がなく、消費者の意見も聞かない。それというのも、消費者を軽視または軽蔑しているからだ。
(以下略)
この問題に関しては、東京のK先生からもご意見を頂きました。