ある歌手によって、客商売に従事する人のみならず、日本人なら一度は耳にしたことのある馴染み深い言葉であろう。商売をする上では客を大切にしなければならないことは基本中の基本である。しかし、それだけの意味しか持っていないのだろうか。
こういうことを思い始めたのは正月にあった私の経験がきっかけである。コンビニでいきなり五万円を全て千円札に両替してくれと頼みにきた若い男がいた。コンビニのレジには、レジが2台の場合にはだいたい40枚ぐらいの千円札しか無い。もちろん、レジの中の千円札が無くなったときに両替ができるように準備はあるが、どの金種が何枚あるかは定かでは無い。仮に50枚の千円札をかき集めることができたとしても、その後のお客に迷惑がかかる。と、いうより、こういう時に限って、迷惑をかけることが多い。
私は、五万円全部はできないといったが、男はなおも両替を求めた。五千円札や五百円玉が混ざってもよいかと尋ねたが、男は執拗に全て千円で両替することを求めた。そして、もう一度私が「できない」というと、男は「客は神様違うんか。ここでもう商売するな。ボケ!」と言い捨てて立ち去ったのである。
お客様は神なのだろうか?神とすれば何ゆえ神たり得るのだろうか?私は、宗教学についてなんの知識も持ち合わせていない。しかし、一神教であれ、多神教であれ、あるものが決して人間に対する優越性を有するだけでは神とはなりえないだろう。なぜなら、これだけでは神のみならず「悪魔」や同じ神でも「邪神」なども含んでしまうからである。そこに俗世間に生き、神と対極に位置する人々の少々の畏れと大きな崇拝を集めて、はじめて神として認知されるのであろう。お客様が神様であるならばその対極に位置するのは店やそこに務める従業員ではないであろうか。
ここで、もう一度、「お客様は神様です」を読んでもらいたいと思う。なにか今までと違うニュアンスを感じることができないだろうか。私は、別にお客を従業員の下におくことを意図していない。ただ、少しは相手のことも考慮に入れた振る舞いをしてもらいたいのである。 なあに、相手は同じ人間である。商売なので、こちらはお客を畏れている。だから、事情を説明せずに急にキレたり怒ったり、店の名誉を傷つけるようなことさえ言わなければ、こちらの崇拝を得ることはできる。それだけで、お客様は神様となりえるのだ。
2001/01/19