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それから引き返して先ほどちょっと気になっていた神社の方に寄ってみた。鳥居があり拝殿があり本殿がある。鳥居はどこを原型としたものなのだろうか、赤い四脚造りの明神鳥居であった。
拝殿には額がかかっていて「温泉神社」と記されていた。本殿は大きさ一間四方の立派なもので、形式は日吉造りのようにも見えるがよく分からない。観察は早々に切り上げて、近くの畑で草取りをしていた婦人に尋ねてみた。何よりも聞きたかったのはこの温泉神社が村の神社なのかということだった。その婦人が教えてくれたのは、村の神社は山の神で、それはこの前の道をまっすぐにいったところにある、ということだった。山の神の神社ということでわたしはとても興味を持った。山の神を祀る村であれば、林業か、鉱山業か、狩猟かを主たる生業にしている村だということになるだろう。ここはほんとうはどういう村なのだろうか?
その婦人は、さらにこの温泉神社の祭神は薬師さまだということ、拝殿を開けて入っても構わないということ、そして熊が入ると困るので出る時は必ず扉を閉めてくれ、ということを言った。神仏の違いは気にしていないようだった。
拝殿の中には多くの剣額が奉納されていた。中に昭和九年、十年、十六年の銘が読めるものがあった。出征した村人の武運を祈ったものであろう。中に昭和十六年に江刺郡藤里村の願主が奉納した剣があったのが目についた。藤里はあの平安時代の兜跋毘沙門天のある村だ。それには「為祈願成就」とだけ願いが記されていた。それがどういう経緯によってこの温泉神社に奉納されているのか?
ともあれわたしは次に、教えてもらった山の神神社に向かった。十字路を越えるとほどなく神社が見えて来た。二百メートルほどまっすぐな道がつづいている。金属製の明神鳥居。鳥居には「山祇神社」の額が掛かっている。その先左右に燈籠が参道をはさみ、さらにその先には三間幅の社殿がある。社殿はの柱はなぜか黒く塗られているが、しっかり作られた建物の印象を受ける。社殿の額には「山神」とだけ書かれている。
その右手には、いくつかの群れに分かれて、いくつか石塔が立っている。読めないものも多いが馬頭観音が幾柱かあるのはわかる。東北地方にはこうした石塔が多い。そのそれぞれに村人が歴史の中にとどめておきたいと思った思いがあるのだ。
さきほどのまっすぐと神社に向かっていた道は、神社のところから右に曲がり、村の奥の方へと続く。歩けば数分で山裾に達するだろう。
わたしは、この神社の数十メートル手前のところに、さきほど庭に出て仕事をしているひとがいたので、その人に話を聞いてみたいと思った。この村にはどういう生業の人が多いのか。この山神神社は主にどういう人が祭祀をおこなっているのか。
その庭で仕事をしていたひとは藤井行雄さんという方だった。
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