はじめに何首かの歌を引いておこう。
在らざらむこの夜ののちを言はなくに天
心秋をひたす面影
鳥急に
山中智恵子の歌集『虚空日月』の中の「虚空
日月 二の抄」に収められている歌である。
わたしがこれらの歌を初めて目にしたのは
大学二年のとき、京大短歌会に入って間もな
い時であった。ある晩、ある友人がわたしの
下宿に来て、読んでごらんと言って雑誌『短
歌』に発表されたこの「虚空日月 二の抄」
のコピーをもって来たのだった。その
ころ文学部には熱転写式のコピー機があって、
用紙を持参してこの機械でコピーを作るのと
いうのが文学系の進んだ学生のスタイルにな
りはじめていた。彼が持ってきたのはその熱
転写のコピーだった。
「作者の山中智恵子は鈴鹿の山の気を吸っ
てすっと高いところまで抜けたひとだ」とい
うようなことをその友人は言っていた。彼が
帰ってから早速その三十二首の歌を読んだ。
さっぱり分からなかった。もちろんこれは和
泉式部を本歌にしている、とかはわかる。だ
が何を言おうとしている歌なのかがさっぱり
わからなかったのだ。どうにも取りつきよう
のない歌に思えた。
それから一週間ほどして、夜、もう一度そ
の歌群を眺めていた。すると、何がきっかけ
なのか分からない、しかし幾つかの言葉への
こだわりが一気に溶解しはじめて、驚愕とと
もに、この歌の世界が開けたのだった。それ
は夜の天心に達していた。驚くべく高い場所
だった。その高みはかつてどんな文学にも存
在したことがなかった。
以後、この『虚空日月』を解釈することが
わたしの仕事の核心になった。
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