飛騨に生きる人々と技(4)
越中の「江名子バンドリ」
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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越中の「江名子バンドリ」

 「江名子バンドリ」の流れや広がりを調べようと、富山県方面を調べに行った。蓑のことをバンドリと呼ぶ習わしは、飛騨の他に越中にもある、ということが大きな辞書には載っており、単に呼び名だけではなく、ものそのものにも、この二つの地域には関連がありそうに思えたからだ。三月の初旬、まず初めに五箇山を訪ねた。庄川沿いに、岐阜県の白川村の北に広がる、富山県の村々だ。今日では、その合掌造り集落が、白川村のそれとともに、世界遺産に登録されたことで有名なところだ。五箇山はとても雪深かった。そして、飛騨を水源に下ってゆく庄川は、雪を含んでいるためか、白緑色に、重そうに流れていた。


 初めに相倉(あいのくら)民俗館を訪れた。ある民家の入口に、使われて、さり気なく懸けられている、ゴザでできた帽子つきの雪具が目につき気になった。それは「ゴザボシ」というのだ、ということを民俗館の方が教えてくれた。雪の中でとても暖かいのだ、ということだった。民俗館にもバンドリがあった。それも江名子バンドリと同じように、肩まで覆う扇形の背蓑の部分と四角い腰蓑の部分に分かれ、それが腰のところでつながれたものだった。しかし、違いもあった。それは、第一には、藤井新吉さんの作る江名子バンドリ(それを「江名子式バンドリ」と呼ぶことにしよう)では、背蓑外側襟まわりを同心円状に美しく三〜五段に飾っている黒の麻紐が存在せず、代わりに数センチの幅で厚く重ねた藁を、紐で一段だけで止めていることである。また江名子式では補強のために集中的に縁部十センチほどに使われるシナの薄片が、背蓑腰蓑とも、蓑の外面全体に散らして使われていた。また腰蓑を肩紐につり上げて留めるための紐の輪も、ここのバンドリにはなかった。しかし全体の形態としては、とてもよく似たものだった。民俗館の人の話では、三十年くらい前までは村の中にバンドリを作る人がいたのだが、ということだった。これは、この相倉の村で作られたバンドリであったのだった。
 しかし、五箇山を数ヶ所訪ねたところ、この相倉の型の、背蓑・腰蓑の分かれたバンドリは、他のどこにも置いてなかった。あるのはどこでも背蓑の丈を長くして腰部の後ろまでを覆うような、背・腰の一体化したバンドリだった。菅沼の五箇山民俗館の小林亀清さんによると、相倉で見た形のものは、「金屋バンドリ」と呼び、昔庄川で材木の川流しをしている人が使っていたもので、それは山の作業には使わない、ということだった。考えてみれば、江名子バンドリも、主に田作業のためのものであっただろう。
 しかしまぎれもない「江名子式バンドリ」を、わたしは、御母衣の遠山家で、古川町の郷土民芸会館で、そして富山市の民俗資料館でみつけた。これらはどれも、江名子で作られ、そして運ばれていったものだ、とわたしは考えている。飛越の道をもっと探らなければならない。

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