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江名子バンドリ作りの伝承者、藤井新吉さんは、今年の二月に飛騨の里にお訪ねしたとき、蓑が詠みこまれている一首の歌を教えてくれた。
それは、
久方の雨の降る日も田蓑きて民の田業も怠たりぞなし
という歌たっだ。高山市江名子の荏名(えな)神社の神主だった方が作られた歌だそうである。この歌には、雨の中、バンドリを身に着けて田作業をしている江名子の人々が歌い込まれている、と考えることができるだろう。江名子の人は働き者で、江名子バンドリは、主に田作業に使われる蓑なのである。
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蓑が詠まれている歌はとても少ない。勅撰集の中には、わたしが調べた限り、一首もなく、私撰集の中でも、万葉集にただ一首歌われているだけのようだ。それは、
ひさかたの雨の降る日をわが門(かど)に蓑笠着ずて来(け)る人や誰(たれ)
という歌で、雨なのに蓑も笠も着けず、はるかにやって来た恋人のことを歌った歌だ。これからみると、蓑と笠は雨の日に外に出るための、普通の人の普通の装いであったようである。
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歌ではないが、蓑が出てくる最古の文献資料の一つに『日本書紀』神代紀の一書がある。それはスサノヲノミコトが手足の爪を抜かれて天上を逐いやられたときのことで、その時長雨が降っており、スサノヲは青草を結い束ねて笠蓑とし、神々を訪ね、宿を乞うたという話である。『書紀』は、ここから、笠蓑を着たまま、あるいは束ねた草を負ったまま、他人の家の内に入ることを忌む風習が生まれたと説明している。
民俗学者折口信夫は、この『書紀』の記事をさらに解釈して、蓑は人間でないしるしに着るもので、百姓が蓑を着るのは、五月の神事の風習が便利だから、それを真似するようになったものだ、と説いている。しかしこの説はどうであろうか。
確かに、石垣島のマユンガナシーのように、蓑笠をまとい杖をもつことが、神なり鬼なりといった人間ならぬもののしるしとなっている場合がある。京都の壬生狂言でも「節分」の鬼は、杖を突き、蓑と笠をまとって登場する。しかしそれは蓑と笠のせいなのだろうか。蓑笠はむしろ、面や手にする杖などとあいまって、人外のもののしるしになっているのではないだろうか。
また、藁蓑ではなく、スサノヲのように青草の蓑笠を身にまとう場合には、それだけで異類のもののしるし、ということになるのではないだろうか。
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蓑は奥が深いと思う。そしてそれは、何らかの仕方で古代の神聖なものとつながっているように思う。しかしそれも、蓑がもともとは雨具で、雨の中、長途の旅をすること自体が、尋常の人のすることではなかったためなのではないだろうか。
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