飛騨に生きる人々と技(6)
「江名子式バンドリ」と「ネコダ」
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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「江名子式バンドリ」と「ネコダ」

 四月の初旬、高山市の江名子に藤井新吉さんのお宅を訪ねた。江名子バンドリ(蓑)やその他の藁で作るものについて、さらに教えていただきたくてのことだ。高山から江名子に入ると、すぐ右手に荏名神社がある。本居宣長の高弟田中大秀が、文政元(一八一八)年に、当時「稲置(いなき)の森」と呼ばれ、安産の神と頼られていた小祠を、『延喜式』に載る荏名神社の跡と認め、再興した神社であるという。まずその神社に挨拶をして、江名子に入った。


 藤井さんのお宅では、わたしが御母衣や富山で見つけてきた江名子式と思われるバンドリやその他のバンドリ、そしてネコダその他の藁製品の写真を見ていただいた。わたしが江名子式と考えたものは、藤井さんもそうだろうと同意してくれた。また、襟の周りにくる同心円状の黒紐は、江名子のほうでは二ツオリ(二段)ということはなく、たいてい一番少なくても三トオリ(三段)で、その一番下の紐は太くするのだ、と新たに教えてくれた。写真をよく見ると、富山で見つけたバンドリも、御母衣のものも、三段目の黒紐は他段の倍の太さになっていた。


 そしてネコダの話もうかがった。四十センチ四方くらいの大きさの袋で、縒(よ)った藁を経(たて)にして、それを麻の緯(よこ)紐で、一段数センチの幅で八段ほどに編み止めたものである。作業に出る時など、弁当や鎌などの道具を入れて、背負ったものだという。江名子や高山方面では、ネコダと言えばおおむねこのような持ち運び用の道具入れをさすようである。
 しかし、わたしが飛騨、美濃、越中、越前などのいくつかの地域で見聞きしたところからすると、同じ「ネコダ」でも、幾らか違うものをさすことがあるようである。たとえば、富山市では「ネコダ」と言えば藁などで編んだ背当てのことで、幅三〇センチ、長さ一メートルほど、首まわりは真っ直ぐに長く切れ込み、腰下のところで少しすぼまったもののことを言うようである。同じようなもののことを五箇山の相倉(あいのくら)では「ネコガイ」と呼び、飛騨古川では「ネコ」と呼び、福井県の穴馬(あなま)では「背ミノ」と呼び、御母衣ではまた「ネコダ」と呼んでいたようである。そして道具入れの背負い袋の方は、御母衣では「テンゴ」、五箇山では「テゴ」、穴馬では「ワラテゴ」と呼び、また高山でも「テゴ」という呼び方があるようである。しかし古川では同じような背負い袋のことを「ネコダ」と呼んでおり、また奥美濃の明宝村でも「ネコダ」と呼ばれている。 ここには呼び方の混乱があるのだろうか。
 わたしの考えでは、「ネコ」や「ネコダ」というのは、もともとは「猫編み」という、猫の手で掻くようにして編み、矢羽根のような模様に仕上がる藁の編み方から付けられた名称で、それが道具の名称に転じたものではないかと思う。だから「背当て」にも、「背負い袋」にも、「ネコ」の名が残っているのではないだろうか。古川や明宝村の「ネコ」や「ネコダ」はそれを裏づけてくれるように思える。

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