飛騨に生きる人々と技(8)
飛騨の熊狩り
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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飛騨の熊狩り

 二月十二日に岐阜新聞本社を訪ね、この連載についての打ち合わせをしていたとき、大野郡の丹生川村でツキノワグマを仕留めたという二月九日の記事を見せてもらった。記事を書いたのは飛騨総局の女性記者だということだった。
 熊狩りについて、わたしは前々から関心を持っていた。日本の文化について考えるとき、そして古代の文献を読むとき、人々は狩猟の文化のことについて余りにもわずかな関心しか持たない。そしてそのために、文献の解釈がおかしくなっていたり、列島の文化の評価や理解に少なからぬ偏りが生じたりしていることがしばしばあるようにみえた。
 また、狩猟文化の研究においても、秋田県をはじめとする東北地方の熊狩りについてはよく研究されているが、飛騨の熊狩りとなると、その記録を目にすることはきわめて少なかった。秋田県の阿仁(あに)のマタギ(猟師)たちが、黒部や飛騨に入ったことがある、ということは言い伝えられていても、その実態についてはほとんど何もわかっていない。とりあえず、今調べられることだけは調べてみようと思った。


 二月九日の記事の熊を仕留めたのは、村上能亮(よしあき)さんと橋本繁蔵さんの二人だった。JA飛騨に勤めているわたしの友人の三島中(ひとし)さんから、丹生川村にも熊撃ちをしている人がいる、ということを前から聞いていた。電話で尋ねると、村上さんは丹生川村の人で、よく知っている人だという。三島さんの案内で二月十三日に村上さんのお宅を訪ねた。村上さんは昭和七年の生まれの六十八才である。熊狩りのことなら橋本さんが名人だからそちらに聞いてくれ、と言いながら、いろいろな話をしてくれた。
 熊狩りの時、村上さんはたいてい二人で山に入るという。そして犬を連れてゆく。熊のいそうなところには前々から見当をつけてあるが、そばにいるかどうかは犬の様子を見ていればすぐ分かるもののようだ。村上さんの狩りは「穴熊猟」といわれるものだ。冬眠中の熊が籠っている樹のウロ(空洞)や岩穴を見つけ、そこから外に誘い出して仕留めるやり方である。外に誘い出すのは、仕留めた熊を運ぶときのやり易さと、穴に血の臭いが残らないようにするためである。血の臭いが残っていると、翌年から熊がそこに入らなくなるという。


 伝統的に、熊狩りには「穴熊猟」の他に、「罠猟」や「巻狩り」というやり方もあるが、罠猟は今は禁止されている。巻狩りは阿仁のマタギの得意とする技だが「シカリ」と呼ばれる長の指揮の下、まず熊のいる位置を見定め、熊の逃げて行きそうな場所に撃手を配し、下から勢子で追い上げてゆく集団猟である。飛騨にも巻狩り猟があるのだろうか。吉城郡の方では「熊の追い込み」という猟法があるという。また白川村にも巻狩りがあると聞くが、あるとすればそれは他の地域の熊狩りとどう関係するのだろうか。そんなことも更に調べてゆきたい。

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