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折敷地出身の熊狩りの名手、橋本繁蔵さんの熊猟はもっぱら穴熊狩りである。そして、猟期の関係もあるであろうが、今日、飛騨では、檻猟と、害獣駆除としての集団猟が若干あるものの、丹生川においても、上宝においても、神岡や河合、宮川においても、熊猟のほとんどが穴熊猟である。そしてこの穴熊猟というのは、熊猟として最も合理的なものではないか、と私は思うのである。
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先にも少し触れたが、猟の時期からすると、罠猟を除いた熊猟はおよそ三つに分類される。秋の冬眠前に樹に上っている熊などを撃つ秋熊猟。冬眠中の熊穴を狙う穴熊猟。そして冬眠から覚め穴から出た熊を雪原に追う出熊猟である。そしてもう一つ、不定期の猟として、畑や果樹園に出た熊を害獣として追う、いわば「害獣駆除猟」と呼ぶべきものも上げられるかもしれない。これらの猟のうち一番昔からあるのはどれなのだろうか。私はやはり、穴熊猟が最も古くから行われていた熊狩りではないかと思う。少なくとも、十世紀初頭に『延喜式』の中で、美濃国、信濃国、越中国に(ここにはなぜか飛騨国が含まれない)、年料として、薬としての熊の胆(胆嚢)を貢進すべきことが定められた時、熊猟の狙いは、まずもって熊の胆に見定められていたと見ることができる。そして熊の胆を取るためであれば、冬眠の末期、胆がいちばん大きくなっている時に仕留めるのが最も合理的なはずである。熊の胆は、今日、商品として、重さあたり金と同じほど高価なものなのである。
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そして、穴熊猟の利点は、さらに幾つかある。この時期、熊の毛は、柔らかい毛のたくさんついた冬毛になっており、それは毛皮として、上質の商品になる。またこの時期は、料理に、薬に、クリームにと、いろいろな効能のある脂も、出熊と違って、数センチほどのたっぷりとした厚さがあるのである。
また、狩猟をする上でも、利点がある。まず、冬眠前の動きを観察し、アタリやカジリの確認さえしておけば、今熊がどの穴に冬眠しているかということがほぼ分かる、というのも大きな利点である。足跡のつかない秋熊は、追跡が容易ではなく、また雪上に足跡を残す出熊も、跡を見失ったり、長距離に及んだり等、追跡するのは容易でない場合が多い。
また穴熊猟は、歩きにくい雪の中での狩りとはいえ、その籠る穴についての知識や情報さえあれば、一人か二人で狩りができる。これも利点といえるだろう。穴熊狩りは、概ね十人ほどの人数が必要となる出熊の巻狩りに比べれば、個人として、大変動きやすい狩りなのである。私は、飛騨を中心に、熊猟をしている人からいろいろ話を聞いて、熊猟の基本は、巻狩りではなく、むしろ穴熊猟なのだということを確信するようになった。熊猟のタイプの問題は、むしろ、ここではどうして不利な巻狩りなどをするのだろうか、という風に立てるべきなのであろう。
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