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「マタギ勘定」と言われるものがある。それは春先の出熊の巻狩りなどの集団猟で獲った熊を、狩猟の参加者全員に、厳密に均等に分配するやりかたのことである。狩猟研究家田口洋美さんの記載によれば、阿仁のマタギの間では、まずナガセ(背肉と背骨)、アバラ、エダニク(四肢の肉)、ヨロウ(股の肉)、シコズキ(腰の肉)などに分けられる肉のそれぞれの重さと内臓の重さを量り、その中から祭り用に保存しておくものと、解体した日に皆で食べる分を差し引いて、残りを、各部分ごとに、参加者全員の取り分が等しくなるように切り分けるのである。そして、毛皮、背骨以外の骨、舌、心臓、性器、肺は狩りに参加したマタギたちの間で競売され、その金額と後日別に売り捌かれる胆の代金とを足して、そこから弾代などの必要経費を差し引いた分が、また参加者全員に等しく分けられるのである。こうしてきわめて厳密に平等な分配が、参加者の間でなされるのである。
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この「マタギ勘定」のような均等な分配は、熊の集団猟が行われる場合にはどこでもなされているようである。私が六月はじめに訪ねた吉城郡宮川村塩屋のあたりでは、熊狩りはもっぱら有害鳥獣駆除としての出熊の集団猟であるが、その場合にも、皮と胆以外は参加者で均等に分配される。そして皮と胆は猟の参加者の間で競売にかけられ、その金額は、宮川村の考古民俗館の維持運営費に回されるという。そのことを、私は、その考古民俗館で紹介していただいた地元の狩猟経験者、上野範三さんからお聞きした。
また、どこまでを猟の参加者と認めるか、ということについても、地域によって、集団によって、若干の違いがあるようである。赤坂憲雄さんの著述によれば、山形県小国の小玉川では、猟に行けない人は米を二、三升さし出し、それで、獲物があれば分け前を平等にもらえる、ということがあったという。
また、巻狩りにおいても、分配も完全な均等ではなく、仕留めた者がまず優先的に取る、ということもあるようである。秋山郷では、仕留めた者がまず全体の一割を取る、というしきたりだそうである。
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小玉川でも、オソと呼ばれる罠猟では、その罠場の権利は部落のものではなく、三、四人の組のものであったという。その獲物も、当然その人たちのものである。しかし小玉川では、熊穴は部落持ちであったという。そうであれば、穴熊猟の獲物は、原則として部落全体で平等に分配されるべきものであろう。穴熊猟の獲物が、それを発見し、仕留めた者たちのものとされるか、それとも部落の共有とみなされるか、そこには大きな違いがある。この違いをどう考えたらよいのだろうか。
私は、熊狩りには、巻狩りにせよ穴熊狩りにせよ、最後には、猟師と熊との、一対一の命のやり取りというところが残っていると思う。だから、獲物の私有/共有の違いは、猟師の命が、その人のもの、とみなされるか、それとも部落のものとみなされるか、という違いにも対応するであろう。
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