飛騨に生きる人々と技(15)
宮川村
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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宮川村

 私が初めて宮川村を訪れたのは、今年の六月三日のことだった。そこの「飛騨みやがわ考古民俗館」のことを知り、二月にも行こうと思っていたのだが、雪の深い時期のこと、その日は、閉鎖はされていないと聞いたものの、国道三六〇号線を北の猪谷の方から入る道に不安があったために、あえて無理をしなかったのだった。
 六月のその日も、昼ごろから、時折激しく雨の降る天候になった。神岡まで来ていたが、その悪天候のため、山之村を通って富山県有峰湖の北端の「有峰記念館」に行く計画はあきらめ、それに代えて宮川村の資料館に向かったのだった。驟雨は時折激しく襲いかかり、工事中の国道は、こんな積雪のない時期でさえ油断のできない道路だった。
 午後三時ごろに宮川村塩屋の資料館に着いた。その資料館についてはまた紹介する機会があるだろうが、展示品の内容も、見せ方や説明も、特筆すべきほどに、大変整ったものであった。土器を中心にした縄文期のものの展示も立派なものであるが、民俗的なものの方も、細かいものにもよく気の回った収集であり展示であった。例えば、ソリ(橇)についてのまとまった展示は、私にとってはじめて目にするものだった。


 その資料館で、この辺りの熊猟について話をうかがえる人を紹介していただいた。上野範三(のりぞう)さんである。雨の中、歩いて二、三分のところのご自宅におうかがいしたとき、上野さんは奥さんの蓮江さんと一緒に、土間でタケノコの皮剥きをしていた。スズタケという、二、三センチの太さで十センチほどの長さのものである。今日採ってきたばかりのものであろう。薄皮を剥くと、つやのある、みずみずしい薄緑色の身が現れる。この時期、熊もこのタケノコを取って食べているので、下ばかり見て山菜を採っている人と、互いに気づかないまま出くわしてしまうことがある。だから自分は一人で山に入って山菜採りをするときも、ヨボッて(呼びかけながら)採るのだ、と蓮江さんは言う。五月二十五日に、神岡の山中で、富山から山菜採りに来ていた夫婦が熊と出会ってけがをした、ということが先日のニュースになっていた。熊との当然の付き合い方というものがあるのである。


 上野範三さんは、この地方の熊狩りについて教えてくれた。ここでは穴熊猟はしない。それは、雪がすごくて冬は山に入れないからだという。だから、熊は冬眠中は奥山で寝るが、猟師の目にはその居場所がわからないのだ、という。木曽福島の樋口さんも言っていたように、雪のすごさ、それが穴熊猟を困難にする非常に大きな要素なのである。だからこの辺りでは、熊狩りは、そのほとんどが、実際に危険があった場合の、猟友会による集団猟なのである。熊そのものは、この山深い村に、始終出入りしているようである。もちろん主に夜、人に姿を見られないように、であるが。この村の生活の組み立ての中では、熊がそばにいるということがあたりたりまえのことなのである。

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