飛騨に生きる人々と技(17)
飛騨各地の熊猟
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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飛騨各地の熊猟

 高山にある県事務所(飛騨地域振興局)の環境課を訪ねたのは六月二日のことだった。飛騨の各地域の鳥獣の捕獲頭数の毎年のデータを、猟期とそれ以外の時期とそれぞれに、教えてもらいたかったからである。そのデータがあれば、たとえば猟期(十一月十五日〜二月一五日)に熊の捕獲がない場合、そこでは穴熊猟は行われていないと推察することができるのである。そして猟期には捕獲がなく、有害駆除では捕獲があるという場合には、出熊猟が行われている、と推測できるのである。また罠猟についての集計もあり、それらによってその地域の熊とのつきあい方が幾らか見えてくるのである。飛騨地方の各地域別のこうしたデータは県庁の方にはなく、それは高山の県事務所の方にあるはずだ、ということを県庁で聞いて、訪ねたわけである。
 環境課技師の堀部佳子さんは大変な勉強家のようである。四月にこの課に来たばかりだというのに、面倒ないろいろの質問に、『狩猟読本』などで確認しながら、大変正確に答えてくれた。堀部さんの話からは、飛騨地方では熊の有害鳥獣駆除としての捕獲はできるだけ制限する方向であることがうかがえた。
 狩猟の統計データの方は、残念ながら平成十年度のものしか残っていなかった。これは飛騨地方の動物棲息に関する最も基本的なデータであり、その経年の変化を見るためにも欠かせない資料であるので、過去の年次のものをぜひとも揃えておいてほしいと思ったのであった。
 その、飛騨地方の十年度のデータでは、猟期におけるクマの捕獲は、神岡町の十四頭と上宝村の十頭という数字が突出しており、他には丹生川村の四頭、古川町の三頭、そして高山市の一頭という数が資料に上がっている。他の地域では捕獲(の届け出)がなかったということである。白川村や河合村、宮川村で捕獲がないのが少し意外であったが、やはりそれは雪深いせいであろうか。ともあれ神岡、上宝という県の北部地域が飛騨地方の熊狩りの宝庫であるということが分かる。


 環境課の堀部さんに、飛騨猟友会の会長、倉家正儀(くらけまさぎ)さんを紹介していただいた。倉家さんには、電話で、飛騨の熊狩りについての話をうかいたいとお願いしたところ、あわただしい中、早急に手配をしてくれて、六月四日の夕方に古川町の事務所で話をうかがえることになった。
 倉家さんは、同じ古川町の猟友会の伊藤弘次さんを呼んでくれていた。伊藤さんは、若々しく、活力にあふれた方だった。伊藤さんは、熊猟を専門にしているわけではないが、お話からは飛騨の熊猟の全体に精通していることがうかがえる。後で聞いた話だが、伊藤さんはテン(貂)の罠猟では岐阜県での第一人者だという。柿の木などにくくりわなを仕掛けるのである。その技術を、伊藤さんは四国の人から学んだという。ここにも技術の伝播というもののひとつが確実にあるのである。

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