飛騨に生きる人々と技(19)
飛騨の追い込み猟
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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飛騨の追い込み猟

 吉城郡古川町には、すでに故人であるが、名張与四郎さんという方がおられた。昭和六十三年に逝去されたそうである。氏は、川漁の振興に関して大変大きな業績を上げた方であったが、また山猟にも精通された方であった。山猟・川漁の経験について氏の語ったものが、飛騨郷土学会発行の『飛騨春秋』、一九九四年十月号から九五年三月号に掲載されているが、その中には、わずかではあるが、飛騨地方における熊の「追い込み」についての叙述が見られる。この「追い込み」というのは、いわゆる「巻狩り」のことであり、この叙述は「飛騨の巻狩り」についての数少ない記録のひとつになるものである。知る人の少ない資料なので、紹介しつつ論じてみたい。


 名張氏によれば「追い込みは初冬の初雪の時や、春熊が眠り場から出て足跡をつけた時などに行う」という。秋田県の阿仁地方では、巻狩りは春に熊が穴から出て食べ物を食べはじめるまでの数日間を狙うものであり、初冬であれば巻狩りはせず、足跡をつけていって風下から仕留める忍び猟をするのだと聞く。初冬の追い込み猟があるというところは飛騨と阿仁の違いと言えるだろう。
 追い込みはまず熊が休んでいるところの見当をつける。見当がついたら「その付近の尾根の一番低いところ」を「待場」とし、そこに射撃の名手を一人付ける。場所(狩場)がひろい時は、待場を二、三ヶ所につけることもあるという。そして待場の準備ができてから、セコ(勢子)が入る。このセコの呼び方の出来・不出来が熊が獲れるか獲れないかの別れ道になるという。セコはまず熊の先回りをして、熊がこの場から外に出ていないことを確認し、それから一キロぐらい歩いて谷の出口まで下りる。それから、声を出すのだが、まず右手に向かってオーイと一声、次に左手に向かってオーイと一声叫ぶ。たいていの場合この二声だけで熊を追い込むことができ、出てきた熊を待場の者が撃って仕留めるという。二声で熊が出ない時は、熊はもう狩場にいないものだという。


 簡単な叙述であるが、これを見ると、飛騨の追い込み猟は、比較的狭い猟場で比較的少ない人数で行われるもののようである。もっとも、信州秋山郷でも巻狩りは最少では三人で行われるというので、猟場が狭い場合なら、二、三人でも十分に追い込み猟はできるのであろう。また、熊(ツキノワグマ)の習性は共通しているようであり、熊は逃げる場合、おおむね尾根の方に向かい、尾根の少し緩やかになったところ(阿仁では「ダルミ」と呼ぶ)を越えようとするものなので、撃ち手はそこに配されるのである。そこを「待場」と呼ぶのは阿仁と共通している(阿仁では「マチッパ」)。しかし秋山郷ではそれをヤバ(矢場)と呼んでいる。猟場そのものは、阿仁では「クラ場」、秋山では「巻き場」と呼ばれるが、飛騨では特別な呼び名はないようである。そして一番気になるのは、阿仁で「シカリ」と呼ばれる狩りのリーダーがどうなっているのか、ということである。探求を続けよう。

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