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岐阜県ということでいえば大野郡白川村の他にもまだ幾つかの地域で、巻狩りが行われている、もしくは行われていたようである。揖斐郡旧徳山村はそれで有名であり、また郡上郡白鳥町石徹白、そして武儀郡板取村である。これらは県の西部の、石川県、福井県と接する地方である。そして福井県で言えば、和泉村の穴馬でもかつて巻狩りが行われていた。これらの地域には、熊狩り技術の上での何らかのつながりがあると思われるが、それについての探求はまた後日を期したい。
今わたしが考えているのは、飛騨の熊狩りについて何人かの猟師に聞いたり、本で読んだりしたことから考えて、飛騨の熊狩りにはとても顕著な特徴があるように見える、ということである。それは、穴熊猟に関して言えることなのだが、穴熊猟をする時、飛騨では熊を穴からすっかり出してから仕留めようとする、ということなのである。橋本繁蔵さん(高山市)や村上能亮(よしあき)さん(丹生川村)から聞いた話の印象では、穴熊猟にもいわば勝負の時という瞬間があり、それは、熊が穴からすっと出て身構え、これから逃げるか、戦うかを決め、行動に移る手前の一瞬なのである。そういう一瞬が必ずあるようなのである。そして猟師は、その一瞬を逃さずに捉えられるかどうかが勝負なのである。
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これは、飛騨の穴熊猟では、他の多くの地域で行っているような、穴の入口に柵をこしらえて、熊が急に外には出られないようにしてから仕留める、というやり方をあまりしない、ということでもある。もちろん、柵を作るということをまったくしないかどうかは知らない。安全を第一に考える時は、柵を作ってから仕留めにかかる、ということもあるのだろうと思う。しかしそれは、たとえば信州秋山郷の穴熊狩りで、熊穴の入口からヤライ(矢来)とよぶ枝の張った木を差し入れ、急に熊が出るのを妨げるのが当たり前になっているのとは、随分事情が違っているのである。日光山地の栃木県藤原町芹沢でも、熊が出にくくするためにヒトクサと呼ぶ枝の張った木を差し入れ、それから火を焚いて熊を煙でいぶり出し、ヒトクサで熊がまごついているところを撃つのだという。また、きちんとした柵を入り口にこしらえて穴熊猟をするところとしては、同じ日光山地では、同県粟野町入粟野が挙げられる。また飛騨の白川村でも、岩穴の熊猟では、入口前に柵を打ち並べてから熊を入口に寄せ仕留めた、と川口孫次郎氏は記している。
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ともあれ飛騨の熊猟では、柵を作って身の安全を図った上で狩りをする、という形はまれなようである。そしてそういう仕掛けをしない猟は、とてもスリルがあると思う。穴から出た熊が、戦うか逃げるかを決める前のその一瞬を捉えること。熊との命のやりとりとなるその一瞬があるということ、それが飛騨の熊狩りを本来の熊狩りにしているものであるように見えるのである。
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