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熊狩りを専門にしている高山在住の猟師、橋本繁蔵さんは、大野郡丹生川村の折敷地の出身である。六年前、折敷地にダムができるということで高山に移り住んだが、折敷地で百姓をしていた時と違い、町では何をするにもお金が要り、大変だ、といっていた。橋本さんは、今、建設業に従事している。今度夏厩(なつまい)にできる東海北陸自動車道のインターチェンジの工事をしている、と今年の二月にお話を聞いた時には言っていた。 また他に、いつの話とは聞いていないが、林業にも豊富な経験があるようであった。飛騨の各地はもちろんのこと、杣(そま)仕事でも、能登をはじめ、中部・北陸各地の山に入ったことがあるということだった。こうして各地の山とともに、動物や狩猟法について、見聞を広め、深めてきた。
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熊狩りの名人と呼ばれる橋本さんである。熊の捕獲頭数でも日本で有数らしい。そして冬、たいていは一人か二人で狩りに行く。今は丹生川村の村上能亮(よしあき)さんと組んでいるが、以前は高根村の人と組んでいたという。その橋本さんが、母熊を撃った時には、遺された仔が「かあいそー(可哀想)でならねー」と言っていた。可哀想で、家に連れて帰って育てようとしたこともあるという。しかし数ヶ月もすると大きくなって、どうしようもなくなってしまう。今では熊牧場でももらってくれないのだそうである。「仔がいるとわかってりゃー撃たねーんだが」とも言っていた。
母熊は、冬眠中の一月末から二月はじめに、たいてい三百グラムほどの仔を二つ生む。そして母熊は、冬眠中自分たちが襲われると感じたときにはわが仔を食べてしまうのだという。それは遺すと、仔が可哀想だからだろう、と古川町の伊藤弘次さんは言っていた。遺された仔熊の可哀想さは、母熊の思いとともに、熊狩りをする猟師こそよくわかっているものであろう。
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アイヌの重要な祭に、イオマンテというものがある。熊の魂をあの世に送る祭である。そこで送られる熊は、仔熊から大事に育てられたものであるが、アイヌの人はその仔熊を神様からの預かりものだと言う。アイヌの人たちはそうした仔熊を、とても大事に育ててきたように見える。そうしてイオマンテで熊が殺される時にも、女のひとたちはみな涙を流している。しかし神様からの預かりものの仔熊も、実際には、母熊が人に狩られ、遺された仔なのであろう。アイヌにも穴熊猟をはじめ何種類かの熊狩りがある。イオマンテで送られる熊には、生後一週間にも満たない時に熊穴で母熊が獲られ、遺された仔もあることだろう。イオマンテとは、そういう仔を遺した母熊の哀れを慰めるところに、その心情の基礎があるのではないだろうか。熊が送られるあの世は、まずは母熊のいるあの世であろう。そういう文化の基礎となる心情を、熊猟は今日まで伝えているのである。
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