飛騨に生きる人々と技(29)
榑剥
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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榑剥

 十月八日、秋の高山祭の前日に、飛騨の里へ行った。榑(くれ)へぎの技術を伝承している方がいて、今日は飛騨の里でその作業を見せてもらえる、と聞いてのことだ。飛騨地方の民家の屋根は、昭和二十年代にトタン葺きが本格的に普及するまでは榑葺(くれぶき)か萱葺(かやぶき)きであったと聞いていた。どちらも冬の凍結に強い屋根であるが、飛騨でも北部・西部の多雪地帯では萱葺きが主だと言われている。そう思って飛騨各地の昔からありそうな家の屋根を見ていると、ここは昔は榑葺だっただろう、ここは萱葺きだっただろうということがすぐに分かるようになってきた。勾配のゆるやかな屋根は榑葺で、比較的急なものが萱葺きである。しかしいまやどちらも少なくなってしまった。


 飛騨の里で学芸員をされている岩田崇(たかし)さんに榑へぎ技術の伝承者である山口末造(すえぞう)さんを紹介していただいた。飛騨の里の中にある旧中薮家の建物の中で、山口さんは榑葺屋根の材料となる榑(くれ)板を作っていた。それは主として飛騨の里に移築された榑葺の旧家の屋根を葺き替えたり、補修したりする材料となるものである。
 山口さんは、ほかに他県からも呼ばれて、伝統的建造物の屋根の葺き替えをしてきたこともあるそうである。例えば、長野県の妻籠(つまご)にも行き、屋根を葺いてきた。また群馬県の富岡市へも行き、そこでは、五百何十年もたつ、日本で一番古いという榑の屋根を葺いてきた。それは文化財の修復を請負っているひとから呼ばれてのことだという。その建物は、一尺五寸の長さの、クリの榑板で葺いた。その榑は、こちらでこさえて持っていったものだった。
 また、石川県にも榑葺の需要はあり、そのときは自分では葺かず、榑板を送ってやっただけだったという。


 飛騨では、屋根葺きに使う板のことを榑と呼ぶ。しかしその呼び方は地方によって色々のようである。「せんまい板」とか、「トントン」とか、「こうばん板」とか、在所によっていろいろな呼び名があるという。しかし飛騨ではむかしから、「木」偏に「専」と書いて「くれ板」と呼んでいる、という。
 山口さんは古川町出身で今七十四歳だが、自分が二十歳の時分はほとんどがこれ(=榑葺屋根)だったという。今から五十年ほど前のことである。そのころ、榑へぎや榑葺を習っていた者の中で、山口さんが一番若かった。こうして山口さんは、飛騨で最後の榑へぎ技術伝承者というような存在になった。同じく屋根葺に用いることのあるネズやスギであれば、それを榑板にこさえてゆくのはそう難しいことではない。半ば冗談のように、山口さんは、「ネズなら目をつぶっとってもやれる」と言っていた。針葉樹と違って、クリは、まっすぐに板を剥ぎ取ってゆくのがとても難しい。山口さんのその作業を二時間近くも見せてもらっていて、わたしにもその難しさは感じることができた。

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