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十月八日、飛騨の里で、山口末造さんは、太い木を割り、剥(は)いで、榑(くれ)を作っていた。榑とは屋根を葺くための薄板である。その作業を「榑剥(くれへぎ)」という。わたしが見たとき、山口さんは、クリの木を榑に剥いでいた。そのとき使っていたクリは百年以上たったものだそうである。しかし、榑を作るにはもう少し若い木の方が仕事がしやすいという。歳が寄りすぎると、中の方の芯のところにねばりのないところができて、いくらあたためてもポロポロで、だめなのだそうである。作業場の隅には火床が作られ、その上で四つ割りのクリの木が温められていた。直径にすれば四〇センチぐらいの太さになるものである。こうして温めるのは、ねばりをだすためである。
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榑を剥ぐために、道具としては、「万力(まんりき)」と木槌と、そして「矢」と呼ぶくさび、そして何種類かの小刀が使われる。中でも中心になるのは万力である。万力とは、刃渡り二十五センチ、幅四センチほどの片刃の厚い直刀に、それと直角に、取っ手を、鎌と反対の側にとりつけたものである。
わたしが見学した作業はこんなことになる。丸太を四つ割りにし、温めたものを用意する。その四つ割り材の一つの辺と平行に、十センチぐらいの幅のところに万力を当て、木槌でたたき、さらにくさびを当て、木槌でたたき、下まで割る。こうして二つに割ったものの、芯に近い方の材をまず取り上げて、それをさらに半分ぐらいの厚さに割る。そしてそれをさらに半分ほどに割るのであるが、今度は木のクセがよく分かった上で、こちら側から四枚取りあちら側から三枚取る、というように最終的な見当を付けて割るのである。それから一枚一枚の榑を取っていくのだが、クリ材が、上から割いていって、なかなかすなおに真っ直ぐ割れていくものではない、ということは見ていてよく分かる。それを山口さんの熟練の技は、万力への力の入れ方を加減したり、裏表を変えてなだめたりしながら、決まった長さの榑が取れるように、下まで剥ぎ進めてゆくのである。この時は二尺四寸(約七二センチ)の榑を作っていた。
取れた榑板は、刃渡り二十五センチほどの小刀で表面や角の荒いところを取り、あまり平らでない板は、さらに刃渡り五センチほどの小刀で、斜めに、板の中ほどすぎまで一本、中ほどから一本と傷を入れ、その傷にそって曲げて、ゆがみを少なくするのである。傷はつけない方が丈夫なのだが、ゆがんでいると葺けないのだそうである。
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建築学者の伊藤ていじ氏は、榑葺について、それは板を年輪と平行に取り、それゆえに雨を通さないのだ、と説明している。しかし、少なくとも山口末造さんが伝承している飛騨の榑へぎでは、榑板を年輪と平行に剥ぐということはしていない。そしてそれで榑が水を通すということもないのである。伝承技術には深い知があるのだろう。
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