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昨年の十一月十九日に二本木(大野郡清見村)に行ったとき、わたしは、わたしにとっては初めてのある光景を見た。二本木のあたりは、南北に走る県道九十号線の西側に数百メートルの平坦地が開け、そこに水田が営まれているのだが、その刈り跡にカラスが十羽ほど降りて何か食べ物をつついていた。するとその上空に一羽のトンビ(鳶)が現われ、威嚇するようにゆっくりと旋回を始めた。しかしほどなく山手のほうから急に一羽のカラスが現われ、そのトンビの背の上、数十センチのところに付き、上から今にもつつかんばかりに攻撃を始めた。突然の襲撃に態勢を整えるひまもなく、トンビは一方的に逃げ回っていた。そしてどれだけ逃げ回っても、どこまでも背後に付くカラスを振り切ることができず、数分間そうして逃げ回った後、とうとうそこのエサをあきらめて、下手の方に飛び去っていった。トンビを追い払ったカラスは、意気揚々と仲間たちのいる餌場に降り立っていったのだった。
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肥垣津(こいがやつ)光雄さんは二本木最後の榑葺の家を維持してきた。光雄さんに聞いても、クリから榑板を取るのはちょっと難しいという。ネズならば自分でもできそうだが、クリはできないと言っていた。クリの榑剥(へ)ぎは専門の技を身につけた人でないと難しいのである。しかし榑材としては、やはりクリがよいのである。
榑へぎ技術の伝承者である古川町の山口末造さんは、しかしスギの赤いところは一番腐らないのだと言っていた。そのことを肥垣津光雄さんにも尋ねてみた。光雄さんは、「スギはお宮さんのどこかを葺くときにでもなければもったいない。尊くてやれるもんじゃない」と言っていた。スギは前の前の先祖が何百年も先のことを考えて植えてくれたものであり、それはとても尊いものなのである。わたしはふと、岡田満次郎さんが、六厩(むまい)では村人の屋根葺きのために天然の杉林が維持されているのだ、と言っていたのを思い出した。六厩では、それで家々の屋根が昔はスギ板で葺かれていたのである。「自然」の利用は、村人の生活が後々まで営まれていくように長い配慮をしてなされているのである。肥垣津光雄さんは、今の若い人たちが、スギの木に関しても、これはいくらになるという発想しかしないことに落胆していた。
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写真を撮らせてもらいたいというわたしの要望に、肥垣津光雄さんは梯子を用意してくれて、榑屋根がよく見えるある建物の屋根の上に案内してくれた。広い屋根いっぱいに榑が葺かれ、そしてその一番上の所に一段だけ木が渡され、石の重しが載せられていた。それはとても広い屋根であった。しかし残念なことに、屋根のところどころには榑の乱れたところがあった。けれどそこからでも、昔のこの屋根の、整然として堂々とした様子は想像することができた。榑葺はもう、昔日の文化になってしまったのだろうか。
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