飛騨に生きる人々と技(36)
近世の榑
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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近世の榑

 飛騨国第七代代官長谷川忠崇(ただむね)が著した『飛州志』は、一七四〇年ごろの飛騨の様子を記している。その中には「榑木」についての説明が見られる。それによると、当時「榑木」として伐り出されていた樹種はヒノキ、サワラ、クロベ(=ネズコ)の三種で、いずれもヒノキ科の喬木である。榑木はその丸木を四つに割って中真(=芯)を取り去ったもので、木口の形は、ちょうど扇の地紙のようなものになっていた。長さは六尺(約百八十センチ)で限り、短いものでは四尺(約百二十センチ)であった。その寸法は「三方何寸腹何寸」という言い方で表わしていた。「三方」とは丸木を四つ割りにしてできる三辺のことで、「腹」とは取り去った中真に面するところである。この呼び方は「古法」とされていた。「中古の法」では「二方何寸甲何寸腹何寸」という言い方をした。この「甲」とは樹皮のある背の側のことである。この言い方は、丸木を六つ、もしくは八つに割る場合に用いられた呼び方のようである。


 この説明からすると、榑木は六尺が標準である。しかし忠崇の説明は榑木に関するものであり、ここから実際どれほどの長さの榑板が取られ、使われていたかは分からない。しかしこの六尺という長さは六厩(むまい)の岡田満次郎さんから聞いた長さと同じである。岡田さんの家は、昔は六尺のスギ板の榑をふいていたということであった。六尺の榑木からは最長六尺の榑板がとれるわけであり、岡田さんの家の榑は忠崇の説明とぴたりと合う。高山陣屋の前畑登喜雄さんの話では、雪の多いところでは六尺の榑が使われていた、という。飛騨の里でもらった資料にも、上宝村の奥でも六尺の榑が使われていたということが記されている。それはやはり雪深いところなのだろうか。今度調べに行きたいと思う。ちなみに、今高山陣屋では、榑屋根にネズコの二尺五寸(約七十五センチ)のものと一尺五寸(約四十五センチ)のものが使われている。


 『飛州志』はさらに、「雑製にいたっては瓦というものの類いはその品多く、詳しく論ずるにはおよばない」と付け加えている。たとえば飛騨の里で用いられているクリ材を用いた二尺四寸の榑板は、ここでいう「雑製」のものに当たるのだろうか。その榑へぎの作業を見たところでは、その榑を取る榑木は二尺五寸ほどの長さのものであった。これは忠崇の記す榑木とは、材質、長さともに違ったものなのである。
 確かに屋根ふきに用いられる榑には、長さ、材質ともに様々なものがあり、それぞれに品級というものもあるであろう。しかしクリの榑は(クリの場合六尺の長さの榑を取るのは技術的に無理であろう)、たとえ庶民向きのものであるにしてもとても優れた屋根材であるように見える。クリ材の榑は耐久性にも優れ、また深い筋目ができて水を流しやすいという点でも優れた性質をもっているのである。またクリは、鉄道の枕木として多量に伐採される以前は、決して高価な材料でもなかったのである。庶民のための工夫というものがクリの榑葺屋根には活きていたのである。

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