飛騨に生きる人々と技(38)
熊狩にゆく
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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熊狩にゆく

 今年の二月七日、橋本繁蔵さんに熊狩に連れていってもらった。前々日に電話したところ、今年は雪が深くて思うように動けず、例年なら一日に熊穴を十ほど見てまわれるのだが、今年は二つくらいしかまわれないのだ、ということを聞いた。また、いるはずだと思って見た穴も、入った跡はあるのだが、十二月が暖かかったせいで、奥のもっと寒い穴へ引っ越してしまっているということも聞いた。以前から、橋本さんには、穴熊猟をするところをビデオに撮らせてもらいたいとお願いし、また橋本さんの方もそれを快諾してくれていた。しかしお話を聞いて、今年は獲物に出会うことも相当に難しいことに思えた。しかし猟期の終わりももう迫っており、もう一度出直すことも難しく思えたので、困難は承知で、連れていってほしいとお願いした。結局、まあ遊び半分で、熊穴はこんなところにあるのだということを見るだけでも、ということで連れていってもらえることになった。


 当日、言われたように、朝七時に橋本さんのお宅へ行った。以前は四時には出発していたということだった。今はスノー・モービルが使えるので、時間に余裕ができるようになった。曳き手の手伝いとして田屋明平さんが加わり、出発したのは八時半ごろであった。折敷地の先の方まで車で行って、それからわたしは橋本さんのスノー・モービルの後ろに乗せてもらった。途中、雪の重みで落葉樹が曲がり、その上枝の方がまた雪に埋もれてアーチ状になっているものが幾つもあった。そのままではモービルが通れないので、上枝を雪から抜いたり、枝を払ったりして進んだ。
 ある高度のあたりから、いわゆる熊棚(くまだな)が数多く見えるようになった。熊が秋に樹上に登って、枝を折り、集めながら、木の実などを食べた跡である。熊棚の多くは高さ十五メートル程度のところにあったが、まだ若くて細い、直径二十センチ程度の木に登っているのである。熊棚があるのは、見たところミズナラの木が多いように見えた。


 わたしたちが最初に熊穴を探したのは、その熊棚のあるところよりも更に高い所だった。葉を落とした木々の枝は、霧氷というのだろうか、白い氷で薄くすっかり被われ、美しい輪郭線を描いていた。空気もとても爽やかで、わたしは冬にこんなところに来られることだけでとても幸せな気がした。

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