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二月七日に熊とりに行ったときのこと、その昼食はとても快適なひとときだった。山の中、雪は余るほどある。また猟師の橋本繁蔵さんと、引き手として加わった山菜採りのベテラン田屋明平さんが作ってくれた焚き火は、とても元気よく燃えていた。いくらでも雪がありそして元気な火があると、それだけで、世の中に必要なすべてのものがここにある、という気がした。飲み水はいくらでも作れる。そして暖もいくらでもとれるのである。必要となれば食べ物だって探してくることができるだろう。雪山の中というものがとても充実した場所なのだということをはじめて知ったのだった。三人で、それぞれ、簡素な食事をすませ、お茶を飲み、コーヒーを飲んで、少しの間ゆっくりとした。
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しばらく休んでから、次の熊穴に向かった。今度はそこよりも下の方の場所だ。スノーモービルを停めて、様子を見てくる、ということで橋本さんがひとりで登っていった。十分あまり経っただろうか、上のほうからオーイ、オーイと、数回、橋本さんの声がした。「どうした」と田屋さんが大声できき返すが返事がない。多分、探していた穴に熊が入っていたのである。上に登ってゆくことにして、カンジキをはいた。田屋さんは橋本さんに劣らず、すすっと登ってゆく。困ったのはわたしで、足跡をたどって登ろうとしたが、五メートルほど登ったところで、もう上に登れなくなってしまった。身体がズボッともぐってしまい、雪がすっかり落ちて、笹の地膚が出てしまったのである。そしてその笹は、五メートルほどの高さの壁面に生えているのであった。コースを変えて何度か登はんを試みたがことごとく失敗し、そこでスコップを使うことを思いついた。スコップを水平に雪に差し込み、それで体重を支えるようにして登るのである。やってみるとそれは実際効果があった。それでやっと登って行くことができた。
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橋本さんの声を聞いてから、もう四、五十分は経っていたであろう。田屋さんが、わたしを迎えに下りてきてくれるのが見えた。そのそばには一本の大きな栃の木があり、その木の八メートルほどの高さのところにタカス(高巣)が見えた。それが探していた木だった。その木のところまで行くと、タカスの側面の一メートル五〇ほどのところにもう一つ穴があった。その中に熊がいたのであった。
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