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三発目の弾を撃って、それは確実に命中したものの、しかしまだ樹穴の中に他の生きた熊がいるのかどうかは分からない状態であった。とりわけ母熊がまだ穴の中にいる可能性が高かった。猟師橋本繁蔵さんは、銃を雪の中に立て、かわって細く長い枝を手にとり、それを穴の中の下方に差し込み、中をつついた。そうやって十秒あまり中の反応を調べていたが、穴の下のほうからは反応がみられなかったのだろう。「まてよ、あっちから出てくるかもしれん」と言って、樹穴から離れ、その同じ樹の左上のタカス(高巣)の方を見やった。そしてわたしに、「あそこちょっと見よってくれ。あそこから出よるかもしれん」と言った。わたしは少し左手の前方に進み、左上八メートルほどのところにあるタカスの穴に注意をしつつ、橋本さんたちの作業を見守った。
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それから橋本さんは、再び穴に近づき、中から聞こえてくる音が「ファーファーとは違う、たいてい大丈夫やで、これで」と言った。「小せいやつ」とも言った。しかしちょうどその時、穴に丸木を差し込んでいる田屋明平さんが、「まてよ、何か触るような気がする」と言う。そこで急遽橋本さんは、細枝で穴の口の周りやその高さのところを何度か突き、そしてやや離れたところから穴の中を慎重にのぞく。何かが触ったという田屋さんの感覚が確かならば、まだ生きている熊がいるはずなのである。それならば、それは三ッめの熊である可能性が高いのである。
橋本さんは、三ッ熊である可能性を想定して、枝で穴の中をつつき、中の様子を慎重にさぐっていた。そしておそらく枝があたるやつは小さい熊だということは確認できたのであろう。しかし、「親仔でおるかもしれん。まだ安心できん」と言いながら、さきほどの枝を取り出して、先の方五〇センチぐらいの所を折り曲げた。それは、倒れている小さい熊の、下の方をさぐるための細工であっただろう。「まだおるかもしれんぞ。この高嶺に。これはチビや。分からんけど。まだ親おるかもしれん」と言いながら、また穴に近づく。しかしもうほとんど確認は終わっているのであろう。その動作や表情からは、先ほどまでとは違ったゆとりが感じられた。
撃つだけならば、スポーツ・ハンターにもできるかもしれない。しかしこのように的確に相手の生死や数を確認する技術は、ただ本物の猟師だけがもつものに思えるのである。
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