前頁 |
樹穴から熊を引き出し、雪の上に下ろしてから、猟師の橋本繁蔵さんは、もう一度樹穴の中をのぞき、他の熊がいないかどうか確かめた。他の熊はいなかった。
樹穴から引き出されたのは小さい熊であった。「おお、いいやっちゃ。ちせえけどな」と橋本さんは言った。その声はうれしそうに聞こえた。重さも二十キロではきかない、ということであった。わたしが見ても、よく締まった体つきの熊であった。年は二年子(にねんご)、つまり去年の冬に生まれたものだとみられた。熊の首にロープをかけながら、橋本さんは「うれしいな。あしたまた獲れおるぞ、また。二つ獲れおるぞ」と言っていた。
ロープをしっかりかけてから、少し曳いて、その手応えから、二十五キロはある、というところが妥当な線として想定された。それはオスの熊であった。
しかしこれはとて意外なことであった。というのも、熊は普通一度に仔をオス、メス一つづつ生み、母熊は一年を二つの仔とともに過ごした後に、オスの仔熊とともに冬眠穴に入ると言われている。だから二年子でひとつで眠っている熊は普通はメスだと考えられるのである。これがオスであったということは、オスが二つ生まれたケースではないかと思われたのである。橋本さんにそれを尋ねたが、橋本さんも同じ意見のようであった。
この猟の日(二月七日)の数日後に橋本さんに電話をしたところ、そのあとまた狩にでかけ、近くの樹穴で、熊を獲ったということであった。しかしその時獲れたのは一つだけのようであった。
◆
橋本さんたちと一緒にいながら、わたしにはこの熊の体重のことが気にかかっていた。それは、わたしの小学一年の末の娘の体重が二十三キロぐらいで、その上の五年の娘の体重が三十五キロぐらいだ、ということと関係していた。体重で言えばこの熊は、二人の子の間の、小学二年ぐらいにあたるであろう。この仕留められた小熊が、わたしの子にとても近い存在に思えてきたのである。「わたしの子がこのように殺されたら・・」という連想が働くのである。熊にせよ鹿にせよ、猟の獲物はすべて山の神が授けてくれるものである、とする思想は、このような、わが子へと降りかかる運命への連想を断ち切るために、無意識のうちに考案された思想なのではないだろうか。そう思われてきたのであった。
次頁 |
go 飛騨学事始 | 飛騨に生きる人々と技Index | go homepage head |