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仕留めた熊は田屋明平さんが道まで引き下ろし、そこでスノーモービルの後ろに載せて山から下り、さらにトラックに載せ変えて町中まで運んだ。途中、猟師の橋本繁蔵さんは、五味原の自分の生まれ育った場所を指差して教えてくれた。そこにはもう一軒の家もなかった。ダムに沈むことになっているのだ。五味原は縄文時代から人が住み着いていた場所だと聞いている。当時から、山の恵みの豊かな、生活のしやすい場所であったに違いない。
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夕方から、橋本さんの自宅で宴会をした。宴会といって大変質素なもので、一升の酒とスーパーで売っている惣菜を幾品かというぐらいのものである。何よりの楽しみは、聞かせてくれるいろいろな話だ。橋本さんのお兄さんの正雄さんも座に加わってくれていた。正雄さんは、心臓を打ち抜いた熊が自分の方に向かって襲ってきて、今まさにつかまろうとするとき、幸いに一本のブナの木の後ろに回ったところで、熊は立ち上がり、そのブナに爪をかけて絶命したという話をしてくれた。血も氷るほど恐ろしかった、ということだった。心臓を打ち抜かれても、熊は百メートルくらいは走って、反撃したりすることができるもののようだ。巻狩りでは、動けないようにするためにまず脚を狙うのだ、という青森県の猟師の話も、それを聞いて納得できたものであった。他にも狩猟の現場でわかる熊の習性について色々なはなしをきいた。
橋本さんの話で最も驚かされたことは、熊とフクロウとの関係のことである。これは熊穴を探しまわったことのある注意深い猟師しか知らないことだと思うが、フクロウのとまっている木には、たいてい熊穴があるというのである。フクロウが熊穴を教えてくれる、ということになるのである。そして、アイヌの人々の間で、フクロウが村の守り神のように大切にされることの背景には、貴重な熊穴の場所を教えてくれるフクロウのこの性質があるのではないか、ということであった。
これはとても重要な洞察であると思う。アイヌの文化には、熊とともに、フクロウも霊送りをする習慣があった。そしてフクロウは財産をももたらしてくれる神としてカムイ・ユーカラ(神謡)でも歌われている。その財産とは、実質的には熊胆とか熊皮がもたらしてくれるものであったかもしれない。本物の猟師だけがわかっている文化の深層やつながりがある、とつくづく思うのである。
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