飛騨に生きる人々と技(55)
石徹白の巻狩り
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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石徹白の巻狩り

 石徹白の久保田友芳さん(大正四年生まれ)にお話を聞いたのは去年の十月のことである。白山を取り囲むようにして各地で行われていた熊の巻狩りについて話しをうかがいに行ったのである。久保田さんはその石徹白地方のリーダーであった。
 わたしが訪ねた時、久保田さんは自宅の裏山でなめこの収穫をしていた。普通に市販されているものよりも笠の大きな、ぬるぬるして見るからに美味しそうななめこが、切株状に並べた木にたくさん生えていた。はじめにそこでお話を聞いた。
 久保田さんの話では、石徹白ではもう巻狩りはやられていないということであった。十年ぐらい前まではやっていて、かつてはひと巻で三、四頭とれたが、今では一頭も出てこないのだという。それは、ある年の夏に、カゴで捕ってしまったひとがいるためだという。百二十頭とったとか、百五十頭とった、と言っていた人がいたのである。夏熊であれば良い毛皮は取れず、熊胆(くまのい)ねらいの密猟で、しかもその胆を別物で水増しして売ったのであろう。しかし今でも山には十頭ぐらいはいるようだ、とのことであった。
 巻狩りをする場所は「クラ」と呼ばれる。クラとは、熊のミナトだとも、熊の生えるところだとも言っていた。地名としても、そういう場所には、天ヶクラ、スゲクラ、ササクラ、アシクラ、タナグラなどの名がついている。わたしは今、この、熊はクラから生えてくるという説を、とても魅力的なものと感じている。そしてこの「クラ場」という言い方は、阿仁のマタギの間でも、熊のつきそうな場所を言う普通の言葉なのである。
 石徹白の巻狩りは、追い上げ専門である。狩全体の指揮をするリーダーは尾根の一番高い待場に立つのだという。また、熊の動きなどについての具体的な指示を与えるのは、巻場がひと目で見て分かるところに立つ「遠見」の役割である。こうした役割分担は、概ね熊の巻狩りをするところではどこでも見られるものである。
 山の神様には、獲物をとってくると、タチと呼ばれる膵臓を、木に引っかけてお供えするのだという。それは裏山でするのである。わたしは今、熊の膵臓をどう扱うかということに大いに関心をもっているのであるが、飛騨地方では、膵臓を山の神様への供え物とするという所が多い。そしてまた膵臓の呼び名にも大いに注意しているのである。

注: この稿は、7月一杯での連載終了が一ヶ月前に急に伝えられたため、熟考の末、以前に取材をさせていただいた方々の中から久保田さんのことを取り上げることにしたものです。前後の脈絡が欠けてしまう点はお赦しください。

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