Karlheinz Stockhausens Intuitive Musik

それは

カオスモスの変身装置

nomadologie


presented
by
Masatsune NAKAJI
html ver. 1.1 2005年1月12日


カオスモス

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宇宙には完全な秩序があるのだろうか? ある、と考える人々がいる。そう 考える人々の場合、その完全な宇宙の秩序は、然るべき人々にとって、同一の ものとして経験されるのでなければならないだろう。多様な仕方で経験される 秩序、というようなものは、宇宙の完全な秩序とは別のものの経験、別の経験 、であるということになるであろう。だから然るべき人々、然るべき段階に達 したとみなされるべき人々は、皆同じ経験をする、と看做される事になる。マ ンダラとは、基本的には、こうして経験される、宇宙の完全な秩序を表現した もの、ということになるのではないだろうか? ------あるいは違うかもしれな いのだが。 ところで、私がここに素描したいのは、こうした宇宙の完全な秩序の経験とは やや異なった経験についてであり、また、宇宙には完全な秩序が存在する、と 明言することに、一抹の躊躇を覚えずにはいられない者の、〈世界についての 思い描き方〉についてである。

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カオスモス(Kaosmos) という言葉がある。これはニーチェの造語であったか、 なかったか、今は詳らかにしないが、いずれニーチェ的な概念であり、語はカ オス(混沌)とコスモス(秩序)とを合成したものである。世界はカオスでも なく、コスモスでもない。むしろ両者の複合した一つの流れ、と見られなけれ ばならないものだ、ということを語っていよう。人はそこでは、究極の世界を 見る/見たという安住に寄り掛かることが出来ない。

他方、完全な秩序をいだく人々は、究極の世界を見る場所と、そこへ至る明確 に区別された幾つかの段階を考え、その段階ごとに開かれる世界の見え方を、 それぞれ一義的に指定するであろう。それぞれの段階においても、人はそれぞ れの段階に相応した〈同じ世界〉を見るはずなのである。人は階段を登るよう に、安心して段階を登って行くことが出来る。これは一見整えられた〈行〉の 組織のようだが、実際にはそこには何があるのだろうか? 人はそこで自分の 限界を超えることが出来るのだろうか? 限界を超える〈自由な行為〉がある のだろうか? あるいは、そもそも、限界を超える格闘のなかに、どうして定 まった方向などが存在するのだろうか? 段階とは、所詮は真空恐怖に対する まじないのようなものに過ぎないのではないだろうか。確認しておくべきこと は、自分の限界を超えようとする格闘の現場を離れては、世界の〈ほんとうの 見え方〉など、宇宙の秩序の経験など、何一つ存在しない、ということである。

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カオスモスの世界の中で自分の限界を超える試みを遂行するための、そして〈 変身〉のための、一つの装置がある。これを〈カオスモスの変身装置〉と呼ん でみたい。これは音楽による変身装置だ。カールハインツ・シュトックハウゼ ンによるその変身装置を、ドイツ語と日本語訳で紹介しよう(Karlheinz Stock hausen, Aus den sieben Tagen, Universal Edition UE 14790 E)。

Unbegrenzt
Spiele einen Ton
mit der Gewissheit
daß Du beliebig viel Zeit und Raum hast

無限に
音を一つ弾け
好きなだけ多くの時間と空間をもっている
という確信をもって

これはアンサンブルのための演奏の指示だが、あくまで演奏する者その人だ けに宛られるディレクションである。好きなだけ多くの時間、果てなく多くの 時間、をもっているとき、人は何をしようと欲するだろうか? ------それは もっとも為したいことであろう。もっとも為したいことを、全力を尽くして為 すこと。これ以外のことは出来ない。明日は存在せず、死も存在しない。この 瞬間が果てしなくつづき、この瞬間の持続の中で、すべてが行なわれる。為し たいことを見極めなければならない。為しうる力のすべてを投入し、更にすべ てを尽くさなければならない。この全力の行為だけがつづく。そこに、何度か 力の極限を超える時が訪れる。超えることが出来る。それは正しい時、正しい 持続、正しいリズム、正しい音色、正しい強さ、を捉えられているときである。 〈音〉が捉らえられているときだ。生きている〈音〉の生命、それが捉えられ、 それが音と共に産み出されてゆくときだ。〈音のいのち〉の精妙さが捉えられ ている時だ。その時、感覚は信じがたいほどに研ぎ澄まされ、感覚される世界 は微細を極め、無数に多くの正しい瞬間から成ったものになっている。〈音の いのち〉の精妙な流れが捉えられる限り、人は果てのない、無限の時の中に存 在していることを、十二分に肯定することが出来る

好きなだけ多くの空間、それは果て無しの空間の中に、自分を見出すことであ る。わたしの場所は〈ここ〉しかない。しかしそれで充分なのだ。〈ここ〉そ のものがどれほど大きなものでもありうるのだし(〈こ……∞……こ〉)、ま た、どんな微細なものでもありうる( …〉・〈… )。しかしどの場合にも 、この〈ここ〉に、〈音のいのち〉が開かれていなければならない。わたしは 、〈音のいのちと共に〉ここにある。------こうして、果てしない広がりの中 を、わたしは浮遊する。どこにいても、わたしは〈ここ〉にいる。

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確かにわたしは別人になっているだろう。そしてわたしは無数に区別される正 しい時を把握したのであるから、正しい時の不確定性の中に存在したのである 。正しい無数の時の中から、一つの時を選び、そこに音のいのちを運び、結び つける。ここには〈自由〉があり、あらかじめ確定された〈段階〉、というよ うなものはない。しかしやはり感覚の拡張の指標のようなものはあるであろう 。シュトックハウゼンはそれを例えば、細胞のリズム、分子のリズム、原子の リズム、などと呼んで、そのリズムを捉える感覚力を要求している。それは、 音の生命はそうしたリズムに乗って運ばれるからだ。感覚は、内部の耳が聞き 分けられるもっとも細かなリズムが捉えられるように、鍛えられなければなら ない。この能力の拡大に〈全力〉が投ぜられねばならない。限界を極限的に拡 大し、最高のスピード感に達することが重要なのだ。そうした実践があり 、闘争があり(主として自分の能力との)、そうして初めて、自己の能力の本 質的な拡大が生じ、確かに一つの〈変身〉が生じるのである。 ここには確定された座標があるわけではなく、質の評価に実践的に役立つ流動 的な指標があるのであり、原子のリズム等々の性質づけられたリズムの名は、 そのような流動的で実践的な指標をなしているのである。それは〈マンダラ〉 のような空間の像的画定とは別の原理であり、〈仏〉によって先験的に保証さ れた秩序のある空間の表象とは、全く別の原理を示すものである。諸々のリズ ムは表象されるものの差異を示す原理ではなく、表象されない強度そのものの 諸指標であり、強度の質の諸差異を表示する実践的指標なのである。それゆえ に、これらのリズム名は、実践的に、つまり演奏において、そして聴き取りに おいて、大変重要な役割を果たすのである(K. Stockhausen, 前掲書、 Abwärts, Aufwärts, Kommunion等を参照)。

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更に何を語るべきだろうか? 先に述べそこねたことだが、この〈変身装置の時 空〉は、自分の限界との格闘であるとともに、またアンサンブルの共同者との 格闘の時空でもある。他の奏者の発する極限的な音は、絶えず刺激として働き 、わたしに、より優れた音、より優れた質をもった音の生産を促す刺激として 働きつづける。そして、このことはわたしを、極限を超える努力へと促す励ま しとなるのである。この時空においては、相互に、全力を尽くすことと、おの れの限界を超えて行くことへの承認が、なされ、そのような仕方で、共同の〈 場〉が保持されて行く。このように、一方で、果て無しの時と、果て無しの空 間の中での、わたしの位置づけと、それに基づくわたしの根源的な欲望の見極 めが、なし遂げられ、他方で、この事の遂行の共同的な保持によって、この時 空はまさしく〈変身の装置〉となり、さまざまな強度の立ち騒ぐ、果て無しの カオスモスの空間において、生の歓びを語る〈肯定の装置〉になるのである。

この装置による実践を、私は、広く人々に勧めたい。



このテキストは初め1994年5月、
同じ「カオスモスの変身装置」のタイトルで
京都造形芸術大学紀要[GENESIS]創刊号に発表されたものです。
現在、ほぼ同じものが、
中路正恒著『ニーチェから宮沢賢治へ』(創言社、1997年)
に収録されています。
ゆっくりと考えながらお読みいただくために、是非ご購入下さい。




(C) masatsune nakaji, kyoto since 1995
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