fj.*の歩き方 (1996 Apr) (5.5)
・目次 ・前のペーヂ ・次のペーヂ

5.5「十人十色」

本:しかし何ですなぁ。「十人十色」と申しまして、いろんな考えがあるもので。
博:さいでんがな。種々様々な考えがあるのは仕方ない。違っているし、同じの
  もある。それが世の中というもの。しかし、それがトラブルの種となるわけ。

本:ということで、ここでは十人十色で発生する問題について、疑似番組形式で
  話を進めてもらう、ということになってます。

5.5.1「十人十色」

タイトル:疑似番組「明け方まで生テレビ−−−どうするどうなるfjの価値観」

頭突顕示: 
   議論は私の頭のごとく不毛などと申しまして、fj.*では意見がどんどんエ
   スカレートしてしまうことが、歴史的に見てもよくあるのであります。

   しかしながら、実情を知り、己を知り、その裏にあるものを感じとること
   ができれば、きっと百戦危うからずで、何かのお役に立つでありましょう。

   私は、当ゼミナールのサンバイザーをつけないと、自分の頭がまぶしいア
   ドバイザーの頭突顕示でございます。

   ここでは、議論の教材として他局ではありますが「明け方まで生テレビ」
   という番組を取り上げ、その中でわたくしが解説をしてまいります。よく
   理解された方には点数を差し上げたいのですが、記録をしようにもあいに
   くカミがございませんので、個々にご判断ください。

   それでは最初の項目であります。

   fjにいる方々は、それぞれ違った生活風習、職場、幼少時代、学生生活、
   恋愛経験を経てきておると思います。そんな人たちがごった煮になり、一
   堂に会しているところにこそ、おもしろさもあるのですが、それゆえに起
   こる誤解は往々にして悲しい出来事を起こしがちであります。

   他人は自分と同じ土俵にいるとは限らないし、またいないとも限らないの
   です。そう、そんな時にはぜひ、気くばりを忘れずにいたいものですね。

   さて、それでは「明け方まで生テレビ」を覗いてみましょう。司会はもち
   ろん、あの田腹さん、コメンテーターにはいつものみなさんをお願いして
   あります。では、議論の途中からごらんください。

田腹:じゃ、目玉焼きは日本の朝に不可欠という結論が出た所で、焼き方・食べ
   方について皆さんの御意見を聞いてみましょう。

大縞:やっぱりね、ぼくは目玉焼きは半熟に限ると思いますよ。そりゃうちのニ
   ョーボは女優さんですから、あまり作っちゃくれませんけどね。
巻添:いや、大縞さん、そうではなくてね、むしろ裏の問題ですよ、裏。裏が
   crispでなければ、何の意味もないじゃないですか。
野逆:ぼぼ、ぼぼ、ぼ、ぼくはね、そういうことも重要だと思うけど、やっぱり、
   黄身の数ってのが気になるところなんだ。ぼくはね、黄身が2個ないと、
   食べた気がしないんだ。

田腹:デブさん、このへんアメリカではどうなんだろう?
デブ:君の数なんですから、やっぱり日本じゃ1なんじゃないですか?ヒット曲
   にもあったじゃないですか、「たとえば黄身がいるだけで」ってのが。

田腹:あ、南北新聞さん、なにかありますか?
山丘:みんな頭でっかちでごたくばっかり並べてるじゃないか。問題は産地にあ
   るんだよ、たまごに限らない基本的な問題だぜ。

田腹:あ、階腹さんに電話つないである? じゃぁ、つないで。
山丘:なにぃ!
階腹:ふふふ甘いぞ司労。目玉焼きは使う油と温度が決め手なのだ。
山丘:そんな説教、おまえに言われる筋合いはない!

田腹:まぁ、階腹さんにはこのままつないで置きますので、細かい調理法はあと
   でやります。今度は何をかけるか聞きたい。大縞さん、どうですか?
大縞:やっぱり、日本人は目玉焼きには醤油だと思いますね。
野逆:しょ、醤油は、目玉焼きに合っていないと僕は思うな。け、ケチャップが
   一番おいしい。

巻添:私は、いつもマヨネーズですね。
田腹:ちょっと待った、巻添さん。マヨネーズにはタマゴ入ってますよね。タマ
   ゴにタマゴそえるの?
巻添:私は、名前から言って何でも添えますよ。ただ、やっぱりブランドには拘
   りますね。ステータスですから。こう、ゾーリンゲンのナイフで...。

大縞:巻添さん、あなた日本人でしょう?日本人なら箸で食べなさいよ、箸で。
   ナイフだのフォークだの、毛唐の道具使ってね、日本の朝食の典型的お惣
   菜である目玉焼きを食べるなんてもってのほかだ! けしからんよ!
田腹:いや監督、巻添さんはナイフだけしか使わないんじゃないだろうか。
巻添:大縞さんむしろね、箸みたいな棒2本で食べるなんてのは、原始人的とも
   言えるんじゃありませんか?

田腹:ちょっと待った。今は道具の話じゃないんだ。繰元さんなに?
繰元:いや、やっぱり専門領域以外は猿だったのかと。
大縞:やっぱり朝、焼きたての目玉焼きにさっと醤油をかけてですね…。
野逆:監督のとこは女房が女房なだけに、焼きたてに、しゅ、執着してるね。

田腹:いや、そこは番組の都合でお願いしてる面もあるんですが。
野逆:ん?
田腹:タイトルが「明け方までは生」ですから。

頭突顕示:
   はい、このように意見はさまざまなわけです。ここでこれらの意見は、
   どれがどう正しくて、どれがおかしい、ということはない、
   どれがどう正しくて、どれがおかしい、ということはない、
   ここが重要なことです。いかがでしたでしょうか。

   それでは、次の項目にまいりましょう。


5.5.2「頭に来る人達」

頭突顕示:
   さて、賢明なる諸氏ならおわかりいただけたと思いますが。先の討論を文
   字で読むだけならば、その空気というものが伝わらないと思います。

   つまり、何と申しましょうか。fj.*というのは、悲しむべきことには、文
   字だけの通信なわけであります。

   ですから、野逆さんの顔色が変化する様子だの、巻添さんの厭味な口調だ
   の、そういう部分は、文字からは、推測するしかないのであります。

   これを文字ではなく、テレビジョンを御覧の皆様には、もうお判りである
   と思いますが、テレビジョンの画像では、発言を聞いている人の顔色、現
   場の空気を、クールに伝えているのが、よくおわかりだと思います。

   文字だけでは、こうはいきません。さきほどのVTRを見てみましょう。

[巻添:私は、名前から言って何でも添えますよ。ただ、やっぱりブランドには]

   はい、ここで巻き戻して下さい。

[巻添:私は、名前から言って何でも添えますよ。ただ、やっぱりブランドには]

   ここで、巻添氏の発言は、もうVTRを御覧の人には、皮肉ととらえられ
   ますね。しかし、文字で見てみましょう。

[巻添:私は、名前から言って何でも添えますよ。]

   このように、これが皮肉であるのか、単なる表明なのか、理解できないわ
   けであります。おわかりいただけたで、ありましょうか。

   かように、fj.*におきましては、読む相手は、書かれた文章しか手がかり
   にならないわけであります。これは、fj.*の持つ宿命といわざるを得ない
   のであります。

   このような場合におきまして、しばしば発生いたしますのが、「相手の物
   の言い方が、とっても頭に来る」という部分であります。

   さて、「明け方まで生テレビ」をもう少し見てみましょう。

田腹:南北新聞さん、何か意見が、あるようじゃないですか。
山丘:ふん、さっきもいったけど、くだらないね。

野逆:な、なんだと。そういうからには、ご立派な意見でもあるというのかね。
山丘:卵というのを何も知らない人の意見など、何の価値もないね。
野逆:な、なにをいう。ったく、ぶ、無礼な。
大縞:まあ、まあ。なにしろね、僕らの世代にはね。卵というのに思い込みがあ
   るんだよ。やはりだね。物がなかった時代のそういう記憶というものがだ
   ね、ぼくらにはだね、あるんだね。そういうことはだね、君らのような若
   者にはだね、わからないと思うんだね。

山丘:味については、そういうのは一切関係ないね。素材、調理、それが大事さ。
大縞:なにを。味というものはだな、人間の根源的なものであってだなぁ、その
   人生経験というものをだな、抜きにして考えられないんだよ、バカヤロウ。

田腹:はい、お約束のものが出ました。ということで、電話の階腹さんの意見は。
階腹:ふん。味の何たるかも知らない、そういうくちばしの青い奴には、大縞氏
   の意見なぞ理解できまい。
山丘:な、なにおぉ。あんたのような奴と話をするのは、こっちから願い下げだ。

栗口:あ、やめて下さい。
田腹:いったい誰ですかあなたは。
栗口:すみません。あの、さしでがましいようですが、言わせてもらいますと。
   大縞氏の言う味の記憶というのは、山丘の言っていることと基本的には同
   じなんです。山丘の素材のこだわりとは、昔の鶏の卵が目標なんです。

巻添:最初からそういってくれれば、いいのに。
階腹:ふ。そういう物の言い方にすら神経が行き届かない奴に、繊細なる神経が
   要求される卵料理なぞ扱えるはずはない。
山丘:く、くそう。
田腹:次号につづく。

頭突顕示:
   かように、相手の意見というよりも、相手の物の言い方に頭に来るような
   ことはあるものです。これは、いくら理性がある人であろうとも、怒って
   しまうことは避けられないことであります。

   問題なのは、相手に対して、その怒りをそのままぶつけるという行為に堕
   いりますと、互いに感情をぶつけ合うだけになり、その結果として、その
   怒りは、拡大生産されることになるのであります。

   こういう場合の、気くばりといたしましては、なにはともあれ、冷静にな
   ることであります。言い換えれば、落ち付くだけの余裕を持つことであり
   ます。

   さらに申しますと、自らの怒りを出したり、相手を不快にしようという表
   現は、周囲でそれを読んでいる方も怒らせたり、不快にしてしまうもので
   あります。周囲に読んでいる人がいることを、忘れないようにするという、
   気くばりは、やはり必要でありましょう。

   例えば、あなたが記事中で相手を罵倒すれば、であります、相手は大勢の
   読者、すなわち、公衆の面前で恥をかかされたと思いかねないのであります。

   さきほどの例で申しますと、大縞氏が激昂したというのも、自分がわざわ
   ざ仲裁に入っておるのに侮辱されたという、義憤ゆえであります。しかし
   ながら、おわかりの通り、大変なる罵倒語を使われておるのであります。

   いかに正義であるとはいえ、正義ならば何をしてもいいわけでは、ないの
   であります。人というものは、義憤にかられてしまうと、ともすると、無
   茶なことをすることが多いのであります。

   かように義憤にさえ、冷静な目で問いなおす姿勢が必要といえましょう。
   特に、fj.*では、相手の記事を読んだ場合に、すぐ怒って記事を書くよう
   な、冷静さを欠いた、いささか軽率ともいえることをするのは、大変、危
   険なのであります。

   人間というものは、怒って興奮をいたしておりますと、どうしても、何か
   を見おとしてしまう事も多いのであります。そして、相手が悪いと怒るう
   ちに、冷静ならばできる自己反省を忘れがちになるのであります。

   また、怒ってくると、相手に悪意があるものと、思い込んでしまいがちで
   あります。これは、幼児によく見られる、「○○ちゃんが悪い」の屁理屈
   とも関連するといえましょう。そのまま双方でその状態が続いていきます
   と、不毛な平行線に終始してしまうのであります。こうなると、自分も相
   手も救われないのであります。

   怒ってしまった場合は、特効薬というものはありません。暫時の間、冷静
   になるだけの時間を持つことが、なによりも必要であります。その時間を
   持てるかどうかというものは、精神的な余裕ではないでしょうか。

   精神的な余裕があることにより、あまりfj.*に対してのめりこまなくなり、
   適度な距離を置けるのであります。また、自分とは異なる別な意見にも、
   「まあ、そういう人もいるか」と一歩引いて考えることも可能となるので
   あります。

   そうなのであります。ホットな議論を、クールにドライに戦わせることが、
   fj.*においては肝腎なのであります。

   自分の理性や常識に自信を持つのも結構なことであります。それは否定す
   るものではありません。しかしながら、その常識や自信にとらわれてしま
   うのは問題であります。とらわれないだけの、精神的余裕というものが、
   現代社会の人間には、特に、fj.*のような社会の人間には必要ではないか
   と思われるのであります。

   それでは、次の項目に移ることにしましょう。


5.5.3「喧嘩口論」

頭突顕示:
   「火事と喧嘩」うんぬんという言葉がありますように、口論というものは、
   意図せざる場合にも、発生してしまうのであります。

   fj.*におきましても、一般社会と同様に、ちょっとぐらいのことで喧嘩を
   買ってまわるのは、いかがなことかと思われるのであります。

   周囲への気くばりと申しましょうか、賢いfj.*の歩き方といたしましては、
   優雅に相手を無視する、それも必要な術であります。

   そして、まず常日頃から、喧嘩にならないように、自分の発言に十分に注
   意しておくことも必要かと思われます。いらぬ喧嘩を売らぬように、それ
   なりの行動が必要になると思われるのであります。

   とは申しますが、時に、飛んでくる火の粉は、自らの手で払わねばならぬ
   のが定めであります。そうでなくても、相互の誤解というものは、発生す
   るのであります。また、相手によっては怒ってくる方もおられるでありま
   しょう。

   そうでなくても、ヤクザみたいないいがかりもあるでしょう、はたまた、
   韓信の股くぐりのような我慢を、しなければならないのでありましょうか。

   そういった時には、最後には、自分の常識で判断するしかないということ
   になると思いますし、また、御自分の性格によると思われるのであります。


   無用な喧嘩は避けねばならぬが、降掛る火の粉は払わねばならぬ。しかし、
   だからといって、相手が誤っており、自分が常に正しいという自信を過剰
   に持たないでほしいのであります。

   たいていの場合は、相互の誤解が根にあり、その解決こそ一番の根本的解
   決なのであります。

   さて、口論の場であれ、口論手前の場であれ、相互の意図が喰い違うこと
   がございます。

   そもそも相手あってのコミュニケーションであります。こちらの意図だけ
   では不完全で、相手にうまく伝わらなければ、どんな善意も意見も空回り
   なのであります。

   ですから、こちらにその意図がない言葉であっても、相手に「脅し」と受
   け取られたら、それは脅迫と同じことになるのであります。

   このようなことはしばしば発生するのであります。そして、相手は脅され
   たと思い、こちらはいいがかりをつけられたと思い、そして、相互不信が
   増幅されてしまうのであります。

   特に、その傾向が過剰になり、被害妄想ぎみや、過剰反応ぎみになってい
   る人が出てきてしまうのであります。こういう人は、相手と普通のコミュ
   ニケーションがとり難くなってしまうのであります。fj.*という社会では、
   そういう人を増加させてはならないのであります。

   「相手の立場で考える」。このあたりまえであり、かつ、困難なことをし
   ないかぎり、相互の不信はなかなか解消されないでありましょう。そして、
   言葉により傷つき、トラブルに巻き込まれる人は絶えないのであります。

   これは、何もfj.*での喧嘩口論にはじまった話ではございませんで、古今
   東西において、悲しむべき戦争というものが絶えないというのも、ほぼ、
   ここでお話ししたような話によるものと、私なぞは思うのであります。

   しかし、日の出のない夜がないように、終らなかった戦争がないように、
   紛争も、人間の理性と英知により解決できるのであります。fj.*における
   喧嘩口論というものが完全に避けられないならば、各自の理性と英知によ
   り、単なる消耗と破壊にならぬように、また、不毛な紛争を避けるように、
   努力できるのではないでしょうか。

   いささか、勝手な期待ではありますが、同じ議論をするならば、参加した
   者にとって、そして、それを読んだ者にとって、より実りあるものにした
   いものであります。


5.5.4「争点の性質」

頭突顕示:
   さて、これまで見てきましたように、fj.*では、喧嘩、口論というものが
   発生し、避けて通れないのであります。では、その争点の原因となる問題
   はどのような問題かと考えてみます。

   fj.*で問題になるのは、「1+1=2」のように、はっきりした問題では
   ないのであります。「1+1=2」のような問題では、このような騒動に
   なることはないのであります。

   騒動となる問題は、特に、人間的・社会的要素がある場合であります。こ
   れらの問題というのは、簡単なYes/No、正/邪だけでは判断できず、また、
   複数の項目を複合的に考慮すべき要素があるのであります。

   このような争点においては、単純に無条件に、賛成/反対、という議論は
   困難であり、条件付きの賛成/反対ということに、必然的になるのであり
   ます。

   そして、その条件設定についての議論となり、さらにまたその前提条件、
   などといった、本来の問題ではない、メタな部分の問題へ、哲学や宗教と
   もいえる部分の論争となってしまうのであります。そして、たいていは、
   メタメタな議論になるわけであります。あ、ここで笑っていただきたいの
   ですが。それはともかく。

   こういう場合は、最初からひとつの絶対的な結論を出そうという考えを持
   つよりも、限定した部分での合意を形成していくとう戦略の方が、fj.*で
   は有効であるように思われるのであります。

   また、こうした性質を持つ問題においては、あなたの意見に対して、常に
   賛成してくれる人が、必ずしも一番の良き友人ではないかもしれないので
   あります。

   こうした問題では、複数の人の間で、完全なる一致ということはありえな
   いからであります。常に賛成しているというのは、意見の為ではなく、友
   情の為であると考える方がよろしいかと思うのであります。

   むしろ、寛容さと厳しさとを持ち、是是非非で、あなたを成長させてくれ
   る人の方が、実は、もっと良き友人の場合が、多々あるのであります。

   いや、少くとも、そう考えておく方が、精神衛生上楽なのであります。申
   すならば、敵こそ友であるという、発想の転換をすることでありましょう。

   気楽に、楽しくしていくことは、精神衛生上よろしいわけです。そのよう
   に心を持つことと、真面目に真剣にやっていくこととは矛盾なく行えると
   思うのでありますが、皆さまはいかがお考えでありましょうや。


5.5.5「合意形成」

頭突顕示:
   さて、合意とさきほど申しましたが、fj.*上での合意とはどういうもので
   ありましょう。

   多数の人間からなる社会で、民主的に、皆に関係する何事かをなす場合に
   おいては、合意を形成する必要があるのであります。

   典型的な例といたしましては、NGの作成、移動、統合、廃止、という場
   合がそれにあたると思われます。NGMPにおいては、議論を経ての、沈
   黙による合意と、投票による合意というものを合意形成の方法に用意して
   おります。fj.*では、現在この2つの方法により、合意形成をしておりま
   す。

   「投票による合意」は、投票をする、という方法であります。おわかりで
   すね。「沈黙による合意」は、ある一定期間に反対がなければ合意と見な
   すという方法であります。これは、「異議はありませんか?なければこれ
   に決定致します」という、会議などでとられる常識的な方法であります。

   ここで申しておかねばならないことは、議論の最中に出た、単なる意見の
   表明に対して、それに何の反論がなかったという「単に反論がない」とい
   う状況は、「沈黙による合意」の「沈黙」には相当しないのであります。
   なにしろ、ある意見に反論がない場合には、あまりに馬鹿らしいために、
   周囲が優雅な無視をしている場合があります。また、何らかの故障で伝達
   していない場合もあるわけであります。

   「沈黙による合意」が成立する為には、その合意形成が開始されたことが、
   広く公知される必要があり、すなわち「異議はありませんか?」と明示的
   に問うことが必要であり、またそれが伝達するための期間が必要なのは、
   おわかりいただけると思います。

   しかしながら残念なことに、過去fj.*におきましては、議論途中に自分の
   出した意見表明に反対がないという、「単に反論がない」ことを理由に、
   「沈黙による合意」が形成されたとしてしまう人がいたのであります。そ
   れだけではありません、たとえ反論があっても、「それは有効な反論では
   ない」と恣意的な基準をもとに強弁したりする人もいるのであります。こ
   れでは、「沈黙による合意」にはならないと私なぞは思うのであります。
   皆さまは、これについていかがお考えでありましょうか。

   「沈黙による合意」を行う場合には、NGMPのCFAのように、その前の
   十分なる議論と、「異議はありませんか?」という問いを明示的に広く公
   知することを前提とし、恣意的ではない常識的な基準で、かつ、民主的な
   方法でとり行うようにしてほしいと思うのであります。

   さて、合意形成では、表面にいる反対意見を言っている人達を説得するの
   も重要でありますが、しかしながら、その背後にいる、多くの読者を説得
   し、味方にすることがはるかに重要なのであります。

   具体的な合意のとられ方については、fj.news.group.*等で、実際に議論
   に参加・体験してもらう、少くとも、読んでもらうのが、習うより慣れろ
   で、一番の近道ではないか、と思われるのであります。

   もっとも、普通にfj.*に参加している場合には、それほど合意形成という
   ものに直面することはないかもしれません。それはそれでいいのでありま
   す。ただ、直面した場合に、こういうことがあったということを知ってお
   けば、あわてずに対処ができるということであります。

   なにしろ、この章は、全てが、そのようなものばかりであります。ただち
   に直面する問題ではないのですが、直面した場合に混乱するというもので
   あります。このあたり、おわかりいただけるでしょうか。それでは次に移
   ります。


5.5.6「ケーススタディ」

さて、頭突顕示であります。さまざまな関連するケーススタディでさらに進めて
みたいと思います。

・「気楽に冗談で:-)をつけたのに、相手に怒られちゃった」

さて、まず、「:-)」を説明せねばならないでしょう。これは、スマイルマーク
と申しまして、横から見れば、1970年代にはやりました、スマイルマーク
と言えば、おわかりいただけるでありましょう。

これをつけますと、(^_^)等と同じような意味になるのであります。冗談半分や、
「笑って」という意味に使われております。

さて、常識で判断しても、:-)をつければ何をいってもいいというわけではない
ことはおわかりいただけるでありましょう。

最初から、怒っている相手には、冗談とか、免罪符のつもりで:-)を使っても、
それがかえって怒りを増すことになるのであります。ましてや、冗談の通用し
ない相手や状況もあるのであります。

このようなことを考えると、以下のようなことが助言としていえると思います。

あなたの書いた文章だけが相手に届くわけです。意図が十分に伝わらないことも
あるのです。さらにいえば、軽い気持ちといったこっちの意図なぞ、そもそも読
む人には関係ないことなのであります。

自分がどう言いたいかも重要ですが、相手にどう伝わるかも十分に注意する必要
があるのであります。すなわち、相手の立場になって考えてみる、のも、必要で
はないでしょうか。


・「『お前のポストは間違っている…』という電子メールをもらった」

このようなメールはしばしば発生いたします。電子メールでなく、フォローとし
て投稿される場合もなきにしもあらずであります。

これが電子メールの場合には、受け取った方によっては、「剃刀メール」である
と申す場合があります。そして、非常に傷ついてしまう場合があるのであります。

もちろん、このようなメールを出す方は、実は、ちょっとのつもりの忠告とか注
意である場合が多いのであります。悪意などではなく、善意で出す場合がほとん
どなのであります。

しかし、メールを受け取った方では、出した方の意図と異なり、深刻にうけとめ
てしまうことが多く、悩んでしまうことが多いようであります。

と、いっても、こういう問題は、送り手と受け手の、そうですな、相性、とでも
申しましょうか、そういった問題により発生するわけでして、常に発生するよう
な問題ではございません。しかし、一旦発生いたしますと、受けとった方がfj.*
から離れてしまうといった場合もあり、なかなか深刻なものがあるのであります。

まず、メールを出すような方に対する助言というものとしては、相手に忠告を送
る場合には、読む人がどう受け止めるかも考えた方がいいのであります。相手が
怒ったり不安になるだけでは、そういうものを送った意味がないのですから。相
手が別の意図に解釈してしまっては、忠告として効果をなさないのであります。
ですから、忠告や注意の場合には、いつもよりも十分なる注意が必要であります。

また、そのようなメールをもらってしまった方に対する助言としては、あまり深
刻になったり感情的にならず、「そういう考えをする人もいるのだなぁ」と余裕
をもった上で、冷静に判断をし、自分に反省すべき点があれば、素直に反省をす
べきなのです。

ですから送る方は、自分の思っているより相手は深刻に読む傾向があることを知
り、受ける方は、自分の思っているよりは相手は軽い気で書いている傾向がある
ことを知るとよいでしょう。

さらに、忠告や注意でなくても、見知らぬ相手に何かを書く場合には、相手に自
分と同じ知識があると思ってしまわない方がいいのです。

なにせ、電子メールやニュースという媒体では、相手の表情や雰囲気をみての駆
け引きは、まったくできないと思った方がいいのです。ですから、相手との差が
実際に会っている時のように見えないのです。

そういう状況では、あいまいな用語は、なるべく使わない方がいいのです。さら
に、問題の前提や用語の定義などに関する合意は、かなり慎重にとらないと、双
方の相違が大きい場合に危険いなる場合があるのです。特に、言葉の定義による
問題は、後で尾を引くことが多いのです。

ですから、共有する知識や常識が少ない見知らぬ人と、メールやニュースでやり
とりする場合には、相手と同じであると思うと怪我をします。

また、さきほどの「:-)」の場合と関連しますが、見知らぬ相手では、相手のノ
リがわからないのが普通です。そういう状況では、冗談というものは、ある種の
潤滑剤になるのですが、でも、相手のノリがわからないぶん、冗談は乱用しては
いけないと思うのであります。

特に、不必要に相手をからかってはいけないのであります。相手の顔色がわから
ないぶん、相手へのからかいは、ついつい度を越えてしまいがちであります。な
にせ、相手にもプライドはあるのであります。

ですから見知らぬ相手へのメールやニュースは、冗談やからかいは、なるべく少
な目にした方がいいと思われるのであります。

では、知り合いならいいかといいますと、そこらは程度の問題なので、常識的に
判断していただくしかないでしょう。

そして、fj.*への記事の場合、その記事を読んでいるのは、議論している相手だ
けではないのですから、さらに、冗談やからかいを、過度にならないようにした
方がよろしいと思います。


・「略語が通じない」

略語というのは、実は、分野や業界により異るものです。CDといったら何でし
ょうか。キャッシュ・ディスペンサーでしょうか、シビル・ディフェンスでしょ
うか、コンパクト・ディスクでしょうか。はたまた、中日ドラゴンズでしょうか。

かように略語には普遍性が少ないものがあります。ですから、アプリケーション
をアプリと略したり、シグネチャーをシグと略したり、アップロードをアップと
略すようなことは、時として誤解を発生することになるのです。

とはいえ、どのような略語にして書くかどうかは、やっぱり投稿する人の判断に
よるし、その表現の選択の自由はまかされているのです。

一般的に、一部の人にしか通用しない略語だらけで書かれると、読む方としては
ちょっとつらいものです。そういうものならば、多少長々しい文章になってもい
いから、ちゃんと略さずに書いてほしいと思う人は多いのではないでしょうか。

とにかく、自分の使っている略し方や、用語が、それが一般的、普遍的であるか
のような錯覚に、誰しも堕ってしまうのであります。

略語や、用語については、自分の常識が一般的でないと考え、最初に使う時には、
それが何の略であるか明示するなどの努力が必要になるでしょう。なにせ、fj.*
は、同じような分野の人だけからなる時代ではなく、広い範囲に別れた人達が参
加しているのですから。そのへんもお汲みおきいただきたいと思うのであります。

では、以上で、私、頭突顕示によります、ゼミナールを終了いたしたいと思いま
す。これが、本日のオールスターキャストであります。それでは、また。