表現型と遺伝子型について
本音と建て前の使い分け
表現型ってなに?
生物に実際に現れた性質のことです。現在の姿が表現型です。個体のもつ遺伝子型と環境によって影響を受けることになります。きまった環境では、遺伝子型で決定されるはずです。しかし、それは同一の個体群の内部でのことで、他の環境の個体群と比較した場合、表現型が同じでも、遺伝子型が等しいと限りません。
群を単位として考えると表現型とは獲得形質のことになります。
遺伝子型ってなに?
発現するしないに関係のない遺伝子の本来の特徴や性質に対応する遺伝子の構造のことです。遺伝子型が同じでも、それをもとにして作られる(表現型としての)生物の特性が同じとはかぎりません。遺伝子型と自然選択を対応させることは難しいのです。とくに連続変異をする量的形質、例えば身長、体重などについては不可能です。
形質ってなに?
生物の性質のことです。生物の全ては形質の集まりと思ってください。
獲得形質ってなに?
生物が環境の影響や習性などによって後天的に獲得した性質のことです。実際の表現型はこの獲得形質になります。自然選択は表現型にしか働きませんから、したがって自然選択の対象は獲得形質になります。
ラマルクは獲得形質の遺伝が進化につながると考えました。この説は非科学的として否定されてきました。
英語でも日本語でも、言語を話す能力は明らかに後天的で獲得形質ですが、言語を習得する能力は生得的だと考えられます。そういう意味でも獲得形質と遺伝形質を明確に区別することは困難です。
獲得形質とは、遺伝子の許す範囲で環境に左右される、環境と遺伝の結果とでも思っておきましょう。
環境変異ってなに?
環境は形態を変えますよね。餌がなければやせるし、寒いところだと毛深くなるし、日光が強いと黒くなるし、そのように環境によって形質が変化する獲得形質のことです。はっきりいって、たいていの生物は、環境変異によって現状の形質を変えています。
では、形質に行われる自然選択と、遺伝子におこる突然変異との関係をどのように説明したらよいのでしょうか。
遺伝子型と表現型の対応が現在の進化論の優先課題です。
獲得形質の遺伝はなぜ非科学的なの?
獲得形質が、遺伝子に直接に影響する方法がないからです。
生物が遺伝情報を取り出す方法は、DNA→(転写)→RNA→(搬出)→(翻訳)→タンパク質です。この流れは逆転しないという考え方をセントラルドグマと呼びます。直訳すれば「中心の教義」です。どれほど、この考え方が絶対なのか、分かりますよね。キリスト教での聖書、イスラム教でのコーランと同じほど絶対的な考え方です。
ただ、このドグマにも例外が見付かりました。たしか「ケアンズ現象」とか「適応変異」とかいったと思います。
大腸菌で人為的にアラビノースとラクトースの分解酵素の遺伝子を壊して、アラビノースとラクトースしかない培地に植えます。すると通常は何十億分の1の確率でしかおきない突然変異が半分の確率でラクトースを分解できるようになるのです。
それで獲得形質の遺伝を唱える「ネオ・ラマルキズム」は環境が遺伝子の突然変異に方向性を与えると主張します。これは、セントラルドグマとは無関係に、直接に遺伝子に影響します。
そのため、従来のセントラルドグマに、ワイズマンの「生殖細胞に、ほかの細胞の突然変異は影響できない」、を加えて、「獲得形質の遺伝」は少なくとも多細胞生物では「非科学的」とされています。
この現象も詳しくは知らないのですが、個人的には、単なる実験の失敗で分解酵素を持った個体が急激に増えただけではないかと疑っています。突然変異率自体がそんなに急激に変化したわけではない気がするのですが、詳しい方がいらっしゃいましたら、教えてください。
RNAからDNAの逆転写だけであれば、見つかっているんですけれど、詳しいことは知りません。まあ、これもDNAとRNAをやりとりして、染色体内での組み替えや遺伝子重複に関与するぐらいでしょう。