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韓国という病

悪友とは決別しなければならない

  1. 征韓論とは何だったのか

  2. 韓国という病

  3. 中華思想、小中華思想、そして事大主義

  4. 小中華思想の系譜

  5. 戦後の小中華思想

  6. 韓国の興奮と憂鬱

  7. 日本とアメリカと中国、そして韓国の地政学

 

 


征韓論とは何だったのか

 征韓論の強硬論者は福沢諭吉、西郷隆盛、板垣退助とか幅広く、数多い。政府高官から、民主主義者、オピニオンリーダー、庶民派と呼ばれる人達までがこぞって主張していたのを考えても当時の意見は征韓論一色であったことが分かるわけです。
 では、征韓論が当時何故それほど一世を風靡したのかを考えてみたいと思います。
 まず、当時の日本と世界の情勢を考えてみましょう。
 当時は帝国主義の真っ盛り、当時ヨーロッパは国家を三種類に分けていました。まずは、自分たちヨーロッパ、北米、それと白人支配、混血の進んだ南米を自主国、つぎに統一された国家ではあるがヨーロッパ系ではない半主国、そして、植民地に代表される、もう人間かどうかすら怪しいとされる未開国、その中で日本は半主国として扱われ不平等条約を強制され、自主国の人間には領土内でも主権が及ばないもとされていたのです。自主国に対しては関税はかけられない、犯罪は取り締まれない、そんな状況であったのです。
 当然、国家成立以来独立を保ってきた日本の悲願は完全な独立、つまり自主国として扱われることだったのです。同時に最大の恐怖は未開国と扱われ人間ではなく家畜と見なされ植民地になることでした。なれない舞踏会を開き洋風の生活をするような当時からちゃかされていることを貴族たちが恥をこらえて続けたのも、それは、その悲願の大きさが分かるというものです。
 そんな当時の状況が分かるのが有名な大津事件です。独立国家として認められることは、まずは外交から始まります。ハワイの独立を求めるハワイへの国王の日本訪問時の歓迎ぶりは今に至るまでハワイの住人たちとの良好な関係からも想像できます。そんな、弱小国家の訪問までも大歓迎して外交関係を深めたいと願っていた頃です。列強ロシアの皇太子の訪問が決まったのです。ロシアと言えば当時、日本を植民地にしようとねらっていると考えられていた大帝国です。ここで、良好な関係が築ければ、自主国への道も開け、未開国になる恐怖も遠のきます。そりゃもう、大大大歓迎、一寸の無礼も失敗も許されない、警官は数メーターおきに並び、上から下まで国家あげての警備と歓迎、その中で、考えられないことが起こりました。警備している警官が皇太子に斬りかかったのです。皇太子の命に別状はなかったものの、そりゃもう大騒ぎ、天皇から総理大臣まで直ぐさま病院に直行し、平謝り、即刻、あのものの死刑を行いますと確約し、店並みは自主的に、ことごとく閉店し皇太子の無事を祈り、斬りつけた警官の姓や名をもつことを禁止するところまででるし、大使館の前ではお詫びに切腹するものもいるは、もう、生きた心地すらしない状況だったのです。これが、当時のリアルな植民地・未開国への恐怖であったのです。大津事件については続きがありますがここでは割愛。
 さて、そんな悲願と恐怖を抱えた日本が、悲願を叶え恐怖を取り除くために行ったことが富国強兵、つまり資本主義を構築し産業を興し、同時に軍事力を強めること、これこそが、悲願と恐怖のための最善の方策だったのです。
 では、世界の雰囲気を、セオドア・ルーズベルトから見てみましょう。セオドア・ルーズベルトは当時、世界でも例を見ないほどの人種的な偏見のない尊敬に当たる人物で、日露戦争では人種的な偏見もなく調停に努力し戦乱を収めています。独立戦争のワシントン、南北戦争のリンカーンの次に尊敬される米国大統領と言われています。第二次世界大戦のフランクリン・ルーズベルトを凌ぐほどの人気から想像してもかなりの人徳者であったことが分かります。そんな彼は、ジェロニモが捕らえられたときも、大統領という立場にかかわらず、貴方に否定的感情は持っていないとジェロニモに手紙を送っています。それは、大統領としての立場から考えても、可能な限り最大の敬意であったでしょう。そのセオドア・ルーズベルトは、日本が韓国を併合したときに、止めさせるべきだとか言う国会での発言に対して、自分で努力もしないものに手助けなど不必要だ、と一刀のもとに拒否しています。これが当時の道徳であったわけです。ジェロニモに対する感情も、最後まで勇敢に気高く戦った戦士に対する敬愛であったのです。
 富国強兵、これこそが希望、これこそが命綱、それが当時の情勢であり、それが当時の道徳であったのです。
 さてと、状況が分かれば、オピニオンリーダーたちが、なぜ、征韓論を強硬に唱えていたのか理解できますね。当時日本は韓国に対しても近代化を要請していました。つまり韓国も富国強兵を行えと言っていたわけです。そのままでは、ロシアの植民地となりロシアの恐怖が喉元まで迫ります。未開国である韓国は、当時の道徳では、人間扱いなど不要であったのです。いっこうに未開国のままで何の努力もしない韓国を放っておくと、大変なことになる、韓国を征服し自主国へ努力させなくてはならない、これこそが征韓論であるのです。

 

韓国という病

   韓国についてお勉強しましたが、今ひとつ納得できないので、自分なりに考えてみました。
  まあ、私は国民性がどうのとか民族性がどうとかにあまり反感は持たないたちなので、その辺に執着する嫌韓は興味がないのですが、国家としての韓国は最近不愉快なのです。国家とはエゴイズムであり国益のために動かなければならない、というのは自説なのですが、それでも韓国の場合は近代国家としての動きすらしていないわけです。
 韓国の経済を「鵜飼い経済」と最初に呼んだのは小室直樹氏だそうですが、私も中学のときに小室氏の著作を読んでファンになり「韓国の崩壊」も「韓国の呪い」も読んでいて、結構、韓国は嫌いじゃなかったりします。ただ小室氏は韓国の経済が「鵜飼いの鵜」であることまで分析したのに、小室氏の特徴である資本主義の深遠に迫る解析を見せていなかったように思えます。もしかすると私が読み損なっていたのかもしれませんが、とりあえず自称、小室直樹の隠れ信者の私が続きを解析して見せましょう。
 「鵜飼い経済」とは、韓国が部品や工作機器を日本から購入し韓国で組み立てる産業構造のことで、そのために日本に対して大幅な赤字となり韓国の貿易利益を日本が吸い上げる様子を「鵜飼いの鵜」と呼んでいるわけです。この小室氏の指摘は実は20年以上前になされていて、韓国はこの構造から抜け出そうと何度も政府は訴えています。しかし、どうしてもできません。
 この構造の始まりは、日本の賠償から始まります。この賠償、殆どが中間賠償と在外資産による賠償です。要するに日本や朝鮮にある機械などによる物納であったわけです。日韓基本条約も物納が大半だったはずです。それによって日本の機械による工業化が韓国で始まったわけです。日本の政治家もそれを狙って、やる義務のない日韓基本条約を締結したのでしょう。しかし、その意図はあまりにも予想外にあたってしまったのです。未だに、半世紀過ぎても日本から機械を輸入しなければならないほどに。半世紀あれば何でもありえるほどの期間です。なのに何故、未だに日本の機械を使わなければならないのでしょうか。
 それは技術革新(イノベーション)がないからです。ここに韓国という病があります。新しい技術を手に入れるためには日本から買うしかないのです。 技術革新とは、資本主義の中の資本主義、無条件に資本主義といったときの産業資本主義の継続に不可欠なものです。企業が生き残るために大も小も社運をかけ、血のにじむ思いをし、天に祈りながら、絶望と希望の狭間から誕生する起業家精神のエッセンスともいうべきもの。
 嫌韓サイトを読むと、よくでてくるのが韓国の捏造癖です。日本のものは何でも韓国起源にしたがるのです。これを嫌韓サイトでは、韓国には文化などないから、と言い捨てます。日本が全部与えたものだから、それを認めたくなくて、捏造しているのだと。馬鹿げた解析です。では、文化がもともとなかったアメリカはどうでしょう。もうジーンズや映画、アメフトなど新しくアメリカでできたものを誇らしく自慢しているではないですか。ジーパンはいてハンバーガ食べながらハリウッド映画を見るその文化をどれほど自慢して誇りに思っているかは、旧ソ連にジーパンをばらまいてアメリカの文化のすばらしさを見せるという案がまじめに検討されたことでも分かります。文化なんてそんなものです。どんなものでも、誇りに思えるはずなのです、自分たちが作ったものであれば。韓国には創造に対する畏敬の念が欠けています。捏造は誇りになるはずもないのになぜそういうことをするのでしょうか。
 資本主義の精神というものをマックスウェーバーは提唱しました。それは宗教的ともいえる無条件の節制と勤労です。それによって資本が蓄積され資本主義が発生できるというものです。しかし実際はそれだけでは、資本主義の精神とはいえません。そこには「進歩への意思」、がないのです。向上のための向上心。もう、宗教的なほどの高みへの憧れ。よりよいものを作ろう、より便利なものを、より安く作ろう、完璧なものを作ろう、という無条件の意思。「進歩への意思」こそが、模倣から変化へ、変化から創造へと誘う力になります。進歩を尊び尊敬する心が資本主義には必要なのです。
 それがない韓国は資本主義ではありません。資本主義の資格もなく、生き残る能力もありません。日本の部品や工作機械を買って組み立てる下請けの工場にすぎません。資本主義という灼熱の太陽の下で、日本の影に隠れて、日本の影の中でしか生きられない、日本がいなくなれば、資本主義の光の中で、そのおぞましい姿をさらしながら灰と散っていく冥界の魔物なのです。本来資本主義でない前近代の国家が資本主義として生きていく、それは、あまりにも異常なことであり、確実に韓国はこのままでは地獄を味わいながらあるべき姿へと戻っていくことでしょう。日本にとって必要なのは、高品質で低価格の労働であり、それはまもなく東南アジアや台湾が担うことになるでしょうから。 
 

中華思想、小中華思想、そして事大主義

   韓国には創造の能力がない、進歩への意思がないと前回書きましたが、ではなぜそのような国家となったのか説明しなければなりません。そこでよく出てくる言葉が朝鮮民族の小中華思想と 事大主義です。この小中華思想を説明するためには中華思想から説明しなければなりません。
 中華思想とは、中国(華というのが中国をあらわす言葉)が世界の中心という思想です。よく、異民族から占領されるための劣等感からできたとか説明する人がいますが、そう単純ではありません。中国四千年の歴史とか言う場合、異民族支配であった元も清も含まれていて、それを恥とは思っていない様子があります。つまり中華思想とは本来は選民思想ではなく地理的なものであったのです。中原(黄河流域・華北平原)を制するものが中国を制し、中国を制するものが世界を制する、という地政学だったのです。中華思想から2000年後、ヨーロッパの大陸系地政学では「東欧を制するものがハートランドを制する。ハートランドを制するものが世界島を制する」という結論をだしました。ハートランドとは大陸の中心地域のことで、世界島とはユーラシアとアフリカを含めた地域のことです。西ユーラシアの要所が東欧であったように、東ユーラシアの要所は中原であることを2000年も前に喝破していたのです。中心部として覇権をもてば文化も文明も最高に栄えますから、中国は軍事、政治、文明、文化の全てにおいて中心であるというのは当然の結論になります。儒教とは本来は政治学として誕生したものです。中華思想とは政治戦略であり、政治思想です。この中華思想が正しいことはモンゴル帝国が実証しています。中原の生産力が元の兵力を支えたのです。今の拡大中国もロシアもモンゴル帝国の遺産のようなものです。ジンギスカン恐るべし。
 ところが、朝鮮では中国恐ろしやのあまり中華思想に染まってしまいました。え? 地理的条件が異なる土地では別の地政学が働くはずですよね、事実、周辺諸国で中華思想に染まったといえるのは朝鮮とベトナムぐらいでしょう。朝鮮は中国が中心で次に中国に近い朝鮮が世界文明の担い手であるという思想に染まったのです。しかし、中華思想の本質は地政学、中国の文明として取り入れた儒教は政治学、中国を占領できない朝鮮に取り込めるはずがありません。中華思想は本質を完全に失い宗教化したのです。それ自体が自己目的化してしまったのです。
 これは中国の属国しか生き残る道がない朝鮮の地政学であり、政治と思想はまだ一致していました。世界地図をみると朝鮮の危うさがよく分かります。よくこんな場所で民族を維持できたよな、って感心します。西と南は中国、北はロシア、東に日本、こんな大国に囲まれた地理条件において属国以外に民族維持の方法があるものですか。朝鮮においての中華思想とは中国への属国化と属国での自尊心の維持のことであり、それは必要なことであったのでしょう。
 そこで、清(女真(満州)族)の中国支配が始まると、それは困った。中国文明=儒教文化を知らない民族が中心のはずがない、でも中国はそうなってしまった。で、清は強大。朝鮮民族危うし。朝鮮式の中華思想では中国の属国、で中国の支配下での優等生、だったのに地政学と思想が分離してしまいます。そして、本当に分離させてしまったのです。事大主義とは大に使えること、つまり清の属国として生き延びること、でも、思想は中華思想の正当な継承者として誇りを保つこと、すなわち小中華思想が発生したのです。清に隷属するが清を軽蔑するという選択してしまったのです。
 でも朝鮮が愛した中国は、もうありません。中国文化の儒教は朝鮮にしか残っていません。彼らは過去に生きる民族となり、過去を栄誉とする国家となったのです。
 資本主義とは未来に生きるものだけが生き残れます。未来のために資本を増やし、未来のために技術を開発する。
 彼らは戦うという意味を知りません。戦うことが無駄な地理条件によって、彼らにとって戦いとは強大な権力の狭間で媚びながら軽蔑することであったのです。いかなる創造も無駄であり、あまりにも煌びやかな文化を模倣することが最も合理的な選択であったのです。
 朝鮮は支配者が変わるたびに過去の文化を破壊してきました。それが新しい支配者への服従の証明だったのかもしれません。朝鮮で誇るべき文化とは中華思想であり儒教しかなくなってしまいました。しかし、今時、そんなもので世界から尊敬されるとか憧れられるとかあるはずがありません。新しく作った文化は、韓国の誇りにはなりません。歴史こそが過去こそが朝鮮にとっての栄誉なのです。ところが、自分たちより中国から遠い身分の低いはずの、お隣の日本では伝統文化が世界からどんどん評価されていっています。そうして韓国は叫びます。「寿司も柔道も、韓国が起源だ!」って。

小中華思想の系譜

   前回まで、韓国の小中華思想を中心に書いてきたが、韓国の歴史はそのまま中国の歴史と連動する。中国の中華思想の変化を語らなければ、韓国の小中華思想は理解できない。
 政治学、地政学として発生した中華思想は、異民族により中原を奪われ清を打ち立てられたことにより、大きく変化する。世界の中心と信じてきた漢民族は、世界の中心と信じてきた華北を奪われることになる。漢民族がっくり、もう俺たちは世界の中心ではないんだと思ったことだろう。そこで颯爽と登場したのが朱子学。朱子学とは皇帝に使える漢民族こそ最高、ってもの。これで華南に引っ込んだ漢民族も満足。中華思想は地政学からイデオロギーに、しかも選民思想になってしまった。
 この朱子学、朝鮮半島では、小中華思想として中華の正当な継承者である朝鮮民族が最高という思想に変化する。日本では将軍に使えるのが最高という忠義の学問となり、さらには水戸家など、ごく一部では最も古い家系を誇る天皇家を持つ日本こそが本当の中心という思想となり、それが明治維新のときの尊皇攘夷の根拠として原動力の一部となる。つまり朱子学とは武家の忠義の思想というよりは、本来は選民思想である。
 そうして小中華思想は選民思想として、異民族国家である清の時代での誇りを保つために誕生し継続される。
 しかし、日帝36年(韓国のお勉強中にWEBであまりにもよく見るので覚えてしまった)の時代が来る。大日本帝国の侵攻に対し漢民族は喜び勇んだ。今こそ漢民族が、これに乗じて華北を取り戻すべし、これぞ漢民族の悲願、漢民族の誇り。東夷に支配されるのは我慢できないが、華北優先。これでこそ権謀術数の元祖、中華の本領。一方、朝鮮半島では、あら、清の次は日本が中華を支配しちゃうのね、あらまあ、じゃあ仕方ない、日帝に事大しましょ、てな感じ。
 中国は、日本から華北を取り戻したいと対決姿勢、朝鮮は事大。でも日本に事大したときでも、小中華思想は生きていたはず。つまり、朝鮮は日本に媚を売りながら屈辱を感じ続け、日本を侮蔑し続けたわけですね。これが歴史認識の根本的な違い。日本に支配されている間、朝鮮は、日帝様、私どもも日本の一部にしてくださいまし、へーこら、へーこら、日帝様、私どもにも日本姓をくださいまし、へーこら、へーこら。その内部では屈辱を抱えていたことになる。姓は儒教の根本に近い誇りではなかったかしら、それすらも媚びるためには平気で捨てるほどの事大主義。
 日本に反抗続け、日本に勝利した、日本は朝鮮に酷い扱いをしたなどというのは、つまりは朝鮮の心象風景なわけ。消したい過去を、心象風景を「事実」として主張することで相殺しようとする行為。
 あ、現代まで今回で行きたかったのですが、もう寝ます、では次回お会いしましょう。

 

戦後の小中華思想

   戦後ついに、漢民族は華北を取り戻します。やっと地政学としての中華思想と選民思想としての中華思想が一致します。漢民族は喜び勇んで国名にも「中華」の名を入れてしまいます。これはその後、悪名高い共産主義とまで結びついてしまいます。共産主義は平等とかを掲げていますが、それは本の中の御伽噺、実際には産業から思想までを国家が統制する人類史上最悪の独裁国家主義。これに中華思想が加われば覇権主義にまでなります。世界有数の穀倉地帯である華北平原をもとにして、人口を増やします。今でも世界最高とまで評される孫子の兵法によると、戦争に勝つ極意は人命を土くれのように捨てることだそうです。よく、中国の首脳クラスが一億や二億死んでも痛くないと平然と言いますが、これは実は武力を誇示しているのです。しかし、戦後の兵法は大きく変化していきます。今では、金を湯水のように捨てることが戦争に勝つ極意なのです。人口は華北を食いつぶしていきます。現在華北では水が不足し砂漠化が進んでいるそうです。華北の地政学的な意味が薄れているのです。そして共産主義が崩壊し中国も市場経済へと移行していくしかなくなり、中国の思想から共産主義が消え、中華主義だけが残ります。しかし、地政学的な意味を失っていく華北を抱え、中華思想は迷走を始めます。今では「上海を制するものが中国を制す」とまで言われるようになりました。現在は華南(上海)閥から華北閥が政権を奪い返しましたが、華南と華北の中国の奪い合いが内部で激化していると思われます。中華思想は再び新しい地政学を取り入れなければならなくなってきたのです。
 一方、朝鮮半島では、やあやあ、中華様の御復活だと、こちらも喜び勇んで、今まで日本に従順な振りをしていた抑圧を一気に噴出させ、竹島は占領するは対馬をよこせだやりたい放題。日本なんか中華様の御復活の前には無力だぜ。
 さあ、それで朝貢なんぞ、日本にさせてみようかと考えて、中国も朝鮮半島も、謝罪と賠償を考え付いた。土下座をさせて贈り物を受け取る、これこそが朝貢の復活。満足満足。
 日本でも、中華様の御復活により小中華思想が普及する。世に言う反日日本人とかいうもの。これ立派な民族差別の中華思想。 この小中華思想を受け入れた反日日本人は中華様の次に偉く、受け入れない人々を軽蔑するわけですね、さすが小中華思想。日本人に生まれただけで理不尽にも罪があるとされる差別思想。ご先祖の罪を延々と永久に日本人として生まれただけで背負えというもの。中華思想の伝染力、侮るなかれ。これが民族差別だという根拠は、国籍に関係なく日本民族(?)が背負うものとされていること。終わりがないこと。帰化外国人に罪があるか、米国国籍になった日本人は罪が消えるかとか考えると、これは国家の罪ではなく民族に対するものだということが理解できます。
 しかし、時が進み、日本は経済大国となり、また戦争の記憶も生々しいものではなく歴史上の知識となってきます。
 韓国の経済は日本に依存し、中国は見た目は市場経済が成功しているように見えるが内情は華北の農業生産力は崩壊中、華南の経済も破綻寸前。選民思想としての中華思想も、それどころではない。もともと選民思想としての中華思想は自己満足のためのもの。現実主義は漢民族も持っています。建前というか面子はありますが、それさえ保てば現実的な妥協は簡単に行う国。でも、韓国はそうはいかない。現実主義である事大は、中国がいるかぎり中国に対して行わなければ、地政学的に危ない。華北を占領したものに事大することは必須。でも経済は事実上、日本に依存。心境複雑。しかも、韓国の多くの文化、特にアニメとかは日本のパクリ。韓国の小学校で小学生たちが書いた反日の絵が貼られて、カナダで問題になったそうだが、その小学生たちが書いた絵では、ドラえもんが日本を踏み潰したり、セーラームーンが日の丸を焼いたりと、日本のアニメが韓国の幼少時に大きな影響を与え続けていることが分かるし、それが日本製とは知らされていないことも分かるわけです。
 中国は、今後、口では中国至上主義を唱えても、事実上は覇権主義を捨て協調主義へと移行し国家の生存を保とうとしてくるでしょう。いずれ、多分2017年ぐらいに中国は内部崩壊し内乱の時代に突入します。
 今後、日本が謝罪と賠償を生理的に拒否する世代に入り、中国は協調路線の中を崩壊していく。さあ、韓国は中国に従って協調路線に乗りたいところだが、そうすると韓国のアイデンティティが日本に依存していることまでも国民に知られてしまう。韓国は今後も迷走を続ける運命なのです。

 

韓国の興奮と憂鬱

 韓国が頑張っているようなので、さては「韓国という病」で書いた、韓国が変わるのは困難だという予想は外れたかとネットで調べてみた。数百名の外国人技術者を新規雇用し、激しい社内競争、地域ごとの細かな対応、地域性を考慮した無駄な機能を省き低コスト化とテレビでは持ち上げていた。若年層を中心に、韓国でも意識変革が見られてきているように見受けられる。日本の盗作ではないかという批判がアニメ等を中心に持ち上がり、製作者も似ていること影響を受けていることを認め始めている(いやあれは完全なパクリだと思うが・・・)。徐々に創造に対する敬意が生まれてきているのかもしれない。日本文化の韓国起源というのも、その根拠としている壁画を「万能壁画」と呼んで馬鹿にしている。
 しかし本当だろうか、不正コピーに対して彼らは罪悪感を持ち始めているのだろうか、技術革新に対して彼らは犠牲を払おうとしているのだろうか。
 まずはサムスンが「数百名の外国人技術者を新規雇用」することで、韓国の致命的な欠点である独創性・創造性の欠如と軽視を乗り越えられたのかということ。新規雇用の技術者だけでは何も変わらないだろうが、普通に考えるとその姿勢は根本的なありようの変換の決意と見て取れる。最初のスタートに大きな梃入れをして、その後は膨大な開発費・研究費を注ぎ込んで世界のトップにゆっくりと迫ろうかという戦略が見て取れる。しかし、そうではなさそうだ。サムスンでさえも9割の部品を輸入に頼ったままだ。「鵜飼経済」の現状は変わっていないようだ。要するに彼らが「カエルとび戦略」と呼ぶものは、「開き直り」だったということ。独創力・想像力はあきらめて、技術者は外から雇い、部品は外から買い、組み合わせだけにしてコストダウンをはかり、手っ取り早く利益を得ようというもの。
 「激しい社内競争」というのも、将来逆効果になる可能性がある。実際にはコスト削減の手段に使われてないだろうか。より高い収入を求めても、大多数はいずれ息切れをして疲労の果てに無気力になっていき、脱落する。おそらくは、韓国の雇用促進の面からは大きなマイナスになっているだろう。そして、その「競争」は下請けの会社にも要求している可能性もある。下請けを絞り上げて利益を上げる方向に向かえば、いずれ経済は大きな反動を受けるはずだ。
 「地域ごとの細やかな対応、地域性を考慮した無駄な機能を省き低コスト化」については、一時的なものに感じている。低コスト化は了解した。日本も低機能・低コストの方向も視野に含めるべきだろう。しかし、「細やかな対応」というものは次々にだすと高機能・高コストの方向に行く。低価格商品は入れ替えが遅いため、基本的な品質(故障が少ないなど)と低コストを両立させ定番商品にしていくしか道がなくなる。高品質化(品質管理)は韓国の不得意とするところだ。日本や欧米の老舗が何十年、何百年も守り続けた、より高い品質を保つためにどうすればよいかを考え続け実施続けるという地味な作業は好みではないらしい。利益率はこれから急速に下がっていく可能性がある。細やかな対応といっているのも、今まで目を向けてこなかった第三世界の要望を取り込んだという、かなりニッチを狙ったものであり、次々と新たに見つけるのは難しいだろう。しかも技術開発を伴わない工夫に限定されているため打ち止めの感もある。資本主義の根幹たる技術革新の精神が芽生えているわけではない。「細やかさ」がアフターサービスやクレーム対応に向かえば地域の顧客を囲い込むことも可能であるだろうが、その方向は韓国人の大雑把で尊大な性格的に難しそうだ。
 人は自らを変革できる唯一の動物だ。韓国が意識改革に成功しないという確証などない。しかし、現在の韓国の現状が、それにつながる可能性は低いように感じる。

日本とアメリカと中国、そして韓国の地政学

 アメリカと中国がきな臭くなってまいりました。
 アメリカの地政学は、単純なリアリズムを基礎にリベラリズムの影響を受けたもの、中国の地政学は前近代的な支配権を権謀術数で広げること。相反する哲学です。
 リアリズムとは地政学では、ま、パワーバランスをどうするかというもので、リベラリズムとはパワーバランスではなく国際協調とか文化や経済の関係を重要視したもの。
 中国の地政学とは1000年前の支配と覇権をめぐる権謀術数と考えてよい。中国とはイカサマそのものなのである。戦争をするぞと言っても、平和主義だといっても誰も信じない、左派系のマスコミでさえ、GDPですら信じていない。国家そのものがイカサマ。国家と言っているが、要は中国共産党の支配権のことだ。ウイグル族とかチベットとかは国民ではなく支配下の民族に過ぎない。山賊の縄張りと同様なものが中国と考えてよい。だから国力が上がれば国境線も、つまり縄張りも拡大するのが当然と考える。近代国家の考えとは相反するもの。
 近代国家とは国民国家のことで、国民の単位で結束した国家。だから強い。そして簡単には国境線は広げられない。
 リアリズムでは重要なのは国家のみ、それも他国を動かすことができるプレーヤー以外は重要ではない。プレーヤーとは要するに常任理事国、ドイツも日本も本来はプレーヤーではなくチェスのコマ。もっと言えば、アメリカとロシア以外はプレーヤーではない。ヨーロッパはEUでまとまればプレーヤーの資格があるだろう。この国連の仕組みこそがリベラリズムで失敗した反省によって生まれたリアリズムによる世界秩序。
 リベラリズムは戦前に流行し、日本国憲法もその典型だ。しかし、その直後、ヒトラーの戦争をどうやって防げたのかという答えとしてリアリズムが浮上してくる。国家において戦力の空白はパワーバランスを崩すため戦争を起こす。アメリカは慌てて日本に再軍備を求め、日米同盟を組むことになる。
 リベラリズムは政治的な側面として共産主義を生むが、共産主義が否定されると論理的であることを前提とするリベラリズムからも否定される。日本における共産主義はかつて自分たちが否定した空想的(ユートピアリズム)共産主義となったのに気づいていない。
 アメリカとロシアの間に入り込んでプレーヤーになろうとしている中国。苛立つアメリカ。日本は当然、自由貿易が生命線なのだから利害が一致するアメリカの自由と解放チームに所属中。中国の支配権の制限が日米の目的となる。
 中国の戦略の古さは、中国が拡大しようとしている海戦力のあり方にも表れる。数で圧倒しようとしている。陸では有効な人海戦術も海では欠陥としかみえない。三国志のやり方では海は支配できない。ゲリラ戦も隠れることができない海では無理、人海戦術も限りがあり、同時に狭い場所に位置することすら困難で個別撃破の的となる。集団的自衛権で徴兵制が始まるとかいう人がいるらしいが、徴兵制は海や空には不向きだ。むしろ徴兵制は中立・専守防衛に向いている。国内での本土防衛に特化しゲリラ戦と人海戦術を繰り返すのは有効な戦略となる。現在、徴兵制の国家の多くは本土防衛を前提としている。
 中国は陸の奥地で行ってきた繰り返し攻撃を行い領土を広げる作業を海で行い始めた。
 日本としては中国の通常兵器での空海軍は怖くない。恐れるのは核攻撃だけだ。核がない日本に対し、アメリカが日本にプレーヤーをやらせないためにはオオカミのリーダーのように、先頭に立ち中国に立ち向かうしかないだろう。日本が中国の脅威を強調するのは、アメリカに覚悟を迫っているのである。
 では、韓国はこの軍事的対立に対し、どのように振舞おうとしてるのか。少なくともアメリカから見たら、韓国は中国のチェスのコマと考えて、アメリカは行動したほうが良いと判断するだろう。韓国が使っていたバランサー外交とか、調停ができるほどの外交力があるか、バランスをコントロールできるほどの国力がなければ、敵国にすり寄る言い訳にしか聞こえないだろう。
 韓国に外交戦略とか理想の世界秩序とかあるのだろうか? 
 外交戦略が幼稚すぎる。国内での選挙活動を国際関係にも広げたような殴り合いを仕掛けてくるが、相手の国益にならなければ、無視されるだけだろう。国際関係はゼロサムではなくWIN-WINのビジネスに似ている。謝罪ですら国益にならなければ行わない。謝罪によって友好関係になれるとか考えるから謝罪も行われる。民主党とか韓国と蜜月関係になって外交的勝利を宣伝したかっただろうに、最後のとどめを刺すなんて、最後の親韓政権だったのに。味方を殴っちゃダメでしょ。謝罪すると関係が悪化すのであれば、謝罪するわけないだろうに。
 同じように日米のパートナーシップの邪魔をしようとしか思えない態度も、アメリカの反対を押し切って中国にすり寄ることも、アメリカの国益に反する。アメリカにしてみれば、韓国の反日も中国のコマとして動いているとしか見えていないことに気付かないのかな。
 国民感情がどうのこうのは関係ない。政治家が冷静に決断するだけだ。政治家とは国民の代理人であり弁護士のようなもの。国民の意向に逆らっても国民の目的に不利なことはしない。集団的自衛権にしても、ルーピーのトレースミー発言で失った信頼を取り戻すための手段でしょ。アメリカに約束したことは必ず、国民の支持を失ったとしても果たす覚悟があることを示すことで信頼を取り戻し、軍事的に消極的な政権に覚悟を迫っているのです。これほどまでに中国は脅威であり、アメリカが中国に毅然とした対応を取るつもりがなければ日本は自ら中国に対抗できる手段を持つぞという脅しが隠れているのかも。