聖武天皇の彷徨

−恭仁京、紫香楽宮、難波京−

740(天平12)年9月、藤原広嗣が、大宰府で反乱。10月、聖武天皇は、突然東国に行幸を開始。伊賀、伊勢、美濃、近江を巡り、山背・恭仁郷に到着し、そのままここを都とした。742年、紫香楽宮が営まれ、行幸がしばしば繰返された。744年には、難波を皇都と定めたが、745年、平城に帰着し、平城京が再び都となった。

天皇の御製歌一首

妹に恋ひ吾の松原見渡せば潮干の潟に鶴鳴き渡る

(万葉集;巻6−1030)

久邇京に在りて寧楽の宅に留まれる坂上大嬢を思ひて、
大伴宿禰家持の作る歌一首

一隔山隔れるものを月夜よみ門に出で立ち妹か待つらむ

(万葉集;巻4−768)

式部卿藤原宇合卿、難波の堵を改め造らしめらるる時作る歌一首

昔こそ難波田舎と言はれけめ今は京引き都びにけり

(万葉集;巻3−312)
風景印・紫香楽宮跡に信楽焼