クーラーがなくても涼はある。風がうれしい
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寺にあった仏足石。密教の不思議な印が刻まれ
ている。素足をのせると健脚になれるという。
筆者は交通機関併用だが、長い遍路の始まりに
、お遍路さんの頼りは自分の足だけ。何人の歩
き遍路たちが、満願成就を祈ったのだろうか。
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いよいよ巡礼の始まりだ。鳴門から池之谷という駅で降りて三十分歩いて一番札所霊山寺に到着。
寺でまず「お遍路グッズ」を購入する。言われるがままにいろいろ揃えた。白衣(そでなし、背中に「南無大師遍照金剛」と書かれている。南無は帰依すること、遍照金剛は空海が長安の僧、恵果阿闍梨から与えられた灌頂名)、金剛杖、魔除けの鐘(いつの間にか買わされていた。身につけて歩くとチリンチリンと音がする)、すげ笠(同行二人など記される)、輪袈裟(装備の項参照)、納め札(お寺を参るたびに納める。名前と日付を記入する)、線香、納経帳(本来は写経をし、寺に納めた印として本尊名などを墨書、朱印を押してもらう)など購入。しめて一万七千五百円。
お参りの作法というのがあって、少々説明をしていただく。要するにお参りすればいいのだが、お札を納め、さい銭をあげ、般若心経を唱えるそうだ。念珠という数珠のでかいやつをすりあわせたりもするらしい。だが私は信心があって遍路するわけでもないので、無礼にならない程度に御参りすることにした。
一番霊山寺から歩き始める。猛烈な日ざし。どきどきした期待感というよりは、あきらめのようなものがある。歩くしかないのだ。
遍路道にはお遍路さんのマークがついた道案内がある。民間の「へんろ道保存協会」が立てたものという。公的なものではないので、立て札が立てられないところには、直径五センチほどの丸いシールが電柱などに貼られている。大変な御苦労だと思う。しかし必ずしもあるとは限らないため、初日から何度か道に迷った。登らなくてもいい坂を登ったり、まっすぐ行けばいいところを大回りしたり。太ると、平面運動ならいいが、上下運動というのは猛烈に辛い。肉体の回りに不要な重りがついているようなもので、これに十キロ近い荷物を背負っているので、子ども一人背負って山を登る格好になる。
そういう道を歩いていると、いろんな事を再発見する。ばかばかしいと笑われるかもしれないが、たとえば日陰。田舎という言い方がいいかどうかわからないが、田舎の車道を歩くと、意外に日陰は少ない。都会のようにアーケードや地下街を歩くわけにはいかない。ギラギラした道を歩いていると休もうにも日陰がないのだ。ちょっとした日陰をみつけて休むと、つい、日陰に感謝してしまう。「ああ、ありがたい」
そのうえ、いい風でも吹こうものなら、思わず風にも感謝してしまう。さらには真っ赤なコカコーラの自販機さえも天の恵み、オアシスのように感じてしまう。滝のように汗が流れるので、脱水症状にならないようにと、とにかく水分だけは補給を心掛け、一日に何本も清涼飲料水を飲んだ。何時間も炎天下にさらされ、坂道の頂上付近に自販機があったりすると小躍りするほどうれしくなるのだった。
遍路をもてなす「お接待」は
心を浄化してくれる魔法だ
体もヤワだが、足の裏までヤワである。早速三日目には右足にまめができた。水を出して、消毒し、バンドエイドを張った上からテーピングして歩き出す。ものの本によると、長距離のウォーキングではまめのできそうな所には、あらかじめテーピングしておくものだそうだ。テーピングすることでずいぶん楽になるが、右足が痛いもんだからつい左足を余計に使ってしまう。すると結局左足にもまめをつくる結果になってしまった。三日目にして、両足にまめの痛みをかかえて歩くことになった。
走る前に考えよう
六番安楽寺から七番十楽寺までは三十分ほどで到着。順調だなと思いつつ、次の熊谷寺に行く途中で、いきなり迷ってしまった。前日もずいぶん迷ってしまったので、できるだ道を聞きながらと思い、農作業の老人に「八番さんはこちらですか」と聞くと「全然違います」と、きっぱり。とにかく戻れというので、三十分ほどのかけて元の道に戻る。川沿いに登ればいいと思ったのが、一つ川を間違えたらしい。おまけに今こうやって地図を見返していると、またしても車用の遠回りのルートを歩いていたことが判明。会社では「走りながら考えよう」と、よく言うけれども、やはり誤りをおかしやすいし、リスクも大きい。なにより、体力と気力を消耗するものだと実感する。走りだす前によく考え、準備をすることが肝心ということだ。
「座っていきなさい」
二日目、遅い昼食に入った板野町の食堂で勘定を払うと「これ途中で飲んでくださいね。お接待です」と言ってポンジュースを一缶いただいた。ここ「お四国」ではお遍路さんにお接待といって、いわゆる布施をするのだそうだ。食べ物であったり、現金であったりするという。お接待は「同行二人」というお遍路さんと一緒に歩いている弘法大師に対して差し上げるものなので、断ってはいけないことになっているのだそうだ。NHKの番組で、立松和平が「旅人の心を善良なものに変えてしまうのがお接待ではないか」というような事を言っていたが、かつては貧しいお遍路さんが農作物や食べ物を盗んだりすることがあったのではないか。そういう人に布施することでお遍路さんに悪さをさせないといった効果もあったのではないだろうか。
三日目、九番法倫寺では入り口近くで餅などを売っているおばさんから「お兄ちゃん、座っていきなさい」と呼ばれて座る。「はいはい、お接待だからね」と言って、冷たい麦茶と焼き芋をもらう。麦茶を一気に飲み干すと、また入れてくれて、中に梅干しを入れてくれる。「疲れには梅干しが一番やからね」という。「ありがとうございます」と、手を合わせ拝む。
仏に背中を押される?
さて、ここから十一番藤井寺までは十キロの長丁場である。さらに、翌日は山登りになる六―八時間の行程なので、これは歩くまいと思っている。徳島からバスにのってきても、一時間半ほど歩くらしいので、それでよしとすることにした。何せ、もう足腰がガタガタなのに、こんな最初から無理をしてはこの先どうなるか。途中六キロ付近に鉄道があるので、鉄道で徳島市内に戻り宿を取ろうと考えた。気がかわって歩くにしても荷物を置いて歩くことができる。駅近くの交差点に立ち止まり、駅はどっちだろうと見回していた。すると信号待ちのワゴン車のおばさんが窓を開けて指をさしながら「十一番さんはあっちやで〜」と声をかけてくれる。「それは分かってるんだけど」と心の中で思ったものの「ありがとうございます。こっちですね〜」などと返事をして、その道を十一番目指して、結局十キロ歩いてしまった。私も気が弱い。だが、きっとワゴン車の女性は仏だったのだ。仏が私の弱気の背中を押して下さったのだろう、と、信心もないというのに妙に宗教的な心境になる。午後四時半、藤井寺到着。すでに十一番ということは八分の一を終えたことになる。