徳島編(中)


12番札所焼山寺から19番立江寺まで

歩くのを休む。後ろめたいのはなぜ?


焼山寺は歩き遍路にとって、最初の難関。
距離があるうえに、険しい山道を登らねば
ならない。だが、この先を目指す者にとっ
て、この難所をクリアしたことが大きな自
信につながるに違いない。この山道を登る
ことはハードなエクササイズになるわけで
、肉体的にも、しっかり足腰を鍛えてくれ
るコースになっている。寺の付近にはスギ
やヒノキの巨木が立ち並ぶ。歩いて登って
いれば感動はひとしおだったろうと、何度
も思った。
 四日目になって、歩くのを休むことにした。全行程歩くと決めているわけではないし、休んでもなにしても自由な時間のはずだが、なぜか大変後ろめたい気持ちが込み上げてくる。これまで歩いてきた充実感とか、周囲の人から真夏の歩きお遍路さんということで、お接待を受けたり励まされたりしたからだろう。と、思いつつ、なれないウォーキングで、足の筋肉痛やまめの痛さがピークになってきている上、きょうのコースは難所だ。標高千メートル近い十二番焼山寺までは、前日の十一番から約六時間登山道になる。その次の十三番大日寺に向かうには三十キロ、約八時間のコース。レンタカーを借りて、足を休ませつつ回ることにした。

レンタカーに乗る

 レンタカーを使って、焼山寺までは一時間。とにかく離合がままならないほど道が細いところが多く、歩いていたら途中で挫折していただろうなと思い、安心するような思いだった。寺に参拝に向かうが、納経帳を入れる袋がないので、ザックを背負って、歩き遍路の格好そのまま。汗かきだから、駐車場から長い階段を登るだけでも顔に汗が流れるし、カミソリを持ってきていないため、ヒゲを剃っていないので、なんともむさくるしい姿。ここまで歩いて登ってきました、といった風だ。したがって、お寺の人やお遍路さんたちに声をかけられるわけだ。

 「歩いて来られましたか。偉いですねえ、がんばってください」。

 「いや、車をで来ました」と正直に答えるのだが、相手はがっかりする。というより、なにか偉い理由を探そうとして下さる。「下のバス停から歩いてこられたんですか、それでも暑かったでしょう」「いや、すぐ下の駐車場まで車で来た」とはさすがに答えられず、あいまいに笑ってごまかしてしまった。これが十二番でも十三番でも続くと、開き直りもあるが、最後まで「歩けばよかった」の思いはやまない。

 

 

 

 

歩いて歩いて30キロ
なんだか気持ちが明るくなる


16番観音寺。山の中に気高く立つ札所もあるが、
こうして町の中に親しみやすく溶け込んだ寺もあ
る。本堂には淡路島から来た女性が奉納したと伝
わる炎に包まれた女性の絵がある。この女性は巡
礼中、雨に降られて白衣をたき火で乾かしていた
ところ、炎が燃え移って火傷をした。女性は火傷
をしたのは若いころ、自分が姑を柱に縛り、燃え
た木でせっかんしたことに対するお大師さまの戒
めと感じて絵を奉納したという。巡礼の旅は自分
の身に起こるなにげない偶然のできごとまでも、
何かしら意味のあることに思えてくることがしば
しばある。おそらくふだん心の奥底に潜んでいる
自分の心が見えて来るのだろう。四国遍路はそう
言う意味で自己発見の旅だ。
 七月二十六日。宿からバスで十三番大日寺まで戻り、歩き始める。十四番常楽寺まで二・三キロ、十五番国分寺まで〇・八キロ、十六番観音寺まで二・二キロ、十七番井戸寺まで二・九キロ。両足のマメは念入りにテーピングしているし、前日、歩くのを休んだこともあって軽やかに歩く(はためから見るとたぶん軽やかじゃないだろう)。そこから十八番恩山寺まで一八・五キロを歩く。よせいばいいのに、さらに十九番立江寺まで四キロを歩く。三〇キロ以上を歩いたことになる。徳島市を抜けて小松島市に入っている。三〇キロの道のりを歩くと、ずいぶん気分がいい。なんだか明るくなって歩きながら鼻歌など歌っている。たぶん両足を交互に出していくくり返し運動がいいような気がする。もしかすると徹夜明けに妙に笑ってしまうような疲労のせいかもしれないけれど。不登校の子どもと一緒に歩いている母親に出会ったが、歩くということは心の状態を爽快にしてくれると思う。

期待はずれた宿坊

 この日の宿は「ちとせや旅館」とガイドブックに記されているところだが、現実には民宿とも思えない民家だ。宿の予約なしに日々を過ごしているので、静かな立江寺に到着したのが既に夜。徳島ないし小松島に戻るのを覚悟していたが、門前のみやげ物屋で紹介してもらった。今は実質営業していないが、歩き遍路のために一宿の宿を貸しているという。食事もなかったが、風呂に入れて夜露をしのげただけでもありがたいことだった。

 これまでに寺の宿坊にも泊まったりしたが、待遇の悪い旅館といったムードで、良くも悪くも、早起きして境内を掃除したり、説教を聞いたり、というような期待ないし覚悟してきたのだが、そういうこともなかった。結局、泊まるのなら安いビジネスホテルが一番快適だ。そうなると、便利な一方、人とのふれあいがなくなる。旅の印象や土地の印象は、宿による部分もかなりある。ビジネスホテルばかりが栄えては、旅の魅力は少なくなるなろう。宿坊や旅館が本来の魅力を失わなければいいのだけれど。

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