高知編(上)


25番札所津照寺から28番大日寺まで

身に余る親切。せち辛い世なんて誰が言った


朝から山を登り汗びっしょり。少し立ち止まるだけ
で蚊が寄って来る。だから山道になると立ち止まら
ずに進んでいくしかないのだ。とはいえ炎天下のア
スファルトを歩くよりは、日陰の山道のほうが地面
も柔らかく、快適ではある。          
七月二十九日。早朝、室戸岬・太田旅館を出発し、海に向かって小高い丘に建つ二十五番津照寺に参拝する。そこから二十六番金剛頂寺まで四キロの道を歩く。これまた登山道になっていて、早朝から草いきれのする山道を登り、汗びしょぬれ状態。

 昭文社の「四国八十八ケ所巡り」というガイドブックの巻頭に、仏教学者のひろさちや氏が「お遍路さんとして四国に行くと、四国はお四国に変わる。四国の人々は仏さまのようなお四国の住人になってしまう」と書いている。実際、これまでの一週間でも、お遍路さんに対してはみんな親切だなあと実感する。物をお接待してくれるということだけじゃなくて、身に染みる親切というのがある。せち辛い世といわれつつ「日本もまだまだいける」という思いは、旅の収穫だ。

 かき氷を半額にしてくれたお好み焼き屋のおばちゃん。前日の甲浦駅で、食事をしていないと言ったら出前をとってあげると言ってくれたおばちゃん。道を歩いていると、元気にあいさつしてくれる小学生たち。がんばって、気をつけてと声をかけてくれるお年寄り。きょうも二十六番金剛頂寺で「階段のまんなかの所を一段ずつ踏みながら登ると厄除けになるよ」と教えてくれたお婆さん。旅の序盤にして、もう十分なやさしさを感じたと思う。

 予定外の登山から下りてきたところに「道の駅・キラメッセ室戸鯨の郷」というところがあって、売店でかき氷を頼んだら、私のびっしょりの汗をみて「こっちで休みなさい」と日陰に案内してくれて、倉庫から使っていない。重そうな陳列台をわざわざ引っ張り出してきてくれた。たかが一杯百円のかき氷で、そこまでしてもらわなくても、と申し訳ない気持ちでいっぱいだ。きょうはこの朝七時から十時までで歩くのをやめて、もうここからバスに乗る予定なのに。

 クジラ館の受け付けのお姉さんからも「気をつけて」と見送られ、館のすぐ前からバスに乗り、安芸市で乗り換え、高知を目指す。高知まで約三時間。室戸からずっと太平洋を左手にみながら走る。水平線の向こうに積乱雲。海面にきらめく太陽がまぶしい。右手は岸壁に近い切り立つ山。この開放的なスケールの大きさ、そしてもう逃げ場がないというせっ羽詰まった感じが坂本竜馬や中岡慎太郎などの幕末の土佐の連中のダイナミックな行動の源かなと思う。 

 

 

坂本竜馬、中岡慎太郎…
目指した日本は今ありや


竜馬像の足下が腐食して危険が高まっており、地元
では募金活動が始まったところだった。司馬遼太郎
氏が言っているように、この桂浜の竜馬像ほど、場
所にぴったり来る銅像は滅多にない。桂浜という箱
庭のような海岸から、大平洋の水平線を眺める竜馬。
腹の出た筆者も、明日の日本を見据えようと並んで
立ってはみたが……。             
 七月三十日、晴れ。日焼けによる手の痛みと、足の痛みがひどい。マメはいいんだが疲労が蓄積されてきて、次第に重くなってきたので、歩くのは小休止。予約していたレンタカーに乗って、コースを逆戻りして中岡慎太郎館、生家から難所の一つである二十七番神峰寺、二十八番大日寺へ。高知の名所、桂浜と坂本龍馬記念館を訪問する。難所二十七番は強烈な山道。歩いていたら挫折していただろう。

地味だが燃えた男

 まずは北川村というところにある中岡慎太郎館を目指す。中岡(一八三八―一八六七)はちょうど高杉晋作と同じ時間を生きた土佐の人である。高杉が長州の上士の家に生まれ、一発の花火のように輝いて病死したのに比べ、中岡は庄屋の家に生まれ京都・近江屋で坂本龍馬とともに暗殺されるという、最後までじりじりと燃えていた男である。討幕のために薩長連合の必要性を唱えて仲介したのは坂本と思われがちだが、中岡のほうが早くから薩長連合の必要性を訴え、説得に走り、実現のために身をささげた。司馬遼太郎氏の名文によって幕末の土佐と言えば龍馬という印象だが、中岡には「華」がないからか目立たない存在だ。二人はコインの表裏。常に一緒に動いていたが、新聞記者だって地味な人より、やっぱり絵になる人を取り上げてしまう。

 二時間ほどかかって、山々の間から奈半利(なはり)川という清流が流れ出る実に小さな山里に着く。周囲には水力発電所、車もほとんど通らない。予想外に施設は立派で、展示とビデオで中岡の生涯が上手に説明されていた。それに比べて、夕方に訪ねた坂本龍馬記念館のほうは、有名建築家の作品らしいが唐突なモダンなつくりで、場にそぐわない。そういう建物だと展示も気取っている。見て回っても龍馬が何者か、さっぱりわからない。海援隊ってなに? 亀山社中って? 明治維新もので三十回近く連載した私が思うんだから、大方の観光客には分からないだろう。山口でも高杉晋作が何をした人か知らない若者が多いのに。これでやっていけるというのは、熱烈な龍馬ファンが多いってことだろうか。

車に乗っていられない

 きょう一日、コースを戻って車で走ったが、沿道には一昨日宿で同じだった六十年配の男性も昨日、山中で追い抜かれた、五十年配で上半身裸、半ズボンの男性も歩いていた。これは私も車で冷房きかせて走っている場合ではない。歩いていないので夕食は缶ビール一本だけにする。

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