高知編(上)25番札所津照寺から28番大日寺まで |
![]() |
朝から山を登り汗びっしょり。少し立ち止まるだけ で蚊が寄って来る。だから山道になると立ち止まら ずに進んでいくしかないのだ。とはいえ炎天下のア スファルトを歩くよりは、日陰の山道のほうが地面 も柔らかく、快適ではある。 |
昭文社の「四国八十八ケ所巡り」というガイドブックの巻頭に、仏教学者のひろさちや氏が「お遍路さんとして四国に行くと、四国はお四国に変わる。四国の人々は仏さまのようなお四国の住人になってしまう」と書いている。実際、これまでの一週間でも、お遍路さんに対してはみんな親切だなあと実感する。物をお接待してくれるということだけじゃなくて、身に染みる親切というのがある。せち辛い世といわれつつ「日本もまだまだいける」という思いは、旅の収穫だ。
かき氷を半額にしてくれたお好み焼き屋のおばちゃん。前日の甲浦駅で、食事をしていないと言ったら出前をとってあげると言ってくれたおばちゃん。道を歩いていると、元気にあいさつしてくれる小学生たち。がんばって、気をつけてと声をかけてくれるお年寄り。きょうも二十六番金剛頂寺で「階段のまんなかの所を一段ずつ踏みながら登ると厄除けになるよ」と教えてくれたお婆さん。旅の序盤にして、もう十分なやさしさを感じたと思う。
予定外の登山から下りてきたところに「道の駅・キラメッセ室戸鯨の郷」というところがあって、売店でかき氷を頼んだら、私のびっしょりの汗をみて「こっちで休みなさい」と日陰に案内してくれて、倉庫から使っていない。重そうな陳列台をわざわざ引っ張り出してきてくれた。たかが一杯百円のかき氷で、そこまでしてもらわなくても、と申し訳ない気持ちでいっぱいだ。きょうはこの朝七時から十時までで歩くのをやめて、もうここからバスに乗る予定なのに。
クジラ館の受け付けのお姉さんからも「気をつけて」と見送られ、館のすぐ前からバスに乗り、安芸市で乗り換え、高知を目指す。高知まで約三時間。室戸からずっと太平洋を左手にみながら走る。水平線の向こうに積乱雲。海面にきらめく太陽がまぶしい。右手は岸壁に近い切り立つ山。この開放的なスケールの大きさ、そしてもう逃げ場がないというせっ羽詰まった感じが坂本竜馬や中岡慎太郎などの幕末の土佐の連中のダイナミックな行動の源かなと思う。
![]() |
竜馬像の足下が腐食して危険が高まっており、地元 では募金活動が始まったところだった。司馬遼太郎 氏が言っているように、この桂浜の竜馬像ほど、場 所にぴったり来る銅像は滅多にない。桂浜という箱 庭のような海岸から、大平洋の水平線を眺める竜馬。 腹の出た筆者も、明日の日本を見据えようと並んで 立ってはみたが……。 |
二時間ほどかかって、山々の間から奈半利(なはり)川という清流が流れ出る実に小さな山里に着く。周囲には水力発電所、車もほとんど通らない。予想外に施設は立派で、展示とビデオで中岡の生涯が上手に説明されていた。それに比べて、夕方に訪ねた坂本龍馬記念館のほうは、有名建築家の作品らしいが唐突なモダンなつくりで、場にそぐわない。そういう建物だと展示も気取っている。見て回っても龍馬が何者か、さっぱりわからない。海援隊ってなに? 亀山社中って? 明治維新もので三十回近く連載した私が思うんだから、大方の観光客には分からないだろう。山口でも高杉晋作が何をした人か知らない若者が多いのに。これでやっていけるというのは、熱烈な龍馬ファンが多いってことだろうか。
前へ | 次へ |