高知編(中)


29番札所国分寺から36番青龍寺まで

土佐の高知のはりまや橋で茶髪男が踊りに燃える


路面電車に置かれていたほおずきの鉢植え。ちょっとした事で、なんだかほっとする。
 七月三十一日。高知の夏は熱い。路面電車に乗って終点から二十九番国分寺まで歩き、三十番善楽寺、三十一番竹林寺まで歩く。この日は計二十四キロ歩いたことになる。足はいくぶん軽いが、坂道は依然辛い。まだ体重は落ちていないのだろう。

 ホテルから再び宅急便を出す。荷物をさらに軽くするためだ。人間、自分で運べるていどの荷物しか持ってはいかんな、とつくづく思う。荷物の中には、お遍路さんのユニホーム「白衣」「すげがさ」「輪袈裟」も入れた。もはや、お遍路さんではない。白衣は洗濯しても一日で乾かないし、すげ笠も頭に接する部分にサラシが巻いてあるため、剣道の防具のような臭いがする。お遍路さんの痕跡をしめすものとしては、金剛杖があるのみだ。夏場に白衣を着て回る人は歩く人ではなく、車で回る人だけだということがわかってきた。用は心の問題と自分に言い聞かせているが、すげがさの代わりにバンダナを巻き、サングラスをかけ、無精ヒゲを伸ばしている姿は、ペンションのおやじのようで、とても仏様を巡礼しようとしている人間には見えないだろう。

準備も熱いよさこい

 食事して商店街を散歩していたら、シャンシャン音がする。見ると二百人ぐらいの集団が、踊っている。八月九日から三日間、高知の町は「よさこい」の熱気につつまれるらしい。その練習であるという。今年で四十五年目を迎える「よさこい祭り」は、要するに市内の踊りグループのの競演ということのようだ。振り付けは自由。音楽も基本の「よさこい鳴子踊り」のフレーズが入っていれば自由なのだそうな。昨年は百二十六団体約四千人が参加しているが、面白いところは市民が自由に踊りチームを作って、参加者を公募するところ。たとえば美容室とかがチームを作ってお客さんに呼びかけたりするという。

 町を練り歩くほかに、競演場という舞台ができ、そこで審査があり団体と個人とかいろいろな賞がある。練習をみていたら、ジャズダンスの先生みたいな女の子が走りまわりながら、振り付けを元気よく説明したり「男の子〜っ! 声がでてないよ〜!」などと叫んで、練習もなかなか迫力があって楽しい。本番ではチームごとに工夫を凝らした衣装になるらしい。踊りの特徴は「鳴子」という、しゃもじ型カスタネットを両手に持つこと。これもチームごとに色を変えたり工夫する。

 博多どんたくなんて、比べ物にならないくらい熱い踊りになるだろう。このくそ暑い中、二百人も集まって練習するなんてすごい! それが何チームもいるんだから。いまどきの若者が、踊りに燃える夏があるなんて、本当、すてきな町だ。高知に転勤したら、参加するぞ! って、そんな転勤はないんだが。

 

 

「歩かせてもらってます」
動物たちにもあいさつする


足下にまとわりつく子猫。動物にしても人にし
ても、こうやって「歓迎」されると、彼らが住
んでいる場所を通らせてもらっている、という
謙虚な気持ちになる。こういう気持ちになると
、空き缶を投げ捨てたり、車の灰皿を路上に捨
てたりということはないのだろう。土地土地に
生きるものたちが見えなくなると、相手を尊重
する気持ちが消え失せる。悲しいことだ。  
八月一日。三十二番禅師峰寺(ぜんしぶじ)までバスに乗り、三十三番雪渓寺まで七・五キロ約二時間半を歩き、三十四番種間寺(たねまじ)まで九・五キロを歩く。種間寺で足の疲れとにわか雨に負けタクシーを使って宿を探すことに。というのも三十四番種間寺でめぼしい宿に電話をいれるものの、高校総体が開幕したことで、小さな民宿に至るまで軒並み満室。高岡で宿がとれないとすると、高知まで戻るか、その周辺を探さないといけない。高岡からかなり離れた小さな旅館が、なんとか一軒、見つかった。タクシーの運転手は「お客さん、これやったら明日の宿は取れんがやき。今日のうちに三十五番と三十六番を車で回っちょって、明日は足摺のほうまで行かれたらどうですろーか」というアドバイスがあり、それに従うことにした。結局、歩いたのは十七キロ程度。

2匹の「追っかけ」

 三十三番へ海辺の町を歩いている途中、かわいい「追っかけ」が現れた。生まれたばかりのトラ模様の子猫が二匹、私の足を追っかけて走ってついてくる。二十センチほどの身体で一生懸命走ってついてくる姿はかわいいというか、道連れができたようで、うれしくなる。

 近所の人たちが「あれ、みて、ついていってる」と衆目を集めたが、そうそうついて来られても困る。足を早めると、むこうも一生懸命走ってくる。離れると「にゃあ」と鳴いて呼び止める。足早に離れようとするのが、なんだか可哀相な気がしてくる。通り掛かったお婆さんが猫をみて「まあ、どこの猫」と話しかけてきたので、事情を説明していると、子猫たちもお婆さんのほうが気になり出した。今がチャンスと歩きだしたら、ついてこなかった。ほっとしながらも、淋しい気持ちもちょっぴり。

 山道など一人で歩いていると、ヘビとかアマカエルとか、ヤモリとかいろんな生き物に出会う。道端の犬猫もなんとなくうれしく「通らせてもらってるよ」と、あいさつする。同じ生き物、同じ命なんてことを、思うことがある。なんか宗教的になってきているのか、淋しいだけなのか。

 この日、四分間ほど渡し船に乗った。遍路の正規のルートなのだそうだ。無料である。待合で八十歳という老人に、大平洋戦争で受けた傷など見せられながら、フィリピン、ジャワ戦線の話などひとしきり。山口から来たというと「おう、長州か」と威勢がいい。

 宿に、体重計があったので乗ってみた。七八・五キロ。なんと十日目にして一キロしか減っていない。なんてことだ。今夜は夕食抜きである。

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