高知編(下)


37番札所岩本寺から40番観自在寺まで

バスの中で真っ先に席を譲ったのはオランダ人


足摺岬の灯台をバックにポーズ。撮影してくれたのは
兵庫からバイクで四国を回っている若者だ。テントと
寝袋を持ってのツーリング。筆者が1ヵ月の予定とい
うと「いやーうらやましいっすね!」と絶句。お互い
に写真を撮りながら、話が弾んだ。        
八月二日。土佐市の旅館を出て、須崎市まで約十五キロを歩き、そこからJRに乗り窪川駅に向かう。そこで三十七番岩本寺に参拝したのち、「土佐くろしお鉄道」に乗り換えて四万十川下流の中村市まで行く。駅前のビジネスホテルが難なくみつかり、バスの時刻表をみると足摺岬行きのバスがちょうどいい時間だったので、四国最南端の足摺岬の三十八番金剛福寺に向かうことにした。一時間四十五分で到着。とても歩いてはいけないな、という急な坂をバスは軽々登る。

 四万十川の清流を前にして、洗濯洗剤を購入した。二十七グラムずつの小さい袋に入ったもので、水四十リットルに対して二十七グラムが適量とのことだ。ぼくは一日分の下着を洗うわけだから、洗面器に半分くらいの水しか使わない。水がせいぜい二リットルというところかな。そうすると洗剤は一・三五グラムしかいらないわけだ。二十七グラムの小さい袋が十袋入っているが、一袋で二十日分はあるってことだ。合成洗剤の濃縮度ってすごいし、こりゃ必要以上にどんどん使ってるな、と思った。これじゃ日本中の川が汚れるはずだ。。台所洗剤も相当に薄めて使って十分なのに、テレビコマーシャルでもなぜか原液を使っている。

当たり前のことなのに

 バスの中ではオランダ人一行と乗り合わせた。日曜日なのでバスは満員で、ぼくは終始立ったままだけど、本来歩いていくべきところをバスがぐんぐん登ってくれるだけでもありがたいと思う。途中、お婆さんが乗り込んで来たときにオランダ人は自然に席を譲った。若い女性グループや、子どもも座っているが、席を譲るのはオランダ人だけ。大人がやらないから子どももやらない。子どもは、座ってゲームボーイやってる場合じゃないぞ。文部省もナイフを持つなとか言っている場合じゃない。バスでのマナーとか、当たり前のことを、当たり前にできるようにしなきゃ。外国に子供を派遣するより、ちゃんとバスに乗れることのほうが、国際化なのではないか。

 昨日の種間寺の前の食堂に「この世に客として来ていると思えば、食事のうまいまずいは申されまい。ありがたさを感じ、何でもおいしくいただくべし」というはり紙。食堂のくせにまずくても文句いうなとは傲慢だが、旅行者は遊びに来させていただいている、という気持ちが大事だ。他人の生活空間にずけずけ入り込んでいくのだから。

 

 

狭い田にびっしり育つイネ
もっとゆったり作れないか


バックは宇和島城の天守閣。青い空に映える。
八月三日。気温は三十四度まで上昇し、活動意欲がない。朝八時に出動したものの、すでにカンカン照り。二十キロ以上ある三十九番延光寺まで山道を歩く気はせず、バスで四十分ほどで最寄り駅まで到着。徒歩三十分で寺に。高知県内最後の寺になる。宿毛まで二十分ほど乗り、そこから宇和島バスに乗り換えて二十分ほどで四十番観自在寺に。次の寺までは車で約一時間半、徒歩では十三時間ほどの道程だ。少し手前の宇和島に宿を決めることにした。宇和島では宇和島城など市内を二時間ほど散策。疲れがどっと押し寄せた。

海も汚れ田も疲れ

 このあたり、なんと言っても海がきれいなものだから地元の人と話すときは「いいですねえ、海がきれいで」なんていう話をすることになる。きょうも夕食に入った磯魚料理店のおやじと話していたら「いやいや、汚れてしまってねえ」という。今年はなぜだか真珠がだめだという。その養殖が、ひとつは海が汚れた原因なのだそうだ。今は海に浮かぶエサを食べさせるが、かつては何でも放り込んでいた。余ったエサが海底に沈んで、ヘドロ化したという。

 田んぼの中を歩いていて思うのは、膨大な肥料をやってるな、ということ。水路が富栄養化で激しいみどり色。きれいな水をたたえた田もある分、汚れた田んぼが目立つ。四国、高知は二期作地帯なので、もう刈り入れが終わっている他もあれば、水をはったばかりの田んぼもある不思議な光景が広がる。一つの土地で一年に二度米を作るのは、それだけ無理をするのだろう。田んぼに張られた水が汚い。こんな水を川に流されちゃ、かなわない。

 田んぼがどんどん減反で減っていく。つぶされて住宅になったり道路になったり。遊水池が減るので、水害も起きやすくなる。減反をやらずに、反収を下げたらどうだろう。農作業は大変になるだろうけど、機械だってある。そうすると田んぼに負担をかけず、米がつくれるから肥料も少なくていいだろうし、減反によって田畑の面積が減ることもない。少ない面積で、猛烈な肥料を食いながらたくさんの収穫をもたらすサイボーグのようなイネが、いまのコメ余りを生んでいる面もあるんじゃないか。田が減るのは政治のせいだけじゃなくて、意外と高度成長期に開発されたたくさん実をつける品種のあたりにも原因があるんじゃないか。

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