愛媛編(中)


46番札所国分寺から58番国分寺まで

インタハイの高校生たちよ、頼むから寝かせてくれ


 八月六日。気温が三六度まで上昇。それでも歩く。朝六時すぎに宿を出発。路面電車とバスを乗り継いで四十六番浄瑠璃寺へ。八時前に浄瑠璃寺をスタートして四十七番八坂寺、四十八番西林寺、四十九番浄土寺、五十番繁多寺、五十一番石手寺を歩きに歩いて、午後一時半に道後温泉に戻ってきた。さらに五十二番太山寺、五十三番円明寺にたどりついたときは午後五時半になっていた。歩行距離は約二十五キロ。納経は午後五時までというのが決まりなのだが、頼み込んだ。次の札所は離れているのでJR伊予和気駅から今治に向かう。着いたのは午後七時を回っていた。

 駅前のビジネスホテルを一軒一軒まわって、泊まれないか聞くが、高校総体が開催中で、軒並みだめ。電話帳であたっても、どこも満杯。遠いが、湯ノ浦温泉の宿に泊まれるらしく、とりあえず予約する。タクシーで二十分かかるらしい。しかも次の五十四番を通り越す。仕方なくタクシーにのって、運転手さんに相談した。

 「あんた、お四国さん(巡礼者のこと)ですやろ、安い宿でええんでしょ。あんたホテルアジュールって言ったら、こっから三千円くらいかかりますよ。それにまあ、あのへんで一番高級なホテルですわ。そんなとこ泊まる必要ないんでしょ」と、心配してくれ、港のそばの木賃宿のような旅館にも連れていってくれた。だが、回ってみても軒並み満室。運転手さんに感謝し、離れた高級ホテルに宿をとる羽目に。

元気なのは良いけれど

 高校総体。スポーツ少年にとって晴れ舞台。しかし、前日の宿でも高校生と一緒になったが、少年たちには悩まされた。

 六日は朝六時に出るので五時に起きようと思い、早めに寝ようと思っていた。高校生が「超」騒がしいので、十一時ごろまで近くの縄のれんで暇をつぶした。高校生たちも思い出に残る楽しい夜だろう。早寝しようという自分の方が勝手なのだ。しばらくはこちらが外にでていよう。

 が、十一時を過ぎて部屋に戻ってきても高校生たちがドアをバタンバタン。廊下をばたばた走りながらキャーキャー、エレベータ降りては「おーおー」と動物園のような騒ぎだ。隣や上の部屋でドンドン跳びはねる物音も聞こえる。

 巡礼中は怒らないというのが修業らしいが、ついに

 「うるさーーーーーーーーい! 一般客もいるんだっ 静かにしろっ!!!」

 と、怒鳴ってしまった。

 私のいる階は静かになった。だが私の部屋の隣は階段。上下の声も響く。宿に連絡し、注意してもらったら、 その後、ほどなく静かになった。

 実は、十一時すぎまで生徒がはしゃいでるんだから、先生は外に出ていないもんだと思っていた。静かになったということは、先生がついてるということか。

 これだけではない。電車の中では地べたに座り込んで乗り込めないこともあったし、スポーツバッグで三人分の席を占領しても平然としている。たとえ老人が前に立っても身動きひとつしない。そんな光景をいやというほど見てきた。

 むろん、高校生が元気に楽しく遊ぶことに、何ら異義を唱えるものではない。高校生にもなれば、酒も飲むかもしれないし、もっと羽目をはずすこともあるだろう。それはそれでいい。でも、他人に迷惑をかけるな。他人の町にやってきて、多くの人に迷惑をかけ、世話になっていることを感じてくれ。

 高校生になって、そういうことを感じられないのかということもあるが、引率の先生がいて、なぜ、他人の立場を考えるということを教えないのだろう。先生が何も言わなければ、それでオッケーってことになる。

 県代表になるほど足が早いことより、大事なことがあるんじゃないか。

 旅には歓迎できない出会いもある。

 

 

園児たちの七夕飾りが揺れる
願いごとは「長生き」だった


やっとの思いでたどりついた仙遊寺。そんな筆者を
待っているのは金剛力士像である。       
  八月七日。一日中歩く。今治の五十四番延命寺からスタートして五十五番南光坊、五十六番泰山寺、五十七番栄福寺、五十八番仙遊寺、五十九番国分寺をこなす。約二十キロの行程となった。昨日より距離が短いとはいえ、仙遊寺は山登り。もう、山頂で社旗を掲げたくなるような山登りである。あれほど山登りは避けたいと思いながら、コースの都合で仕方ないのである。しかも、途中に自販機も喫茶店も大衆食堂も何もなし。水分も昼飯も抜きで、炎天下の山登りを敢行した。今治西高校の生徒がテニス練習中に熱中症で倒れ、救急車で運ばれたとニュースでやっていた。最高気温は三五・七度だった。日差しはまぶしいどころではない。目がくらむ。会う人ごとに、感心されたり、物めずらしがられながら、ひたすら歩いた。

世界の平和を祈ろう

 きょうは旧暦の七夕。このあたりでは、旧暦でやるようだ。道を歩いていると、幼稚園児が作ったらしい笹かざりが、あちらこちらに飾られていた。下げられた短冊をみると、いろんな願い事がある中で、「百さいまで生きられますように」「長生きできますように」っていうのが結構多い。幼稚園児か保育園児か知らないが、生まれて数年しかたたないのに、長生きを夢見るのか。悲しい国だ。

 私も寺では拝みはするが、これといった願い事があるわけでもなく、最初は自分の健康とか家族の健康なんかをぼんやり考えていたが、六十近くも寺を回っていると、どうでもよくなってきた。大袈裟だが「世界中が平和に」なんてことを、お願いしている。左様に解脱したわけでもないのだが、そこに尽きるということか。たまに「西日本新聞社に功徳がありますよう」と祈ってみたが、功徳はいかに。

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