愛媛編(下)


60番札所横峰寺から70番本山寺まで

人が人を引き寄せる。踊りには不思議なパワーがある


新居浜コンガ踊り。こんなところでもみんな衣装を揃え
一生懸命。こうしてみていると踊りは四国の専売特許と
いった感がある。考え過ぎかも知れないが、射切る喜び
とか、元気であることの嬉しさとかが踊りから伝わって
来るような気がする。               
 八月八日。夏バテか、身体が思い。きょうは紫外線警報も出ていることでもあり、歩くまいと心に誓って今治を八時半に出発。伊予小松駅までJRに乗って、そこからバスなどで六十番横峰寺をめざそうという算段。なんといっても西日本最高峰の石鎚山の中腹にあり、四国霊場の中でも三番目の高さにある難所として知られている。六十番だけでもクリアできればいいかな、という思いで伊予小松に到着した。ところが、ここからはバスがないという。駅前のタクシー会社で話を聞くと、石鎚山登山口というところから寺へのシャトルバスが出ているという。石鎚山登山口まではタクシーで十五分くらい。そこまでタクシーに乗って、そこからバスに乗ることにした。

 マイクロを降りると十五分ほど山道を歩くものの、難なく「難所」の横峰寺まで参拝できた。再びバスで登山口まで戻ったところ、そこから次の六十一番のほうに向かうバスはないし、もちろん山を下りるバスもない。歩いて五十分、山道を降りる。降りたところが、六十三番吉祥寺で、順序が後先になるが、六十三番から六十二番宝寿寺、六十一番香園寺へと向かう。そののち、再び引き返して六十四番前神寺へ。結局、十キロくらい、しっかり歩く。そこからJRに乗りで新居浜に出てみた。新居浜駅からホテルに向かう途中のタクシーで、運転手が「きょうは新居浜はお祭りやってますよ。ホテルからも遠くないからせっかくだからご覧になったらどうです」という。チェックインをすませ、午後六時ごろからぶらりとでかけた。

小さな町の盆踊りだが

 商店街の通りが通行止めになって、踊り隊が準備している。踊るのは「新居浜コンガ踊り」である。なぜ、コンガ踊りなのか。数人に尋ねてみたがわからない。市内の企業が十数人ずつ踊り隊を出して、コンガ踊りを踊るのである。チーム対抗という形式になっているものの、盆踊りとかわらない。徳島で見かけた阿波踊りの練習や、高知でみた二百人規模の「よさこい」の大練習からすると、ほんとうに可愛らしいとしか言い様がない。

 でも、不思議なのは踊っている人をみてると、いいなあという気がしてくることだ。「踊るアホウに見るアホウ」ではないが、なんだか、人間のパワーを感じて自分も参加したくなってくる。人のつながり、人の力、踊りって不思議なものだ。

 

 

自分が生きている世界を
みつめられる場所が田舎


霧につつまれた雲辺寺。
8月というのにアジサイが咲いていた。
 八月九日。ナガサキ原爆の日であり新聞休刊日。インド・パキスタンという今年、新聞が出ないのは、寺を回りながら平和を祈っている私としては、自分がアタック中とはいえやるせない。夏祭りの楽しそうな風景と、浴衣姿の子どもたちの笑顔と、野道を歩きながら出会う動物たちと、そんな平和の風景をかみしめながら、新聞の仕事は何? と自問する。

 四国最高峰、石鎚山系の寺がぽつぽつと離れているので、レンタカーで回る予定である。ホテルの隣がレンタカー屋。六十五番三角寺はバスの便も悪いので他に方法がない。そこから、六十六番雲辺寺へ。ここからは涅槃の道場と呼ばれる香川県に入る。山道でくるくる回りながら、道を間違えてしまい、試行錯誤しながらロープウェイ入り口に。車で行けるらしいのだが、参道ががけ崩れで通れないのだという。二千円を払ってロープウェイに乗る。この日は雨で、すっぽりと霧というより、寺の名前のように雲に覆われて、周囲は全く見えない、真っ白けのケーブルカーが、時速三十六キロという日本最速でのぼっていく。寺は霧の中に杉やヒノキの大木がうっすらと浮かぶ幻想的な風景。

 観音寺市まで足をのばし観音寺周辺の寺を車で回ってしまう。六十七番大興寺、六十八番神恵院、六十九番観音寺、七十番本山寺へ。観音寺に泊まる。

古里へ帰省が始まった

 帰省の人たちを見かけるようになってきた。お母さんと子ども二人とかが、列車とバスで田舎に向かっている。東京弁の男の子を連れて、ほっとした表情のお母さん。お父さんは遅れてやってくるのか。そろそろお盆。田舎で過ごすお盆はいいと、つくづく思う。年に何度かでも、田舎の暮らしを「確認」する。そのことで、私たちは都会の、あらゆるものがバーチャルな日常を離れて、辛うじて自分が生きている世、時間、環境、自然を見つめられるのじゃないか。むろん、そんな田舎そのものが、もう少なくなっているのだが。

 私には、田舎がない。実家は福岡のマンションだから、そこには現実的な自然も、時間もない。山口から福岡に帰るのは、都会に出ることになってしまう。これまで歩いてきた田舎。この世界を心の片隅にずっともっておきたいと、思う。

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