香川編(中)


879番札所天皇寺から84番八栗寺まで

町が死んでいる。マスコミも殺しの共犯か?


天皇寺近くの八十場の湧水。四国にはところ
どころに、弘法大師ゆかりの湧水があり、ず
いぶんのどを潤した。何人もの遍路も同様に
水をすくったのだろう。朝早くから水をくみ
に来ているひとたちも多い。「天然水」とい
う奇妙な表現が流行っているが「天然水」の
何と貴重なことか。           
 八月十二日。坂出のホテルを出発して古い通りを進んで七十九番天皇寺へ。商店街を通っていくが、大半はシャッターが下りていて、町は死んでいるようだ。本四架橋の児島−坂出ルートとして脚光をあびてきた坂出だが、橋がかかれば、港町としての役割もなくなり、次第に寂れていく。取り付け道路や何かで、地元の土建屋が多少は儲かったのだろうか。建設費の大半は東京の大手ゼネコンがもっていったことだろう。そうやって政治は地方の町を一つ一つ殺していく。利益誘導が政治家の仕事なんてことを言った政治家がいたが、どういう意味で「利益」なのだろう。むろん地方都市のこれまでの生き方の方にも問題はあるのだが。

  ◇   ◇  ちょうど補正だ概算要求だと政局も動いているようだが、新聞だって十年一日のように同じような展開を続けていることも、反省が必要だと思う。商店街のシャッターを下ろさせた責任の一端は、マスコミにもあっただろうと思うのだ。たとえば利益誘導、やみくもな公共工事に無批判だったり、商店街にシャッターを下ろさせた張本人であるモータリゼーション(それは自動車産業、日本経済という話になるが)と正面から向き合ってこなかったというような部分で。山頂でフランスの水を飲む暴挙を黙ってみてきたという事もそうだ。

       ◇   ◇  天皇寺から二時間ほど歩いて八十番国分寺へ。これで阿波、土佐、伊予、讃岐と、国分寺を四つ制覇したことになる。いよいよ旅も終わりに近づいたと思う。ここで昼になったので、讃岐うどんの昼食。さすがに本場。うまい。

 さて、正午すぎになり、ここから八十一番白峯寺に向かう山道は四時間から五時間の道程。山頂には宿がないから、これを登ると立ち往生してしまうことになるので、タクシーを呼ぶことにした。車で回ると、何の感動もないが、仕方がない。目的は寺を回ることではなくて歩くことなのだ。山頂で降りるとどうしようもなくなるのでタクシーに乗り、同じ山の中腹にある八十二番根香寺(ねごろじ)を回って、山を降りる。JRで高松へ。きょうは十一キロくらいしか歩いていない。

 

 

歩く速さでしか物は見えない
人は車に乗ると心を奪われる


屋島から高松市内を見る。正面の山のふもとが栗林公園。
はるか向こうから歩いてきたと思うと感慨深い。
  八月十三日。午前八時すぎにホテルを出る。一駅歩いて電車に乗り八十三番一宮寺を出発したのは午前十時になった。途中、冷やし中華など食べて八十四番屋島寺まで約十五キロを歩いたら午後二時半。十五キロとはいえ、屋島のふもとで二度も迷ってしまい、たぶん二十キロ近く歩いている。人に聞こうにも、お盆で人がいないのだ。スタートが遅れた分を取り戻そう速いペースで歩いていただけに疲れた。

 屋島には古色騒然としたケーブルカーがあって、二十年近く前に乗ったことがあるので、下りだけでも乗ってみようと行ってみると、駅舎ともに、いまだに現役だった。降りた時には三時半になっていて、さて、歩けば二時間。これでは納経に間に合わないので「琴電」(通称:コトデン、琴平電鉄)に乗って次の八十五番八栗寺のふもとの八栗まで二駅乗る。そこから約二キロの坂道を駆け足で登り、八栗ケーブルカーの駅に向かう。汗だくである。宿は高松なので、再び、その道を下ってきた。結局、二十四―五キロは歩いたのではないか。巡礼もあと三つだ。

お接待も明日まで

 栗林公園を過ぎようという時に、同じ年くらいの主婦が駆けてきて「八十八ケ所回られますか?」と言って「私の分までお参りしてきてください」と五百円硬貨を渡された。今回はそうですか、ありがとう、お参りしてきます、とスムーズに対応できた。しかし、このお接待も明日で終わりである。歩いているからこそ、こういうお接待はあるんだなあ。車で回っていては、こんなふれあいはないのだ。

 今回の旅で実感したが、車に乗っている時の自分が「いや」だ。前の車が遅いとか、方向指示機出してないぞ、とかいろんなことに腹を立ててばかりいる。公共交通機関は別にすると、走る個人主義ってかんじ。車はルールにしたがって整然と走っている気がしていたが、全然違うな。社会的な存在じゃない。基本的に孤立していて、暴走するものだ。

 このところ花森安治の仕事を検証してみようといくつか読んだ。彼はジャーナリストとしてピカ一なのだけれど、一貫して自家用車を否定していたのが、分からなかった。いま、あらゆることが、自家用車なしには考えられない時代になっている。彼の生きた時代のせいかな、と思っていたりしたのだけれど、歩いてみてよくわかった。そういうことだ。一人一人が、閉ざされ、隔離されて、どんどん傲慢になっていくということだ。心まで鋼鉄で武装するということだ。車に乗ると、人の優しさも、自然の厳しさも見えなくなる。感情の交流を拒絶する。そして人は車の力を、自分のもののように誤解する。さらには、年間一万人の命を理由もなく奪う。

 車がいけないと言うつもりはない。だが一人に一台ある必要は全くない。一人一人が心を閉ざしていくようで恐ろしい。歩いていると、人間は人間の早さでしか物をみることができないのだとつくづく思う。

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