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八月二十八日の藤井行雄さんとの話はカツオヤジのことで盛りあがったのだが、行雄さんははじめカツオヤジは高橋姓だと思っていたようだった。豊沢村の人だということからそんな思い込みがあったのかもしれない。行雄さんの奥さんもカツオヤジについては記憶があって、指が四本だということが強く記憶に残っていたのだった。それは何か村の小学校の祭の時の記憶のようだった。カツオヤジの指のことについては後に別の人から非常に正確な話を聞くことができたのだが、行雄さんとカツオヤジとの関係でいうと、カツオヤジの子には長男勝美と、さらにその妹になる娘があって、その妹と自分が学校の同級生だったということであった。そういう縁もあって、あとでいろいろ調べておいてくれるということだった。わたしが知りたかったのは、第一にカツオヤジと松橋和三郎との関係だった。そしてできればその両人の容姿と生没年だった。さらにもう一つ知りたかったことは、狩りに行く時家で水垢離をとることがあるのか、ということだった。そしてまずはカツオヤジの狩りの仕方や習慣のことだった。わたしは、なめとこ山のあたりで熊狩りをする猟師としてまずは豊沢村に住んでいた人を見つけ出したかったのだった。カツオヤジがそうだった。だが賢治の作品のモデルとして年齢が合うのかどうか、それをぜひとも知りたくなった。そのカツオヤジが、田口洋美さんがいろいろなところで書いている和三郎の息子松橋勝治である可能性はかなり高いように思えていた。であれば和三郎の話もすぐそばに出てくるはずだった。
行雄さんは知り合いにいろいろ電話をかけてくれた。だがカツオヤジが松橋姓であったかを覚えている人は誰もいなかった。無理もない。明治二十六年生まれの人である。今日生きていれば百二十三歳になる人である。カツオヤジの息子の勝美さんですら既に三年前に亡くなっているのである。それで、さらに調べておいてくれるということで、わたしはそこをおいとまして、沢内村に行くことにした。ともあれマタギの村といわれるその場所を見て、そしてそこの「碧祥博物館」のマタギ資料を見ておきたかったのである。そしてできるなら夜は八戸まで行って、翌日は是川遺跡を訪ねてみたいと思っていた。藤井さんが調べてくれたことは京都に帰ってから電話で聞かせてもらうつもりにしていた。そういう約束にしてわたしは鉛をあとにしたのだった。
豊沢ダムのところでわたしは前日買っておいたパンを食べて昼食にした。二時ごろにはなっていただろう。ダムの水位はきわめて低い。基準水位より十五メートルほど下がっているだろう。そもそも雨が降らなくてはダムの機能も果たしようがない。この天候の恒常的な異変はダムの建設そのものの意義をも空しくさせてしまうかもしれない。
水深の浅くなったダムを見ていると、昔の生活の跡も見えてくるのである。あそこには畑があったようだ、とかあれは昔の道や橋ではないか、とか。義父が飛騨の尾神という御母衣ダムに没したところの出身なので、わたしもダムに没する村のことは人ごとに思えない。義父は、水が少なくなった時には昔の橋が見えると言っていた。だからわたしは白川村にゆく機会がある時には、いつも車を止めて尾神橋から水の中に目を凝らすのである。だが、まだその橋が見えたことはない。そのうちその橋のことを覚えている人も世の中からいなくなってしまうのであろうが。
博物館の見学はあっさりと終えた。そして向いの店でそばを食べ、そしてパンを買った。パンを買っておくと食事に時間をとられないですむのである。わたしは進路を湯田町、和賀町を通って北上市に向かう道にとった。途中ある道の駅で藤井さんのところに電話をかけた。何軒かにかけて調べているところだと言った。わたしは一時間後にまた電話をする約束をして切った。だが途中は結局携帯電話が通じなかった。途中ひとつ温泉に寄って、そして北上市入った時にはもう夜も暗くなっていた。はじめにトヨタレンタカーに電話をしてレンタルの期限をを一日延長してもらった。そして藤井さんのところにかけた。藤井さんはその同級生の兄、勝美さんの家に電話をして、奥さんから勝治さん、勝美さんの生没年を聞き出してくれていた。そして彼らが高橋姓ではなく、松橋姓であること、そして松橋和三郎は勝美さんの祖父であることを聞き出してくれていた。和三郎を知っている人にはじめて出会ったのだった。行雄さん自身もとても興奮しているようだった。
わたしは予定を変更して、明日も鉛に行くことにした。そしてそれを行雄さんに告げた。わたしはこの日も鉛温泉藤三旅館に泊ることになった。また自炊部である。そこももう明日の朝食も準備できない時間になっていた。そしてお土産になるものを少し買った。一つは藤井さんに、そしてもう一つは学生を連れてそこに泊ることにしていると聞いていた法政大学の岡村民夫さんのために。
その夜は岡村さんと出会い、その日の聞書きについて大いに話した。そして彼が夜の授業に行ってからは、わたしはまたたっぷりと温泉に入っていた。そしてその日の聞書きの思いがけない豊かさに興奮して、また一時間ごとに温泉に入りながら、朝の白んでくるまで、わたしはずっと眠れなかった。
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