永遠回帰の思想
Since 1. October 1996

nomadologie


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by
Masatsune NAKAJI

中路正恒

html ver. 1.04, le 22. août 2003



第二の考察

第三の考察

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第一の考察
  ◇ 諸々の根本誤謬の同化

 ニーチェの思索の歩みにおいて、肯定が問題として立ち現われてくるのは、「永遠回帰の体験」によってであるように思われる。一八八一年八月始めと日付 を付された断片、それは遺稿ノート中で「永遠回帰」が語られる最初の断片で あり、後日『この人を見よ』の中で、「人間と時間の彼方六千フィート」と下 署した紙片として、記念碑的に取り上げられることになる断片であるが、 そこには次のような語句が、「同じものの回帰」と題された著作の草 案の、五つのテーマの内の最初のものとして、書き留められている。「諸々の 根本誤謬を同化すること(Die Einverleibung der Grundirrthümer)」(1)と。 これはこの時、つまり「永遠回帰」と いうものが初めて彼を訪れた時、ニーチェがみずからの 課題として理解したことが何であったか、を端的に示している。 「諸々の誤謬を同化する」ということは、「永遠回帰」を経ることによ って、まさに課題として浮かび上がってきたことだ、と考えられるのである。

 ここで「同化する」とは、否定し排除す ることに対立し、肯定し受容することを意味している。そして同化するという 課題は肯定しようとする意志に対応する課題であり、同化は同化の対象を 肯定しようとする意志に基づいて初めて課題となることができるであろう。従 って《諸々の根本誤謬を同化する》という課題は、諸々の根本誤謬を肯定しよ うとする意志を前提している、と考えることができる。

 ところで、「諸々の根本誤謬」を構成するのは、ニーチェの他の幾つかテクス トによって補うならば、「作用を及ぼす主体」「作用を及ぼす 事物」「原因と結果」「作用を及ぼすアトムの世界」「物自体」「作用を受け る対象」「実体」「物質」「精神」「質料の永遠性および不変性」などの概念 である。これらの概念によって指示されるものはいずれも自己同一性を 有すると想定されているのであるが、まさにこの自己同一性こそが、これらの 概念を誤謬たらしめている要素とされるのである。つまり、実際には「持続性 とか自己同一性とか存在とかは 、主体と呼ばれるものにも対象と呼ばれるものにも内在していない」のである (2)。そしてニーチェは、これらの誤謬的な諸概念の源泉に、 〈自己同一者を想定する働き〉を確認する。自己同一者を想定する働 きが、主体としてであれ対象としてであれ、諸々の根本誤謬の源泉にあり、そ れがそれらの誤謬を産出する根源的な働きになっているのである。

 自己同一者を想定する この働きは、ニーチェが下等有機体の内にも認めるものである。それは人間が 下等な有機体であった時期以来引き継いできた強力な本能である、とニーチェ は言う(3)。しかし、この強力な本能は人間においてその諸々の働きの中核を なす一つの形式を持つに到り、その形式が諸々の根本誤謬を形成する上で範型 としての役割を果たすようになるのである。その形式が〈自己同一性をもつ 主体としての自我〉である。諸々の根本誤謬はその中核に自己同一的自 我という根源的な誤謬を持ち、また自己同一者を想定するわれわれの本能は、 自我の存在によせる確信の内にその活動の中核的支点を見出すのである。

事態がこのようなものであるとすれば、諸々の根本誤謬を同化するとは、根源 的誤謬と言うべき自我の想定を肯定することに帰着するであろう。しかしなが ら、われわれは自我の想定を肯定するということが正確に言ってどういう意味 をもつのかということをいまだ理解していない。自我の想定を肯定することは 、それが誤謬の肯定という意味をもつ以上、無制約的な意味での肯定ではない であろう。それは誤謬であるにもかかわらず肯定されるのである。また、それ は誤謬 として肯定されるのである。しかし、われわれはこの〈自我の想定は誤謬とし て肯定される〉という定式を、〈永遠回帰の体験〉との連関の内に置く のでな ければ、その意味を判明に理解することはできないであろう。反対に、この定 式が永遠回帰の体験との連関の内に置かれるならば、われわれは次の二つの問 いに答えることが可能になるであろう。すなわち、まず、「自我の想定が誤謬 であることはいかにして知られるのであろうか」という問いであり、第二に、 「なぜ自我の想定は肯定されねばならないのか」という問いである。われわれ は以下の論考で、これらの二つの問いについて考察してみたい。

  ◇ 純粋な生成

 生が諸々の根本誤謬なくしては維持されえないということはニーチェの基本的 な主張の一つである。しかし、ニーチェはそれによって、生には諸々の根本誤 謬から脱するような瞬間が訪れることは決してない、と言おうとしているわけ ではない。もしわれわれが諸々の根本誤謬の中に完全に閉ざされているとする ならば、われわれには、われわれがその内に閉ざされているものが誤謬である と知ることは決してできないであろう。生においてわれわれにある知が与えら れ、その知によって諸々の根本誤謬がはっきりと誤謬として把握される可能性 は相変わら ず開かれていると考えられねばならない。この知はどのようにして与えられる のであろうか。

 一方で諸々の根本誤謬の誤謬性は、始まりも終わりもない生成として の世界、純粋な生成としての世界を前提すれば、そこから論理的に演繹される ように思われる。一八七〇年代の後半のころから、ニーチェはこうした前提を 用いて、自己同一的な実体という形而上学的な概念を批判し、また同じく自己 同一者があるという想定に基づくものである論理学を批判していた(4)。諸々 の根本誤謬の誤謬性は、すなわち自己同一者があるという想定の誤謬性は、確 かに、〈純粋な生成〉という前提から導きだされるであろう。従ってわれわれ はここで先の問いを変形して、自己同一者の存在を否定する根拠になる純粋な 生成という観念自体は、いかにして不可疑なものとして知られるか、という問 いに変えることができるであろう。始めも果てもなく、その外部というものも もたない純粋な生成、それをわれわれは一体どのようにして知ることができる のだろうか(5)。

 今や、この形の問いに対しては、それは〈ある種の啓示によって〉である 、という答えしか答えは存在しないように思われる。 われわれが「永遠回帰の体験」を見出すのはこの地点においてである。 すなわち、永遠回帰とは、まずもって一種の啓示的体験であり、その体験にお いて、純粋な生成という観念が、この上なく明証的なものとして、不 可疑な確実性をもつものとして、示されるのである。しかし、ニーチェがこ の「体験」に先立って、純粋な生成の概念に基づいて批判の作業を押し進め ていた時、ニーチェはこの純粋な生成という概念そのものがどういう性格のも のであるのか、必ずしもはっきりとは理解していなかったようである。つまり 、ニーチェはニーチェ流の仕方で、この前提自体は自明なものである、とみな していたようである。

 これに似た誤解はニーチェのいわゆる「永遠回帰の理論的証明」の内にも認められるものである。周知のように、その「理論的証明」において、ニーチェは始まりも終わりもない純粋な生成という概念、つまりこの場合、外部をもたない世界の時間の無限性という概念を、世界の永遠回帰を結論するための前提の一つとして用いている。しかし実際には純粋な生成によって世界の永遠回帰が演繹されるのではなく、逆に永遠回帰の「体験」によって、純粋な生成という観念にある種の明証性が、すなわち啓示的明証性が、与えられるのである。

 こうしてわれわれは、諸々の根本誤謬の誤謬性の知を可能ならしめる充分な根拠として、永遠回帰の体験を認めることができる(6)。

 しかしながら、この永遠回帰の体験とは、正確に言って、どのような体験なのであろうか。また、自己同一者の想定はこの体験においてどのようにして誤謬として示されるのであろうか。先にわれわれが述べたのは、永遠回帰の体験は一種の啓示的体験であり、それによって世界が純粋な生成であるということが明証的に示される、ということであった。しかしこのような説明 が永遠回帰の体験自体を説明するものでないことは明らかであろう。われわれはいまや永遠回帰の体験そのものに向かわねばならない。

  ◇ 体験と忘却

 端的に言って、永遠回帰の体験において示される事態とは、カントが純粋実践理性の根本法則の意識を理性の「事実」と呼ぶのと同じような意味 で、万物の永遠回帰が「事実」である、ということである。つまり、「永遠回帰」は、先立つどのような前提にも、------例えば時間の無限性や力の有限性といった前提にさえも、------基づくものではないのである。永遠回帰が「事実」であるとは、「永遠回帰の体験」と呼ぶべき体験が私に与えられ、 その体験が与えられるこの瞬間において、私は、わたし自身が、かつてこの同じ瞬間に立っていたことがあるということを、この上なく明瞭に理解し、そしてまたわたし自身が、今後再び、無数回にわたって、この同じ瞬間に立ち帰らざるをえないのだ、ということを、苦しくも明瞭に理解する、ということである。------このような体験が実際に与えられる、ということ、しかもそれが、日常生活におけるどのようなどのような経験とも比べられないような、比類のない明瞭さをもった体験として与えられるということ、そのことを私は〈永遠回帰の事実〉と呼ぶのである。仏教文化圏においては、みずから「地獄」に落ち、それによって〈地獄〉を自分の−本来の−不可避の−場所として自覚するようになる、というような経験が語られることがあるが、そのような経験もまた、私には、永遠回帰の体験のそれぞれのヴァリアントであるように見える。永遠回帰が「事実」であるのは、まさに、この瞬間において、私が、かつて無数回にわたってこの同じ瞬間(同じ〈地獄〉)にいたことがあり、また今後無数回にわたって、この同じ瞬間(同じ〈地獄〉)に立ち戻らなければならないのだ、ということが〈知〉られるからである。

 それゆえ、この体験は突然の覚醒、という性格をもつ。というのも、私がかつてこの同じ瞬間に立っていたということを、それまで私は完全に忘却していたからであり、われわれはみなそのことを忘却しているからである。そしてまた、私はこの瞬間のただなかで、私がこの覚醒の瞬間の外に一歩でも出るならば、私はこの体験を本質的な意味において忘却するであろう、ということを知るのである。忘却は回帰の体験の本質に属し、永遠回帰が体験される瞬間の前と後ろとを、深い深淵のように取り囲んでいるのである。永遠回帰は、「わたしの最も深い深淵の思想(mein abgründlichster Gedanke)」(7)である、と言われるが、この深淵は深い忘却の深淵なのである。

 永遠回帰の体験の瞬間において、私がわたし自身をかつてこの同じ瞬間に立っていたものとして体験するとき、私は同時に、私を再びこの瞬間にいたらしめた連鎖系列の存在を認め、私がその系列の全体を巡歴したがゆえに、再びこの瞬間に立ち至ったのだ、ということを理解する。この連鎖系列において、私は、私がこれまでそれであった〈私〉は、単にその偶然的一契機にすぎなかったことを認め、他の無数の諸契機を、同様に私に対して開かれた諸々の可能性として、認めるのである。すなわち、私は実際、他の無数の諸契機の すべてであったのであり、私がこの瞬間に立ち至りえたのは、私が無数の諸契機のすべてを、その連鎖の必然性に従って、巡歴し終えたためである、ということを、私は理解するのである。ニーチェが次のように語るとき、すなわち、「われわれは必然的である。われわれは一片の宿命である。われわれは全体に帰属している。われわれは全体の中にある」(8)(強調はニーチェ)と語るとき、ニーチェは永遠の循環運動を構成する〈必然的連鎖系列をなす無数の諸契機の全体〉への、私のこの本質的で不可避な帰属について、語っているのである。

 私の「全体」への本質的帰属は、私がこれまで私がそれであると 信じていた一つの実体としての自我を、連鎖の全体を構成する 偶然的一契機へと解消し、同時に、私の他のもろもろの偶然的諸契機を、 もろもろの〈私〉とすることを、可能にさせる。つまり、私はただ一つの 自己同一的「私」であるのではなく、この体験の瞬間に至る以前には私が それであると信じていた「私」と、わたし自身 との結びつきは、絶対的関係としては解消され、一つの偶然的関係として露呈されるにいたるのである。私は私に固有な自我を失い、それと同時に、他のもろもろの自己同一的な者たちを、わたし自身の変身の可能性として、見出すにいたる。そして、根源においては、私は循環運動の全連鎖を構成する自己同一的な者たちの数と同じだけ多くの〈私〉である。

 一八八九年一月の次の手紙の一節は、永遠回帰の体験の内容を示すと同時に、ニーチェが、その活動の最後の時期において、もはや何らかの自己同一性の内に自身を繋ぎとめておくことが困難なほどに、この体験の内に引き入れられていた、ということを示すものである。ヤーコブ・ブルクハルト宛のその手紙の内では、こう言われている。「不快なこと、そしてわたしの謙虚さを圧迫すること、それは、根本において、歴史上のあらゆる名前がわたしである、ということなのです(9)。」

 ここで「名前」とは、諸々の遠近法的観点の統一性のことだ、ととりあえず言っておきたい。

  ◇ 神の死

 「神の死」が体験されるのも、この永遠回帰の体験においてである。神と神の死はニーチェにおいて様々な意味をもつ。とりわけ後期において、神は諸価値と諸価値評価の問題として、多元論的な図式の中で捉え直されるようになる。しかし、彼の著作の中で「神の死」が最も危急な問題として現れてくるのは、『歓ばしい知識』と『ツァラトゥストラ』においてであり、そこにおいて「神の死」は、永遠回帰の思想との緊密な連関の中で言い出されてくるのである。その連関において本質的なことは、責任ある自我の同一性の最終的保証者である神が、永遠回帰によって死に、そして永遠回帰の教えよってその死の意味が引き受けられる、ということである。

 自己同一的な自我の死、換言すれば不変、不可分な〈個人〉という ものの死の確認である永遠回帰の体験において、神は、われわれの自我の同一性を保証する実質的な最終根拠として問題になり、そして、永遠回帰が体験されたということそれ自体によって、神は、その死(不在)を最終決定的に確認されることになる(10)。

 しかし、そもそも自己同一的自我と神とのつながりは、どのようにして構成されてきたのだろうか。ここで簡単にそのニーチェ的な問題構成を見てみよう。

 ある意味でわれわれはみな、自身の行為に対して責任を負う主体と見做されるのであるが、われわれが自身の行為に対して責任を負いうるための条件として、われわれには自己同一性が備わっているとされねばならない。しかし、責任という概 念が無制限な範囲において成立しうるためには、個人間の約束や、集団的約束を超えた超越論的根拠が存在しなければならない。なぜなら、〈忘却された約束〉という問題、そして〈思い込みの約束〉や〈捏造された約束〉という問題が常に生じうるからであり、その場合、起こったことと起こらなかったことの区別が、何びとによっても判定しえなくなるからである。この問題は、神が、最終的な判定者として存在し、その事柄についての知を最終的に保証している、という想定が、共同的に懐かれている場合にだけ、一応の解決をみることができる。つまり、責任の概念は、間接的には 実在する神の前での責任となることによって、その無限性において基礎づ けられることになるのである。しかし、責任が神の前での、従って最終的には神に対する、責任となると同時に、われわれはみずからの一切の行為において責任を負うことになり、われわれが備え ていなければならない自己同一性は、われわれの誕生から死に至るまで及び、更に死後の「神による裁定」の日にまで及ぶことになる。かくして神は、われわれに責任ある主体としての自我の同一性を保証し、またそれを強要する、実在的根拠となる(11)。神に「全知」「正義」「力能」という属性が帰せられるのも、責任を負う主体という概念を基礎づけるためである。というのも、「全知」の神によってはじめて、われわれの行為の一切は知られうるであろうし、またわれわ れの一切の行為を裁定し、賞罰を与えうるために、神はそれを「正義の」観点から判定し、賞罰を実際にわれわれに与える「力能」をもたねばならないだろうからである(『黙示録』的図式)。つまり神は「全知」の検察官であり、「正義」の裁判官であり、「力能ある」賞罰執行者である、というわけなのである。

 われわれの自我の同一性の保証者、かつ強要者としてのこのような神は、永遠回帰の体験において自我の実体性の消失が確認されると同時に、決定的に死ぬ。逆にいえば、永遠回帰の体験によってはじめて神は決定的に死に、それとともに私は私の自己同一性の保証を決定的に失うのである。ニーチェにとって、この神の死は決定的であり、また自明なものであって、このような死は、その後、再び何らかの仕方で甦らせられることのない死なのである。

しかし、このような神の死は、近代以降、騒音とともに様々に語られる「神の死」とは、ほとんど関係のないものである。それらは、人間の社会が神という想定を特に必要とすることなく維持されうるものであることを発見し、もはや不要となった神の位置に、神の代わりに人間的諸価値を、そして諸々の人間的、機械的な装置を、置き据えることによって、 やってゆこうとする、近代的人間たちの企てである(12)。こうしたことを企てるのは、「賤民(Pöbel)」たちである。ニーチェは神を葬ろうとする賤民たちの騒々しい企てを、「墓掘り人夫たちの騒ぎ」と呼ぶ(13)。しかしこのような企てにおいては、神の座であった超越的〈場〉は、相変わらず手付かずのまま残されており、今度はその〈場〉に置き据えられることになったもろもろの価値が、われわれの責任の根拠として持ち出されることになるのである。いわく、国家に対する責任、社会に対する責任、人類に対する責任、会社に対する責任、等々。何にせよ責任を負わせられていることに安心を見出す趣味は、その奴隷的素性を物語るものである。われわれがこうした趣味をもつかぎり、「古い神は再び生きかえってくるものだ」、と言う、ツァラトゥストラの「影」の判断は、いつまでも正しいものであることになろう(14)。

 しかし永遠回帰の体験によって、こうした古い神は端的に、決定的に死に、それとともに、神の座であった超越的な「場」は、決定的に失われるのである。というのも、回帰の体験において、私がこの同じ体験の瞬間に再び立ち帰っているからには、永遠回帰は真理であり、永遠回帰が真理であるからには、「全体のほか(außer dem Ganzen)には何も存在しない」(強調はニーチェ)からである(15)。こうしてニーチェは永遠回帰を、「自我」の死とともに、「責任性」と、その根拠としての「神」、の死を、意味するものとして語るのである。「われわれの存在を裁きうるようなものは何も存在しない。[……]だれ一人としてもはや責任あるものとされることはない(16)。」われわれはこの世のつけの支払いを、あの世に期待することを、もはや望まないのである。そしてこのことを、ニーチェは「大いなる解放」として理解し、「生成の無垢を再び打ち立てる」ことだと理解するのである。

  第一の考察 注

 ニーチェのテクストの指示は、著作についてはその標準的な日本語タイトルによって行い、遺稿断片については、Friedrich Nietzsche Sämtliche Werke Kritische Studienausgabe, Deutscher Taschenbuch Verlag, 1980,(KSA と略記) の巻数、ノート番号、断片番号によって示す。
(1) KSA, Bd. 9, 11[141]. ちなみに、二つめ以降の表題は次のようなもので ある。「二、諸々の情熱を同化すること。三、知と断念的な知の同化。四、無垢なる者。実験としての単独者。… 五、新しい重し、同じものの永遠回帰 。…」。なお、このテクストを以後〈回帰体験テクスト〉と呼ぶことにする。
(2) KSA, Bd. 12, 9[91]. 更に Bd. 9, 11[268] も参照。
(3) 「同一の事物が存在するという信仰は、下等な有機体の時期から人間が受け継いでいるものである(この命題は、最高の学問によって鍛えられた経験によってはじめて反論される」(強調は、最初のものはニーチェ、二つめは引用者による)(『人間的な、あまりに人間的な』一八)。この「最高の学問によって鍛えられた経験」とは、どのような経験のことなのだろうか。しかしその「経験」がどのようなものであれ、ニーチェが自己同一的なものが存在するという想定に反論する〈知〉の根拠について、この時期においてさえ、全く無自覚的であったわけではない、ということは、この補足によって充分に証明される。
(4) 同前。また前項の注も参照されたい。
(5) 藤原定家もまた、海の波の瞑想によって、この、始めもはてもなく、そしてそれを庇護する外部のものもない、純粋な生成という思想を、感得したのではなかっただろうか。十題百首のなかの、次の歌を参照していただきたい。この歌の「知る」は、〈知〉を意味すると同時に、また「領する」「統治する」をも意味しているであろう。

  わたつ海(うみ)によせてはかへるしき波の始めもはても知る人ぞなき

(6) ニーチェは、〈回帰体験テクスト〉の中で、「われわれの真剣な努力は、すべてを生成するものとして理解することであり、われわれを個人なるもの (Individuum)としては否認することである」と言う。永遠回帰の〈体験〉と純粋な生成との密接な結びつきはここにも見て取ることができる(KSA, Bd. 9, 11[141] 参照)。
(7) 『ツァラトゥストラはこう語った』第三部、「快癒に向かう者」一。
(8) 『偶像の黄昏』「四つの大きな誤謬」八。
(9) Brief an Jacob Bruckhardt in Basel, Am 6. Januar 1889.
なお、本論の永遠回帰の体験に関する説明の至る所で、私はピエール・クロ ソウスキーの次の書物から多くの着想を得ている。P. Klossowski, Nietzsche et le cercle vicieux, Édition revue et corrigée, Mercure de France, 1978.
(10) 永遠回帰と〈個人の死〉との関係については注(6)に引いた〈回帰体験テクスト〉を参照。また、この時期の、永遠回帰の体験の強い反響を聞き取るべき別のもう一つのテクストでは、「絶えざる変身 ------ おまえは短い時間の中で数多くの個人を貫いて通り抜けなければならない」と言われ、人間の個人としての死の確認が、実践的な生き方においても貫かれるべきことが主張されている(KSA, Bd. 9, 11[197])。また「神の死」について、その初出は一八八一年秋の次のテクストである。「もしわれわれが神の死を雄大な諦念(eine großartige Entsagung)につくり変えるのでなければ、そしてそれを自己の永続的な克服(ein fortwährender Sieg über uns)とするのでなければ、われわれはその損失を負担しなければならなくなるだろう」(KSA. Bd. 9, 12[9])。このテクストは、必ずしも神の死の確認を意味していないが、「神の死」という重たい出来事が、永遠回帰の体験から引き出される教えによって、引き受けられ、克服されるべきである、という論理は明瞭に見て取ることができる。
(11) この説明はいまだ不充分なものであるが、ここでは次の二点を補足するにとどめておきたい。まず、ニーチェは間個人的な責任を充分に果たす人間の育成を、人類の類的活動の目標として大変重要視するが、この類的活動は、もともとは、無限化された神に対する責任のようなものを教えようとする活動ではまったくない。この活動がめざすのは、対他的関係において常に優れて責任を果たしうる者であるがゆえに、もはや何人に対しても責任を負うことのない個人、超--責任的であるがゆえに無責任的であり、超--人倫的である個人、すなわちニーチェが名付けるところの「主権者的個人(das souvräne Individuum)」を生み出すことである、という点である。第二の点は、キリスト教は神に対する無限の責任という観念を利用するのみならず、「われわれが神(の子)を殺した」とする虚構によって、神に対する無限の負債をわれわれに課する、という点である。これらの二点は、ニーチェの思想を曖昧なものにしないために、欠かすことができない論点である(『道徳の系譜』第二論文、参照)。
(12) ミシェル・フーコーのディシプリン的権力の分析は、私には、この、「神を不要なものにする近代人の企て」と呼ぶべきものの、最良の説明になっているように見える。近代の諸施設では、監視する神の代わりに、階層序列化された監視人たちのまなざしが、人々に服従を強制する装置になっているのである(『監獄の誕生』新潮社、第三部、参照)。
(13) 『歓ばしい知識』一二五。
(14) 『ツァラトゥストラはこう語った』第四部、「驢馬祭り」一。
(15) 『偶像の黄昏』前掲箇所。
(16) 同前。


第二の考察
  ◇ 補説: 名前・強度・遠近法的観点

 われわれに残されていることは、「なぜ自我の想定は肯定されねばならないのか」という第二の問いに答えることである。しかしこの問いに答えるためには、まず、自我、あるいは自己同一的なもの、が、永遠回帰の体験との連関において、どのような意味、もしくは資格をもつものとされるか、が明らかにされねばならないだろう。

 われわれは、ニーチェの「権力への意志」の理論は、少なくともその本質的な着想という点においては、永遠回帰の体験の内容と一致している、と考えている。つまり、この理論は「実体としての自我」の解消を前提しており、もろもろの「自己同一的なもの」の下にある実在についての理論である、と考えられるのである。従って、それはまた、もろもろの「自己同一的なもの」の形成を説明する原理でもある(1)。しかし、「権力への意志」という概念はそれ自身、すでに肯定的な概念であり、「諸々の根本誤謬の同化」に基づく概念であって、「永遠回帰の体験」のただ中にある生の、もろもろの経緯を説明するためには、すでに多すぎる含意をもつのである。われわれは「権力への意志」の理論から、その特異な量的性格と、プロセス的、流動的性格を抽出して、それに「強度」という名称をあたえ、強度という概念によって説明を進めることにしたい(2)。

 さきにわれわれは「名前」を遠近法的観点の統一性として考えた。このように考えることによって、われわれは「名前」が、〈自我〉と呼ばれるものの統一性とは異なる秩序に属するものであることを示そうとしたのである。〈自我〉とは抽象であり、抽象量の単位となるものであるが、そのようなものとして、〈自我〉は表象の秩序の中で、あるいは表象の舞台の上でしか、存在しないものである。ニーチェが「歴史上のあらゆる名前はわたしだ」と語るとき、ニーチェは表象の空間の中で区別され、それぞれの形態を備えたものとして表象される、歴史上の様々な登場人物と自分とを混同しているわけでは全くない。そうではなく、このことは逆に、表象の秩序そのものが力を失い、空間や形態が解きほどかれ、代わって様々な「人物」たちが、強度の秩序の中で、一定の強度の状態を示す記号として立ち現れてきている、ということを示すものである。「名前」とはこのような記号に他ならないものであり、それは強度の秩序における一つの〈効果〉を示すものなのである。そして、遠近法的観点の統一性というものも、その本来の意味においては、表象の秩序における統一性では全くなく、強度の秩序に属する統一性であり、諸強度の一定の領域、あるいは状態、との対応が、太い束として凝縮していることを示すものである。つまり統一性とは凝縮であり、暫定的諸形態であって、強度のプロセス性のある種の鬱積を示すにすぎないものである。ニーチェが"Kraftcentrum(力の中心)"とか、"Willenspunktationen(意志の強意点)"とかよぶものは、こうしたプロセス的な強度の、様々な鬱積を示すものに他ならない(3)。(遠近法的観点そのものは、強度の内的原理として、強度がみずからを分化させる仕方を決定する要素である。)

 このようにして、根本において一切は強度であり、実在するのはさまざまな度合をもった諸々の強度だけである。永遠回帰の体験は、われわれに強度だけが実在することを教え、私に、強度において区分されるすべての状態を、それだけの数の〈私〉として体験させる。端的に永遠回帰の〈体験〉に属すると思われるのは、このすべての状態との同一性であり、無限の変身能力である。それゆえ私は、「十字架にかけられた者」でもあり、とりわけ「ディオニュソス」である。なぜなら、実在するものはすべてディオニュソスの変身だからである。

 永遠回帰の体験において、〈私〉がディオニュソスであり、全体であり、強度のすべての状態の巡歴であるとき、〈私〉の現実の自我は解消されている。次のような言葉が一つの「洒落(Witz)」として理解されるのは、この次元からである。いわく、「わたしはプラドーであります。わたしはまた父プラドーでもあります。わたしはまたレセップスでもある、とあえて言います。…… わたしは、愛するわがパリジャンたちに、一つの新しい概念を与えたいと思いました------ つまり、立派な犯罪者(ein anständiger Verbrecher)という概念です。わたしはまたシャンビージュでもあります------ これもひとりの立派な犯罪者であります(4)。」ディオニュソスはまたひとりの「犯罪者」でもあり、「犯罪者」がひとりの〈閾〉を越える者であり、〈閾〉を越えることにおいて特定の人種、民族、文化を乗り越え、それらを強度の特定の地域、あるいは領野として、集約的に体現し、またそれを破壊する者である場合に、とりわけそうである。なぜなら人々は、変身の能力によって、みずからに与えられた「自我」を破壊し、特定の家族、文化などのまがいものの統一性を破壊し、〈閾〉を乗り越えて行くことが可能になるのであるが、この変身の能力こそ、まさにディオニュソス的な能力であるからである。

 ある種の出自(Herkunft)へのニーチェの好みは、このことから由来する。「わたしはひとつの出自をもっている。------ このため、わたしは名声を必要としないのである。ゾロアスター、モーゼ、マホメット、イエス、プラトン、ブルータス、スピノザ、ミラボーたちを揺り動かしたもののなかで、わたしもまた確かに生きているのだ。(5)」ここでもまた、問題なのは、それぞれひとりの〈人物〉として表象されるようなもろもろの〈歴史上の人物たち〉との同一化ではない。あるいはこうした人物たちとの〈思想上の〉近縁性が問題なのでもまったくない。問題なのは、こうした〈人物〉たちの内に体現され、彼らを「揺り動かした」力なのであり、その力を強度の一領野と関係させ、それを系列化することが問題なのである。つまり結局のところ、こうした〈人物〉たちは、プラドーと同様、みな先述した意味において「犯罪者」であり、〈閾〉を越えた者たちである、ということである。そういうものとして、これらの〈人物〉は、みな変身を実行した者たちであり、そういう仕方でディオニュソス的な力に与った者たちである。このようにしてニーチェはみずからを、〈閾を乗り越える者〉の系譜の上に位置づける(6)。

 従ってわれわれは、ニーチェにおいて、一方で永遠回帰のただなかにある状態------ そこにおいて、〈私〉はディオニュソスであり、歴史の中のあらゆる名前である------ と、他方で一定の自己同一性を備えた有り方、------ そこでは、私は〈閾を乗り越える者〉の系譜に連なり、端的に言って「ディオニュソスの使徒」(7)である------ との二つの有り方を認めることができる。永遠回帰の〈体験〉の〈外〉に出るとき、ニーチェはみずからをディオニュソスの使徒として自己同一化するのである(8)。

  ◇ 思想と流動する強度

 ニーチェは永遠回帰を「思想」と呼ぶ。永遠回帰の最初の伝達においても、それは「思想」と呼ばれている。「親愛な友よ!私たちの上には八月の太陽がかかっている。月日はすばやく過ぎて行く。山や森は静かになり、一層穏やかになってきた。私の地平線の上には、まだ見たこともないような思想がたち昇ってきた。------それについては人に何も漏らさないでおきたい。そして今はゆるぎない安らぎの中に身を置いておきたい。わたしはもう二三年は生きねばならないだろう」(9)。他にも「永遠回帰の思想」という表現は枚挙にいとまがない。永遠回帰は一つの思想であり、最高の思想、「思想のなかの思想」であると言われているのである。そしてこの「思想」は、われわれに対して「支配力を及ぼす」ことのあるものであり、またわれわれにとって「同化(einverleiben)」の対象となるべきものでもあるのである(10)。ニーチェのこうした「思想」という語の使用は、われわれにはやや奇異に感じられるものであり、「思想」というもののニーチェ独特の把握にわれわれが達しないならば、われわれを「永遠回帰の思想」そのものについての浅薄な理解に導きかねないものである。それゆえわれわれはここで、「永遠回帰」を「思想」と呼ぶことの内にある、「思想」というもののニーチェ特有の把握に達するように努めたい。それは永遠回帰の〈体験〉との連関のなかで「思想」がもつことになる意味を捉えることを意味するであろう。

 ニーチェにとって、「思想」はそちらから訪れてくるものである(11)。思想というもののこの性格は、「永遠回帰の思想」においても、等しく認められる。「ズルライの村からほど遠からぬところにある、ピラミッド型にそびえ立つ巨大な岩塊のかたわらで、わたしは立ちどまった。その時、この思想がわたしに訪れてきたのである(Da kam mir dieser Gedanke)」(12)。思想がこのようにそちらから訪れてくる、ということは、思想の生起が〈私の意志〉を超えた所で生じる、ということを意味している。「思想が訪れてくるのは『それ(es)』が欲する時にであって、『私』が欲する時にではない」(13)。ニーチェはこのことを、思想一般に対して妥当する一つの「事実」である、とみなす。実際ニーチェにとって、〈私の意志〉という概念は、〈私〉を意志の「所有者」とみなす点で、また〈意志〉を「原因」とみなす点で、二重に虚構的な概念である。ニーチェが着目するのは、こうした空想的な〈私有化された思想〉という観念に先立つ、「思想」自体の生起である。

 この〈思想の生起〉の事態は、非人称的な「それ(es)」を用いて、「それが思考する(es denkt)」と定式化することによって、捉えられるものなのであろうか? この定式は、ニーチェにとってはいまだ不充分なものである。なぜなら、この定式において現れている「『それ』自体が、既に事態についての一つの解釈を含んでおり、事態そのものに属するものではない」からである(14)。ここでニーチェが「一つの解釈」と呼ぶのは、一つの「活動」もしくは「作用」に対して、「活動する主体」「作用する主体」を想定する、という、「文法的習慣」に従った事態の解釈のことである。とすれば、思考という活動の事態そのものは、主体なき活動であり、思考とはいわば無人称的活動である、ということになるであろう(15)。

 しかし他方でニーチェは、「われわれは言語の形式においてしか思考することをしない」という指摘をする(16)。この指摘は先の思考の無人称性とどのように関係するのであろうか?言語の形式において思考するということは、思考において、われわれが自らを、「私」という記号に対応する何者かとして措定している、ということを含意している。この「何者か」は、常に流動的諸状態であるが、われわれがこの流動的諸状態を「私」という記号に緊密に結びついたものであると認めない限り、われわれは言語の形式の内に入ることはできないのである。ニーチェはまた、「われわれは、言語の強制のなかで思考を行うことを欲しないならば、思考することをやめる」、とも言う(17)。この「言語の強制」とは、まずもって、流動的諸状態と「私」という記号との結びつきを承認させようとする、言語の強制力のことである。この承認が、われわれの思考の、一つの成立条件をなしているのである。

 しかし一層深い観点からするならば、この「承認」自身、ある別の諸条件によって制約されている。それはまず、〈私の意志〉なるものが存立していることを前提している。われわれが、言語の使用において必然的に課せられる強制を、「承認」という水準の問題に、つまりそれを「承認の対象」に、なしうるとすれば、それは既に〈私の意志〉が存立しているからである。しかし〈私の意志〉ということが言いうるためには、〈私〉なるものが、まさに「私」という記号によって、〈私〉の流動的諸状態と緊密に結びつき、それらを統一する「或るもの」として、存立していることが必要である。この観点からすれば、〈私〉と〈私の意志〉とを可能にし、「承認」を可能にしているのは言語であり、「私」という記号と〈私〉の流動的諸状態との緊密な結びつきを保証するものとしての、言語の言表可能性である。換言すれば、〈私〉が存在するのは、いまだ何びとのものでもない、強度(力の量)の無名で無人称的な流動的諸状態が、その最も高い状態においても、最も低い状態においても、言表によって、「私」という記号に結びつけられうる限りにおいてなのである。

 かくして〈私〉の存在を可能にしているのは言表可能性である。そしてわれわれにとって思考することが可能になるためにも、〈私〉の存在が必要であり、〈私〉が、言表可能なある一定の強度を我有化し、〈私の〉諸状態として把握していることが必要である。「Sum, ergo cogito(私が存在する、ゆえに私が考える」(18)。このことでニーチェが言おうとしているのは、この言表の影に隠れている〈ego(私)〉の存在が、思考の不可欠の要件をなしている、ということである。

  ◇ 強度の〈我有化〉

 しかしながら、このことは一見すると、先に指摘した思考の事態の無人称性と矛盾するように思われる。先にわれわれは、ニーチェにおいて思考は主体なき活動として把握されていることを確認したのであった。問題は〈主体なき活動〉ということの意味にある。ニーチェが思考を主体なき活動であるとみなす時、ニーチェは言語なき思考の可能性について述べているわけではなく、それゆえ思考を主体の作用として分節させることを強いる言語の拘束に、直ちに異論を唱えているわけでもない。むしろニーチェは、思考を主体の作用として文節させざるをえないことを「限界」と認めるのである。それゆえニーチェが言おうとしていることは、思考がみずからを主体の作用として分節しつつ展開している場合にも、思考自体は常に誰のものでもない活動にとどまっている、ということである。このことは、思考の原動者が、常にあの誰のものでもない強度の流動である、ということを意味している。

 しかし、思考の原動者が強度の流動であるにしても、思考においては諸記号とそのコードが必要なだけではなく、〈私〉の存在が、そして〈私〉が思考者として構成されていることが必要なのである。しかし、思考において、思考する〈私〉の存在が必要であるとすれば、それこそまさにニーチェが「思考の事態」と呼ぶものと矛盾するのではないであろうか?ニーチェが「思考の事態」として述べていることは、思考の極限的事態にだけ妥当することであるように思われるかもしれない。実際、われわれが日常的生において思考をする場合、われわれは〈思考する私〉が思考という活動を行なっているのだという想定を、何の疑問も懐くことなく受け入れている。しかし、思考の原動者が、いかなる場合にも、誰のものでもない強度の流動であるとすれば、それは、思考の要件である〈思考する私〉自身が、強度の流動によって産出されたものである、ということを意味しているのである。〈思考する私〉自身が、ニーチェの言葉を用いれば、強度の「残滓」なのである(19)。思考において私が思考している、とわれわれが信じている場合にも、この〈私〉は、本質において誰のものでもない強度の流動が、後に残して行った痕跡、あるいは残滓にすぎないのである。そのため私は、私が思考している時、この思考している私が誰であるのかを、決して究極的に知ることができないのである。思考しているのは、究極において、常に、誰のものでもなく、また誰のものにもなりうる、強度の流動である。それゆえ、〈思考する私〉が思考の構成要件をなすにしても、そのことは〈思考する私〉が実体であるという意味を全くもたない。〈思考する私〉は、最終的には、常に強度の流動に従うのである。

 誰のものでもない活動としての思考、思考についてのこのような把握は、しかしながら、やはり極限的な事態を指し示しているように思われる。というのも、われわれは普通〈思考する私〉自体が誰のものでもない強度の痕跡にすぎない、と気付くことはないからである。反対にわれわれは、普通、私は、強度の様々な流動的状態をもつにしても、相変わらず一貫した〈私〉でありつづけている、と感じているのである。そのことの理由を、先にわれわれは言表可能性の内に見出したのであった。つまりわれわれは、われわれが一貫した〈私〉をもちつづけているのは、〈私〉に訪れる強度の諸状態が、言語の言表能力のおかげで、「私」という記号に緊密に結びつけられることのよって、そしてそのようにしてそうした諸状態が、その最も高い状態においても、またその最も低い状態においても、〈私の〉諸状態として把握されることによってである、と説明したのであった。つまり、強度の流動的諸状態の〈我有化〉が可能な限りにおいて〈私〉には一貫性が与えられるのであるが、この〈我有化〉を可能にする条件として、言表可能性が見出されたのであった。しかしながら、この言表可能性自身もまた強度によって産み出されたものであり、強度によって規定されているものである。それはそういうものとして、強度の一定の範囲に対応し、ある一定の範囲の強度だけを言表しうるのである。それゆえわれわれは、われわれに訪れる強度の流動がこの一定範囲の内部にとどまる限りにおいて、強固な〈私〉を持ちつづけ、また、その強度が何等かの条件のもとで言表可能なるものの内にもたらされると信じうる限りにおいて、一貫した〈私〉を保持しつづける(とはいえこの場合は宙吊りにされたまま)ことができるのである。この二つの場合において、われわれは、〈私〉をその本性において誰のものでもない強度の痕跡として把握することはないであろう。

  ◇ 私の存在と不在

 一方で、言表可能性自体が一定の強度の産物ないしは痕跡であるとすれば、言表可能なるものの範囲が、創造の歴史的積み重ねによって拡大される可能性は、開かれていると考えられるであろう。将来の歴史に対するニーチェの期待は、この拡大の可能性と結びつけて考えることができるだろう(20)。しかし他方、この拡大の可能性がいかなるものであれ、言表不可能な事態は厳として存在し、それは言語が諸状態を主語(「私」)の諸状態として言表するという構造を持つ限り、本質的に言表不可能な事態なのである。〈私〉が存在しないという事態、諸状態が〈私の〉諸状態としてではなく、強度の純粋な流動として感覚される、あるいは体験される事態は、まさに本質的に言表不可能な事態である。そのような事態が存在するとすれば、われわれは〈私の存在〉を事実的な意味での言表可能性の上に基礎づけるわけには行かない。われわれに〈私の不在〉を体験させるのは、強度自身の働きである。そしてまた、〈私〉が存在するとすれば、あるいはある高い状態が訪れたにしても、その状態を、われわれが差し当たりは言表不可能ではあっても、なおも〈私〉に属する一つの状態であると感じ、もしくは解釈しているとすれば、それは強度の働きがいまだある一定の度合にとどまるからである。それゆえわれわれに〈私〉をもつことを可能にさせているのは、ある一定の度合の内部にとどまる強度であり、言表の可能性がわれわれに一つの〈私〉をもつことを可能にしているにしても、この可能性は〈私の存在〉にとっての条件であるにとどまり、それ自体、ある度合の強度の徴候にとどまるのである。

 しかし、われわれにある一つの強度が訪れ、そこで、強度の純粋な流動の他には何ものも存在しない、という事態が体験されるとすれば、この体験においては、思考することが不可能であることになる。そこではある種の感覚だけが営為として残されることになるであろう。「まことに、もはや緑の薄明と緑の稲妻のほかには、世界には何物も残っていない」(21)とニーチェは語る。ニーチェが「思想は感覚の影だ」(22)と述べるのは、この事態に即してのことである。われわれは思考することを、この事態の外、この体験の外においてしか、再開することができない。なぜならこの体験においては、もはや私が存在しないからである。

  ◇ 「永遠回帰」の記号

 「永遠回帰」の記号のもとにニーチェを訪れたのはこのような事態である。それは、そこにおいて体験される強度の流動の諸状態を、この〈私〉の諸状態として言表することがもはや不可能であり、また全く不当でもあるような事態である。つまり、「私」における〈私〉の不在そのものとしての、純粋 な強度の流れの体験である。

 しかし、このように言うだけではいまだ不充分であろう。重要なのは逆に、純粋な強度の体験は必然的に永遠回帰を構成する、ということである。つまり、純粋な強度の体験において、体験されるのは強度の様々な度合だけであるが、その様々な度合をもつ強度の諸状態が、それと同じだけの数の諸々の〈私〉として、あるいは「神々」として、体験されるのである。そして様々な強度としての諸々の〈私〉は、潮の満ち引きに似た一つの循環の法則によって、互いに必然的に結び合わされているからである。強度が純粋な強度として体験される時、その「無時間的な瞬間」(23)の持続の中で、「私」はそれらの無数に多くの〈私〉のすべてを、その必然的な循環経路に従って、辿り尽くさざるをえないのである。ニーチェが人々に、ただ最高の強度に達することだけを勧めているのは、純粋な強度が体験されるこの最高の強度においては、必然的に永遠回帰が体験されると考えていたためである(24)。即ち、強度の流動の内的法則としての循環の法則が。

 しかしこの純粋な強度の体験は、ある種の感覚のうちで、思考不可能な仕方で生じるものである。そのため永遠回帰の体験の内容は常に思考不可能なものの刻印を帯び、思考不可能なものとして封印されることになる。先にわれわれは、永遠回帰の体験とは永遠回帰が事実であることを体験することだ、と言い、それについて若干の説明を行ったのであるが、その説明は、永遠回帰が事実であるとすれば、そのことから論理的に演繹されることを述べたにすぎない。ニーチェが永遠回帰の内容について語るすべてのことにおいても事態は同様である。結局、永遠回帰の体験が後に残した思想は、「永遠回帰」という記号だけである。ニーチェにとって重要なのは、この記号が最高の強度を指し示している、ということであり、ニーチェは、この記号は到達された最高の強度の目印として完璧なものであり、その強度が到達される限り、その意味は自明的に了解されると考えていたのである。

 「永遠回帰の思想」において典型的に認められることであるが、ニーチェにとって、「思想」とは、ある特定の度合の強度の記号のことである。そしてそれは、そういうものとして、特定の度合の強度のもたらす「遠近法」を表現するのである。ある度合の強度にはそれに相応した遠近法が備わっている、ということが注意されねばならない。なぜなら、「思想が訪れてくる」ということはある新しい強度が訪れる、ということであり、それによってその強度自身に備わった遠近法が開けてくる、ということだからである(25)。そして思想がそちらから訪れてくるということ自体が、思想が強度の流動に本質的に帰属していることを示しているのである。

 第二の考察 注

(1) 「権力への意志」という用語の初出は、「永遠回帰」の初出と同じノートの、終わりに近いところの断片(KSA, Bd. 9, 11[346])(一八八一年秋)だと 思われるが、この断片は、ニーチェが 「権力への意志」を、最初どのような 場面で捉えていたか窺わせて大変興味深い。それは「権力への意志」を、ユダヤ・キリスト教の教えに見られる〈自然支配への意志〉と、近代的学問の体制との結び目において、捉えているのである。それは、ニーチェにとっては、乗り越えられるべき「権力への意志」の形態の一つ、つまり「奴隷的」な、「個人をより卑しくさせる」〈権力への意志〉の形態、である。
(2) われわれの「強度」という概念の使用は、P・クロソウスキーに倣うものである。クロソウスキーは、「強度」の概念を、ニーチェの`Stimmung'の概念を説明すべく、次のようにして導入する。「魂の調子(=Stimmung)は強度の波 動である(La tonalité d'âme est une fluctuation d'intensité)。」(Pierre Klossowski, op. cit. p. 97.)このクロソウスキーによる読解を正当化するものとして、われわれは更にニーチェの後年のテクストを挙げておきたい。そこではこう言われている。実在するのは、「他のすべての力動的量子(dynamische Quanta)と緊張関係の内にある諸々の力動的量子である。その本質は他のすべての量子との関係のうちに、つまり他の量子への「作用」の内にある。」(KSA. Bd. 13, 14[79].)ここにわれわれはニーチェの実在についての量子論的把握を確認し、それによって強度という概念による以後の読解を正当化することが出来る。なお、このテクストのすぐ次のところで、ニーチェがそれを狭義の意味で用いる場合、「権力への意志」(それをわれわれは以後〈権力への意志〉と記すことにする)がどのように理解されねばならないかが示されている。つまり、諸力(量)の諸関係の生起の仕方を決定する「力の内的要素」としての〈権力への意志〉である。「権力への意志は一つの存在ではなく、一つの生成でもない。それはパトスであって、それはそこからしてはじめて一つの生成が、一つの作用が生じてくる、最も基本的な事実(Thatsache)である。」
(3) "Kraftcentrum" については、KSA, Bd. 13, 14[186], "Willenspunktationen"については、KSA, Bd.13, 11[73] を参照されたい。この前者のテクストで、ニーチェは「意識の遠近法制(Bewußtseins- Perspektivism)」------これは「自我」をモデルにして、アトムその他の「主観的虚構」を構成する体制である------ と、「各々の力の中心」が「それによってみずからを基点にして、残余の世界のすべてを構成する、不可避的な遠近法制(der nothwendige Perspektivismus)」とを区別している。われわれが「遠近法的観点の統一性」と呼ぶのは、基本的には、後者の、おのれの遠近法的体制のもとにある「各々の力の中心」の統一性のことである。しかし、ここで注意しなければならないのは、この後者の「遠近法制」についても、それが個々の「特殊的身体」(spezifischer Körper)、すなわち、個々の単数的な強度の状態、が複合した形態であると考えている点である。ニーチェはこう言う。「遠近法制は特殊体の複合した形態にすぎないものである (Der perspektivisumus ist nur eine complexe Form der Spezifität)」。このことは「力の中心」の統一性が、なおも暫定的性格のものであり、究極的には強度ないしは量子に基づくものであることを示すものである。
(4) Brief an Jacob Bruckhardt in Basel, Turin, 6. Januar 1889. プラ ドーについてのニーチェの評価に関しては、cf. Briel an August Strindbergin Holtem Torino, 8. Dezember 1888.
(5) KSA, Bd. 9, 15[17].
(6) ミシェル・アール(Michel Haar)は、ニーチェとここでリスト・アップさ れた人物たちとの関係は、「純粋に哲学的な血統」にとどまるものではない、ということを指摘する。そして、ニーチェとこの人物たちとの間にある「歴史横断的」な関係は、「歴史において運命をなすものへの関係」であると主張する。彼はそれをこう説明する。「このリストの中の名前と同様、ニーチェの名前は危機に、つまりは歴史ないしは運命の転換点に、そしてまた断絶に、そして新しい開始に常に結びついており、また将来も結びつくであろう。このことはその都度一つの連続性を想定していることなのである。」アールのこの議論は一つの普遍的世界史の存在を前提しているが、それを限定して諸々の人種的・文化的領野の中での「危機」の問題と解釈すれば、アールの「運命をなすもの」の関係という規定は、われわれの〈閾を乗り越える者〉という規定と一致するであろう。しかし、この解釈を施さないならばアールの議論は「プラドーの場合」を説明できないであろう。更に、アールはニーチェの「歴史の中のあらゆる名前」を解釈して、それは「エポックをつくり上げたすべての著名人(toutes les figures qui font époque)」のことであると言う。われわれはこの解釈にはまったくついて行くことができない。なぜなら、この出典であるブルクハルト宛の手紙の文脈の中で、「プラドー」や「シャンビージュ」のような非著名人を、この「歴史の中のあらゆる名前」から排除することはまったく不当であり、そしてまたこの手紙において、ニーチェはまさに「神的な」状態から語っているからである。(「結局、わたしは神であるよりははるかにバーゼルの教授でありたかったのです(zuletzt wäre ich sehr viel lieber Basler Professor als Gott)。しかしわたしは、わたしの私的エゴイズムを、そのために世界創造を思いとどまるほどまで、大きく押し進めることは、あえてできなかったのです。」)結局、アールの解釈の誤りは、この「神的な状態」と「出自の問題」とを混同したことから生じているのである。Cf. Michel Haar, La critique nietzscheenne de la subjectivité, (Nietzsche Studien Bd. 12, 1983, de Gruyter), pp. 104 - 105.
(7)『善悪の彼岸』二九五。
(8) われわれが永遠回帰とディオニュソスとを近づける時、われわれは一八八一年八月の体験の前後のテクストに基づいてそれを行っているわけではない。ディオニュソスの名が『人間的な、あまりに人間的な』I - 112にわずかに姿 を見せてから、再びニーチェの著作に姿を現すのは『善悪の彼岸』二九五の断章においてであり、遺稿断片に姿を見せるのも一八八三年五−六月のノート以降である。われわれの解釈は一八八〇年以降のテクストを総合的に扱い、その中から永遠回帰の体験の響きを聞き取ろうとするものである。なお、ディオニュソスと永遠回帰との密接なつながりは、KSA, Bd. 11, 38[12](一八八五年 六−七月)、あるいは『善悪の彼岸』五六などのテクストに明瞭に認めることができる。
(9) Brief an Heinrich Köselitz in Venedig, Sils - Maria 14. August 1881.
(10) 『歓ばしい知識』三四一、および KSA. Bd. 9, 11[143].
(11) 『善悪の彼岸』一七、参照。
(12) 『この人を見よ』、 「ツァラトゥストラはこう語った」一。
(13) 『善悪の彼岸』一七。
(14) 同前。
(15) この「思考」という活動の事態に最もよく適った定式はどのようなもの になるであろうか? それは、まず主語を伴ってはならない。次に「思考」 が「誰れ」に属する活動でもないということが示されねばならない。つまり、動詞は主語の人称に応じた語尾を伴ってはならないだろう。(「denken」と いう不定詞形はこのニ条件を満たすであろう。)最後に、それは現実の「活動」であるという性格が示されなければならない。結局これらの条件を最もよく満たす定式は、「denkend」(思考している)という現在分詞形であるという ことになるであろう。
(16) KSA. Bd. 12, 5[22]
(17) Ibid.
(18) 『歓ばしい知識』二七六。
(19) 『善悪の彼岸』一七。
(20) 『歓ばしい知識』二八八、参照。
(21) 『歓ばしい知識』三一〇。
(22) 『歓ばしい知識』一七九。
(23) この用語は KSA. Bd. 13, 17[4] から採ったものである。
(24) Vgl. KSA. Bd. 9, 11[163].
(25) 「思想」が強度の特定の地点(生のある一地点)の表現である、という こと、およびある強度の到来がそれに相応した思想の開示をもたらす、ということについては、「人格的摂理の思想」について述べた断章を参照されたい(『歓ばしい知識』二七七)。


第三の考察:結論
  ◇ 肯定はどのように学ばれるか: 宇宙のリズム

 われわれはここで始めの問いに戻らなければならない。「永遠回帰」を経歴することによって、なおも〈自我の想定〉が肯定されるのはなぜなのだろうか? この問いに、われわれは今や充分に答えることができるであろうか? 順を追って考えてゆこう。

 まず、どのようにして肯定が学ばれるか、という問い。

 「永遠回帰」によって、まず何よりも、循環を構成する強度の全体の〈外〉には何者もなく、それゆえこの循環自体の内に意味が無いなら、どこにも意味はないのだ、ということが〈知〉られる。このことは、循環である世界の〈外部〉に、生存の意味を求めようとするすべての試みは、愚かにも空しいものであるということを、徹底的に知らしめることになる。

 しかし、このことは、この循環自体に意味がある、ということを必ずしも意味しない。この循環の中にある生存には、意味がなく、生存することはそもそも空しいことであり、われわれは皆その空しさの中に、太古より閉じこめられてきたのだ、と言えるかもしれない。

 すべては、この循環を、肯定しうるか否か、にかかっている。

 しかし、「永遠回帰」は、ただ、われわれをこの循環の前に立たせるだけである。それは確かに、肯定しえないならば、生存は空しい、ということを教える。しかし、それは、どうすれば肯定をなしうるようになるのかを教えない。「永遠回帰の体験」も、先に見たように、それは決して肯定を教えるようなものではない。

 しかし、ここ、「永遠回帰」を経歴したこの場所には、確かに、思想の、一種の強制力が働いている。それは空しさの感情において、生存や循環から、距離をとろうとさせるような力の働きである。ひとを本質的な孤独に導いてゆく働きである。そしてこの遠ざかりにおいて、ひとはその無意識において、循環の運動の、物質的な、過酷で激しい働きに近づいてゆくのである。永遠回帰の思想は、まずなによりも、この遠ざかりと近づきの、二重の運動をわれわれにもたらすであろう。そしてこの遠ざかり/近づきの果てのような所で、われわれは循環の運動の、最も激しい物質的な働きに、幾度となく出会うであろう。しかし、われわれは、相変わらず、それによって肯定を教えられるわけではない。

 肯定は一体どのようにして教えられるのであろうか。循環を肯定する手掛かりを、ひとは一体どこに見出すことができるのだろうか。

 肯定は、しかし〈ひらめき〉として与えられるように見える。それはやはり変わらずに、循環の激しい物質的な流動である。しかし、その激しい物質の流れにおいて、ひとは時として循環する宇宙の〈生命〉と言うべきものの動きを、感得しうるのである。激しい〈ひらめき〉の数々が構成する、時と強さと色彩の区切りに、ひとは時として、循環する宇宙の生命そのもの、つまり宇宙のリズムを、聴きとることができるのである。

 宇宙の生命としてのそのリズムが聴きとられる瞬間が訪れてくる、ということは、確かに「不思議」としか言いようがなく、言わば、ただ瞬間の〈贈与〉によって、われわれはそれを聴きとりうるようになるのである。この聴きとる能力を何によって与えられたか、ということも、われわれは言うことができない。ただある時、その〈時〉の贈与によって、われわれは宇宙の生命の動きを聴きとることができるようになるのである。

 宇宙の生命、そして宇宙のリズム。微小においては、それは原子のリズムであり、クォークのリズムである。そして細胞のリズムや天体のリズム、等々------カールハインツ・シュトックハウゼンがそれを聴きとり、名付け、そしてその音楽が表現しているような、さまざまな次元の、さまざまなリズムである。そしてそのリズムのすべてにおいて、鋭角的な〈ひらめき〉が、音の生命でもあり宇宙の生命でもあるものとして、瞬間的に輝き、またひしめくのである。

 そしてそれらの宇宙のリズムに、われわれはみずからを合わせ、みずからそれに参与することができるのである。われわれは〈ひらめき〉のリズムを構成しつつ、みずからを生きた宇宙の循環の中に組み込むのである。

 そして、このように宇宙のリズムに参与し、そこにみずからを組み込むことは、循環する宇宙とのあいだに、祝福を交わしあうことであり、循環を肯定することなのである。このように、肯定にかかわる一切は、本質的に音楽的な出来事であり、また音楽の本質は、本来このように肯定を表すことであるのである。そして実際、循環する宇宙の生命としてのリズムを知りえた時、ひとは音楽家であることしかできず、ひとはみずからを音楽となしてこの循環する宇宙を肯定することしかできないのである。

 例えば、『ツァラツストラ』の中の「ヤーとアーメンの歌」。ここには肯定することしかできない肯定者の、高らかな歓びの調子が歌われており、そしてこのような調子が〈ほんとうの肯定の音楽〉の調子なのである。

 このように、循環する宇宙の生命として、宇宙のリズムが聴きとられる瞬間が訪れる時、われわれはこの循環に対する歓びにみたされ、また、みずからを高らかな宇宙のリズムの構成に組み込んでゆくとき、肯定が行われるのである。

  ◇ 自我の想定はどのようにして肯定されるか: 美的享受

 次に、なぜ自我の想定のような誤謬が肯定されるのか、という問いに答えてみよう。そのためには、永遠回帰についての最初のテクストが最も役に立つであろう。

 先に見たように、われわれは、何らかの〈私〉を私と親近的なものとしておくことなしには、思考すら行うことができず、みずからの生を維持することができない。われわれはもはや〈私〉を、実体的な自我として理解することはしないが、生存が是認されるべきものであるからには、自我の実体としての想定も誤謬として是認されうるものであることになる。

 多少表現を変えるなら、われわれには永遠回帰の経歴によって、自我と強度との関係が充分に知られ、そのため自我(〈私〉)と、それに基づく一切が、強度の波の表面の、一種の戯れのようなものに見えるようになるからである。それらは言わば「児戯」のようなものであり、われわれには、それを眺める「賢者のまなざし」が獲得されたからである。ニーチェはこう言う。「以前には最も強い刺激となっていたものが、今ではまったく別な風にはたらく、それはもはや戯れとみなされ、戯れとして認められるだけである。真実でないものにおける生として、原理的には退けられるが、しかし形式および刺激として、美的に享受され、保護されるのである。[…]この生は、その元気さの総計に関して、どのような観を呈するであろうか? それは小児の戯れであり、それを賢者の目が眺めているという図だ」(1)(強調はニーチェ)。このテクストは、厳密に考えるなら、われわれが責任ある実体としての自己同一的自我をもっている、という想定に基づく生の形式についての論及である。その生は「小児の戯れ」として、一応の元気さは備えているものの、その玩具は、いつ壊れるか知れないようなものなのである。そしてわれわれは、一面ではそのような生を戯れる小児であると同時に、またもう一つの面では、それを眺めやる賢者のまなざしをも備えている、というわけである。しかし、そのような生の情熱や努力を、われわれは美的享受の対象として是認するにしても、しかしやはり「真実ならざるもの」の中で営まれる生は、否定されるべきものであり、それは攻撃され、破壊されるべきものなのである。

 ここで小児の戯れを眺めやっていた賢者は、後にはハンマーを手にすることになるに違いない。そして、厳密に考えるなら、永遠回帰の思想こそ、その最強のハンマーに他ならないのである。それは人々を、循環の肯定へと、近づけるのである。

 第三の考察 注

(1) KSA, Bd. 9, 11[141].


1995年9月24日脱稿




このテクストは、初め『詩論』誌に掲載されたものを元にしています。
現在、ほぼ同じものが、同じタイトルで
中路正恒著『ニーチェから宮沢賢治へ』(創言社、1997年)
に収録されています。
手にとってゆっくりと考えながら読んでいただければ幸いです。



〈神の死〉の問題に関してはさらに:

山中智恵子のキリスト教 --- 神の死と歌うこと ---

空に陥ちけむ声玲瓏なる --- 神の死と現代 ---

を考察していただければ幸いです。



また、ニーチェ的な「笑い」の問題について
軽いエッセィ
倉木麻衣の"Reach fot the sky" ---笑うことは肯定すること---
があります。
こちらもご覧いただければ幸いです。



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