▲Pumpkin Time▼ 小説・俳句 山下綺麗の日記4 山下綺麗の日記6

山下綺麗の日記 五

 

 愛とは血をすうことに似ている。大好きなものから飛びうつるノミ、まとわりついて賑やかに騒ぎたてる蚊、こっそりとくっついているヒル、みんな愛されることはつらい、血を奪われることよりも後のかゆみがいや。

 桜が散る、満開の桜が散る、魚の群のように風の中を漂い、陽光にきらめく。思春期は桜が散るようなもの、十四歳は桜吹雪の中。生きるための葉も茂らせずに花だけを満開に咲かしている。骨だけの冬を越えて花だけを咲かすが、その実を結ぶことはない。満開の時期が、そよ風ひとつで散らす時期。川の流れのように風を桜色に染める。ふたたび森が薫る。

 よるに猫がすさまじくせつない声で鳴きつづける。春なんだ。カーテンのむこうの闇夜に恋猫の国がある。街の夜の暗闇になりきれない哀しい空の半端なあかるさの中を鳴きつづける。

 くだらない、ばからしい、その言葉で全てがかたずく。よかったね。

 新しいクラスメイトの祐子が、隣の中学で自殺者が出たの知ってる、と聞いてきた。今朝わたしもテレビニュースで聞いて、日頃は読まない新聞を開いて内容を確認していた。うん、知ってる、原因て分かったの、と聞き直した。それがまだ、祐子の楽しそうな口調に、もっと重い口調でそんなことは言わなきゃ、礼儀作法よ、笑っていった。自殺は楽しいものだ、少なくとも、本人とその身内以外にとっては。本人の自殺に責任を持たなければならない人は楽しむどころではない。親不孝といえば、確かに親不孝だが、生きていても親孝行ではないだろう。生きていてくれるだけで親孝行だと日常的に思えるような人は、よほどの変わり者。生きていることは死を恐れなければそんなにつらいものではないから、きっと自殺は死を恐れるか、何かの勘違いから起こる。

 クラスの世話役のような恵子がわたしに、意見を学級新聞に載せてくれと言ってきた。教師にも生徒にも受けるように書いてくれと言うことだった。どうしてわたしなの、硬い文章しか書けないよとわたしは答えたが、恵子はそれが受けるのよ、あんまり受けねらいでふざけられるようなテーマじゃないでしょ、といった。なるほど、そうだなと納得してしまった。
 自殺なんて、意味がない、生きていることと同じように。

 平凡で何事もない人生はそれだけで、特殊だ。人は人である限り、平凡であると同時に特殊であり続ける。